チェンジリングと交換法則②


そう思ってから数年、俺は一日も元の世界に戻ることはできなかった。この舞台は『フォーク』――(マーフォークやムーンフォークという言葉でお馴染みの)「民族」を意味する言語で呼ばれるここ異世界は、

剣と魔法の共存するまんま中世ファンタジーワールドな宇宙であり、そこにぽつねんと存在するファミリアなる弱小国を滅びの運命から救うために「予言」によって救世主として異世界召喚された俺は、

空前絶後の奮闘を、ほとんど省略するがとても言葉には尽くしがたいほどの大奮闘を果たさなければならなかった。


 それから来る日も来る日も、弱りきった内政を立て直すための策を肝脳を絞って考えたり、

八人もいるというこの国の王妃様たちを互いに仲良くさせるための方法を思案したり(嫁姑問題に悩んだ森鴎外みたいだ)、アホの右大臣を更迭したり、

アホの左大臣を罷免したり、国力の礎となる収穫高が思わしくなかったため輪作やすき込みを教えてみたり、運河をひらき灌漑をひいたり、

開墾した土地は三代までに限り自分のものになると定めてみたり(不評だった)、遅滞した文化を立て直すため若き芸術家のパトロンになったり、借金の帳消し令を出したり、

勤労感謝の祝日を定めて国民の不満をガス抜きしたり、ある陰謀を見破って大国のアレゴリアと和平条約を締結したり。

その他、来る日も来る日も、魔術の鍛錬をしたり、剣術を教えて貰ったり、貴族的なマナーとプロトコルを学んだり、いろいろな裁定をしたり(これはよくあるハンコを押すだけの仕事だ)、

貴賓たちの臨席する晩餐会に顔を出したり、各地の収穫祭や竣工祭には祝辞を送り、場合によっては現地の民間人と交流したり、奴隷扱いされていた原住民を解放したり、

原住民の経営するカジノづくりに資金を出資することを計画したり、世界ではじめて国家主導の救貧院なるものを建設したり、アカデメイアよろしく学校を創設したり、

野原で襲ってきた盗賊団を撃退したり、滅びの予言が現われなくなるまで国を建て直したり……


                    米


「――というわけで、やるべきことはもうすっかり終わったから、俺は元の世界に帰らせてもらう」


断固たる調子でそいつは宣言する。なるほど貫禄のわけだ、いま言ったことを、ぜんぶ本当に行ってきたとすれば。


「元の世界にもどるって、つまりいま俺が生活してる世界にいきたいってことか?」


「イエス」


おいおい、その世界線にはもう俺がいるんだが……まさか入れ換わりたいなんて言うんじゃないだろうな?

チェンジリングというのは元来そういうものだが(チェンジリングは民話にある取り換え子の伝承のこと――由貴香織里『妖精標本』という漫画を参照のこと)。


「お前は、俺の偽物じゃないのか?」


俺は尋ねる。するとそう尋ねられたことに対して、遺憾だったのか、俺の影はかんでふくめるように諭した。


「いやいや、俺には14歳までの地球での精確な記憶があるんだよ。それって本当に俺があの世界を生きてきた記憶かもしれないし、あるいは……ってとこだよな。

実際はお前が生きてきたのかも知れない。でもどちらにせよチェンジリングの召喚術は、どっちが人間オリジナルでどっちが妖精フレニールか、確かめる術はないんだよ。

だから俺はもうひとりのお前で、お前はまさにもうひとりの俺だ、平等にな」


シンディが追補するように言う。


「私どもは、これからあなた様をファミリアのキャッスルにお迎えして、旦那様の代役を務めていただきたいわけです」


これから現実世界へと帰る”俺”の代わりに……それって要するにこの俺が王様になれるってことか? 悪くない話だな。なにせ――あの世界にもう月乃はいないんだから。


「ときにもう一人の俺よ、ずっと元の世界へ帰りたいと思ってたのか?」


あんなクソみたいな現実に?――そう言いたいのをぐっとこらえて、俺はもうひとりの自分に確認した。


「当たり前だろ。阿倍仲麻呂だってそうだった」


アベの? ああ、たしか中学生のとき歴史の授業で習ったな。普通の日本人なら知っている有名な人物……てことはやっぱり、こいつには地球で生きてきた14年間――

中学2年生の誕生日までの記憶があるのか。けれどその日を境に異世界でやってきたわけだから、たとえば高校の授業の内容とか、現実世界でその1年後に月乃が死んでしまった事については知らないらしい。

これまでの話をもとに組み立てれば、当然そうなる。まあ、俺は余裕ある態度をみせてこう言った。


「そうか。ご自由に、こればかりは個人の自由だもんな」


するとお互いにまったく同じ北叟笑んだ表情を浮かべる。


「そういうことで決まりだな。しっかり良い王様でいろよ? ま、やるべきことはあまり残ってないだろうがな」


一方的にパチン、と指が鳴らされる。はじめから交渉の余地なんてなかったのだ。

すべて相手の主導権。視界がぐらつき、シンディが瞬時に右から左へと移る……のではなく、魔法陣における俺たちの立ち位置が入れ替わったのだ。


「それじゃファミリアは任せたぞ。あとはシンディとスノウが望むようにやってくれればいいや。あ、そうそう。まさか誰にもバレてはいないよな? 現実世界ノーフォークでの”あの秘密”……小5のときの」


「当たり前だろ、一生秘密にするって決まってる」


当然だ。俺の偽物はそれを聞いて安心していたようだった。


「よかったぜ。もっと訊いておきたい事は山ほどあるんだがな、どうも取り替え子――チェンジリング同士が長い間一緒にいるとよくないらしい。そろそろ交替だ、本当にうまくやれよ」


ふたりを囲む魔法の円が突如として特有の青白い光を放ち始めた。俺はシンディの胸元に照るネックレスをなるべく気取られないように見つめていたが、

そのあと常軌を逸したすさまじい震動があって、俺はすぐさま気を失った。

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