死者二人
夕暮れ時。町にぽつぽつ明かりがともるころ。
町外れの霊園の敷地にある小さな居酒屋にも明かりがともる。
からからと引き戸を開けて、着物姿の女が出てきて、戸口に暖簾を掲げる。
ほそほそとした色白の若い女。
掲げた暖簾を見て納得したように頷き、店の中へ戻っていく。
あたりはどんどん暗くなる。
秋も中ほどを過ぎたころ、風は冷たい。
店の裏にある竹やぶが、ざざざ、ざざざと葉摺れの音を響かせる。合間にカコンカコンと聞こえるのは、乾いた幹がぶつかる音。
なにやら物寂しい限り。
そこに男がやってきた。風体からしてサラリーマンのようだ、まだ若い。
すこぶるむすっとした顔で、引き戸を開け店に入る。
開口一番、カウンター後ろの女に言う。
「レイコさん、まだこんな店やってるのか。いい加減閉めればいいのに。続ければ続けるほど赤字だぞ。一体何を意地になっているんだ」
「……余計なお世話よ。そしてお客はちゃんと来てるからご心配なく。毎月黒字になってるわ。生活出来るくらいにはね」
男はしかめ面になる。カウンター席に腰を下ろし、鞄を足元に置く。
「嘘つけ。俺が来るたび誰もいないじゃないか」
どうやら男のこういう反応に慣れているらしい。女は特に嫌な顔もせず、熱燗を出す。
「それはあなたがどうしてか、他のお客がいないときに限って現れるからよ」
「都合のいい作り話をするんじゃない」
「作り話じゃないったら……で、今日のご注文は?」
「……厚焼き卵。ポテトサラダ。手羽の甘辛煮」
「はいはい」
男は熱燗をお猪口に注ぎちびちび飲む。女が手際よく注文の品を作っていくのを眺める。
しばらく二人とも無言だ。店内に据え付けられているテレビだけが喋っている。DJとゲストのお笑い芸人による掛け合いと歌謡曲の繰り返し。男としては何の興味も持てない番組。
厚焼き玉子とポテトサラダ、手羽の甘辛煮を器に盛りながら、女がふと思い出したように言う。
「そういえば、あなた、いつまでこうしてうちに通ってくる気なの?」
「通って来たら悪いのか」
「そういうわけじゃないんだけどね……何か無理しているんじゃないのかなあって。だってほら、あなた、死んでるでしょう?」
男は料理を受け取りながら、うんざりした顔。
「……あのな、何度も言うけどな、死んでるのは君のほうだ。君こそいつまでこの世に未練残して留まり続けてるんだ。しかもなんのつもりか、居酒屋なんか開いて……いい加減神か仏か閻魔大王かに怒られるんじゃないのか。それともそんなものいないのか、あの世には」
「何言ってるの。私は死んでないわよ。死んだのはあなた。まだ若い身空で交通事故にあって……」
「違う。それは君だ。君の話だ。信号無視の車に轢かれて……」
二人顔を見合わせる。そして、どうしようもないというような諦め顔になる。
「……いつも意見が合わないのよねえ、この問題になると」
「そうだな、合わないな。合わせようもないんだけどな。正しいのは俺なのに君が聞く耳持たないから。自分が死んだことを認めたくなくて」
「逆でしょ、それ」
ぶぎあー、と濁った声がした。
男はいやそうに足元を見る。
ふてぶてしく太りかえったキジ猫が、嫌味そうな目で彼を見上げた。
「君、まだこの猫飼ってるのか。店内に動物を歩き回らせるなんて、飲食店として不衛生きわまりない。裏の竹やぶにでも繋いでおいたらどうだ」
「なんでそんな可哀想なことを言うのよ。マルちゃんは大人しい子よ。お客さんに何もしないわ」
「何もしなくても毛が散る毛が。ノミだってダニだって持っているかもしれないだろ」
「いないわよ。毎日洗ってあげてるんだから」
憎まれ口を叩く男を見上げていた猫は、フンとあざ笑うような鼻息を漏らし、カウンター席のひとつに飛び乗った。そして丸まり寝始めた。
男はいかにも気にいらなそうだったがそれ以上は何も言わず、猫から目をそらす。
かわってテレビを見ている女に視線を向ける。
その目が潤んできた。
「……君と結婚したかったんだけどなあ、俺……君が好きなんだけどなあ……」
女は男に視線を向ける。愛しげで、ちょっと悲しげな。
「……私もあなたのこと好きよ。でも、縁がなかったのよ。仕方ないわ。あなた、新しく付き合っている人はいないの? 死んでも仕事は続けているようだから、出会いはあるでしょう?」
「あるにはあるが、付き合うような人はいない。今のところ。君はどうだ。こういう商売してるなら、俺より出会いは多いだろ」
「まあ、多いけど……いないわねえ、そういう人。今のところ」
夜はふけていく。
空に星が出て、きらきら輝き始めた。
器を空にした男は、席を立つ。
「それじゃあな。また来る」
「ええ、気をつけて帰ってね」
店を出ると風は止んでいた。
息が白い。
男はとぼとぼ歩いていく。家に帰っていく。
振り向けば小さな小さな居酒屋が、薄らぎ消えていくところだった。
やっぱり彼女は死んでいるんだ、と溜息をつき涙一粒。
本人は気づかないがその涙は、頬から離れた途端地面に落ちることなく、虚空に消えていってしまう。
女は店の戸口を開け男を見送る。
とぼとぼ歩いていく男の後姿が徐々に薄くなり、消えてしまった。
やっぱり彼は死んでいるんだ。
溜息をつき涙一粒。
本人は気づかないがその涙は、頬から離れた途端地面に落ちることなく、虚空に消えていってしまう。
足元の猫に話しかける。
「……あの人はいつ、自分が死んだことを認めるのかしらねえ」
猫は薄目を開けてぶつぶつ鳴く。
町外れの霊園に、ざあっと風が吹いた。
前を通りがかった帰宅中の学生が、ぶるっと体を震わせ、そそくさ歩み去る。
真っ暗な竹やぶの奥から、いるはずもない人間の話し声が聞こえたような気がして。
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