迷わずの町




 俺は極度の方向音痴だ。

 角を二ツ以上曲がると自分がもといた方角が分からなくなるし、分かれ道があれば間違った方角に行ってしまうし、どこからでも見えると称されるランドマークタワーは90パーセントの確執で見落とす。

 何かそういう先天的な病気なのではないかと疑ったことは百や二百を超えるが、現在に至るまで医者からは『ただの方向音痴ですね』という以外の言葉を貰えないでいる。

 そんな俺にとって、家の外というものは、幼いときから脅威であった。毎週、いや、毎日の頻度で迷子になった。

 そんな俺を両親はいたく心配し、セキュリティ会社のGPS端末を装備させた――方角を音声で示してくれるのみならず、万一の場合緊急ボタンを押せば、警備員が駆けつけてくれるという代物だ(契約にはきっと高い金がかかったことだろう。親の愛には感謝したい)。

 そういう文明の利器の力を得て、俺は、なんとか一人で通学出来るようになった。

 だがそうであってもなお、俺にとって世界は、巨大迷路だった。

 大きな道、細い道、中くらいの道。それらがグネグネ合わさって、なんとしてもこちらを迷わそうと待ち構えている……。

 だから俺は通学の際、寄り道なんか一切しなかった。

 決められた道を行き帰りすることに終始して小学、中学、高校、大学までこぎつけた。今のところ。

 しかし、問題はこの先だ。

 この致命的な方向性に対する欠陥を持つ俺は、今後まともに人生歩めるのだろうか。

 いずれ就職ということになれば、決まった道だけ行き来するというわけにはいくまい。見ずしらずな地理も分からない場所へ行く。そこで住む場所を探し当てる。道を覚える。通勤する。

 気が遠くなるような難行だ。自分が生まれ育った町でさえ、いまだに攻略出来ていないのに。神様はどうして俺をこんなふうに生まれつかせたのだ。

 そうやって暗い気分に浸っていた俺は、ある日、事情を知る友達から、とある町の存在を教えられた。

「一本道町? 聞いたことがないな」

「ああ、俺も最近知ったんだ。でも話を聞くに、すごくお前が住むのに向いている町じゃないかと思う。一度見に行ってみたらどうだ?」

 俺は半信半疑ながら、その町を見に行ってみることにした。

 深夜のバスターミナル駅へ行って電光掲示板に【一本道】の文字が出ている夜行バスに乗り込む。

 薄暗い中を見回せば、他にもちらほら客がいた。

 そのことに俺は何だか安心し、そのまま眠り込む。

 周りが明るくなってきたところで目を覚まし、窓のカーテンを開ける。

 目に飛び込んできたのは住居、雑居ビル、小型商店、大型スーパー、大型衣料品店、飲食店、映画館、公園、エトセトラ。地方都市にあるべきもの全て。

 しかしてこの町並み、奥行きが全くない。

 建物は道の左右に沿って、横一直線に並んでいる。その後ろ側にはなにもない。放置された売地と言いたくなる風情の、すこぶる見通しのいい空間が広がっているだけ。

 一本道に沿って延々と、そう、延々と町が作られている。

 道は恐らく相当な長さに及ぶのだろう。バスターミナルで降りても、まだ先が見通せない。

 がたんがたんと音がしたので上を見れば、バスが通ってきた車道の上を、高架鉄道が走っていた。

 鉄道もまた道と同じく、一本道に続いていた。

 俺はひとまず、ターミナルに設置されている観光案内板を確認する。

 町は、というか道は、大きく輪を描いた円の形(外部と繋がる部分だけが、盲腸みたいに飛び出していたが)をしていた。

 円のうちも外同様、空白地帯。建造物など何もない。

 俺は感動と感銘を覚えた。

 こんなに方向音痴に優しい設計の町があるだろうか。これなら行く先が分からなくなることはない。どんどん歩いていけば必ずもとの場所に戻るのだから。

 俺は即断した。この先この町で生きていくと。死ぬまで。こんなに安心出来る場所はないのだから。

 これでGPSともようやくおさらば出来る。誰の助けを得なくても、好きなときに好きなように町をぶらぶら出来る。思いつきであっちの店、こっちの店へ回れる。迷うかも、帰れなくなるかもしれないという不安におののくこともなく。

 なんて素晴らしい、わくわくするような未来だろう。

 気づけば夜行バスに同乗していた人々も俺同様、希望に満ちた顔で案内板を眺めている。

 俺は忽然と、彼らが俺の同類であることを悟った。この町が、そういう人間ばかりで構成されているのだということも。

 ますます心強い。

 同乗していた人の中にいた、同年代くらいの女の子と目が合った。

 俺は微笑みかける。彼女も微笑み返す。

 いずれこの子と結婚することになるんじゃないかなあ、と俺は夢想した。

 気の早すぎる話だが。






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