夕焼け小焼けの星の上
「毎度ありい」
その声を背中にして私は店を出る。フランスパン(的な食べ物)を抱えて。
首都は夕暮れの中にあった。
夕日がそこいらじゅうに、赤い光を投げかけている。
尻尾の生えた人々が行きかう街角。
人出は多いのにあまり賑わっているという感じがしないのは、皆一様に長い長い影を連れているからだろう。
町の中央にそびえたつ巨大な振り子時計(としか私には見えない)がハ長調のメロディを奏で始めた。
それに合わせて犬(っぽい生き物)が遠吠えをする。
太陽は遠く遠くの山に今しも沈んでしまいそう。
なんとも寂しい。
わけもなく寂しい。
尻尾のない私は沈鬱な気持ちを背負って家に帰る。
八角形の部屋(この星では建物は総じてその形だ。理由は知らない)では私の帰りを待っていた彼が尻尾を振り、怪訝そうに私を見る。
「どうしたの? 暗い顔して」
夕暮れが寂しいのだと私は言った。
彼は理解しかねるといった顔で頭をかく。
「今は昼の日中だよ?」
そうだ、確かにそうだ。
この星は自転の速度が異様に遅い。
朝が来て正午になるのに、100年かかる。
正午から夕方になるのに、100年かかる。
夕方から夜になるのに、100年かかる。
夜から夜中になるのに、100年かかる。
夜中なら朝になるのに、100年かかる。
住民の寿命は、このサイクルに準じていない。地球と全く同じで100年程度。生活のサイクルも同様。
だからこの星のあちこちには――とりあえず人のいる場所には――どこにでも大きな時計が設置されている。それに合わせて皆、生活を営んでいる。
そうしたことから地球では、『彼らはこの星で生まれた生物ではなく、どこか別の、地球と同じサイクルで動いている星の生物だったのではないだろうか。それがこの星に植民したのではないだろうか』という見方がされている。
でも、詳しいことは分からない。地球人は彼らとの交流を、まだ始めたばかりだから。去年やっと大使館が(私はそこに勤めている)この星に発足したというレベルなのだ。
奇妙なことにこの星の住民は、尻尾を除いて、地球人と変わらない姿をしている。言語も酷似している。
このため『彼らの起源は平行世界の地球ではないか』という説を唱える学者もいる。
でも私は違うと思う。根拠は特にないけど。彼らは私たちと似ているけど、別なのだ。全然別の存在なのだ。
ああ、まだあのハ長調のメロディが流れている。あんなもの止めればいいのに。なんだか泣きたくなってしまう。
彼が困ったような顔で私を見ている。
「疲れてるんじゃないの? このところずっと、休日出勤してたでしょう。よせばいいのに」
そう、そうかもしれない。本国から、早くレポートを送れってせっつかれているから。この星の住人の生態について。
そのために彼と付き合っているのだけど、彼はそのことを知らないのだけど、でも別に、書くことなんてなくて。目新しいことなんかなくて。ただただ寂しいなあって思うばかりで。
何もかもこの果てしなく続く夕暮れのせいだ。大使も言っていた。この星はどうも、なんだか人をメランコリックにさせるねえ。朝の時間に来れたらよかったんだけど、と。
「とりあえず、ちょっと寝たら?」
「……うん。そうする」
私は三角形のソファに横たわる。彼は毛布を掛けてくれる。
窓の赤い日差しを眺めながら、うつらうつらする。
犬(っぽい生き物)がソファに飛び乗ってきて私の傍で丸くなった。
私は夢とも現ともつかない光景を見る。
生まれ故郷の地球。子供の私。
夕暮れの中我が家目指して歩いている。我が家はすぐそこに見える。だけど歩いても歩いてもその分遠ざかってどうしても行く附けない、蜃気楼みたいに。
私は怖くなってきて泣き始める。おかあさん、おとうさん。
「君たちは本当に変わった人たちだね」
そんな声を聴いたような気がした。
あれは誰の声だろう。彼の声に、似ていたけど。
頬がひやりとした。
目が覚める。
彼が飼っている犬(っぽい生き物)が4つ穴の開いた鼻先を私に押し付けていた。
心配しているらしい。
私はそれの頭を撫でてやる。
キッチンから鼻歌が聞こえてきた。甘い匂いも。
彼がおやつを作ってくれているのだ。
この匂いはドーナツ(に似たやつ)だろう。
私はあれが好きだ。皮はパリパリ中はホクホク。
起き上がる。相変わらず窓の外は夕方。彼の声が聞こえる。
「幾つ食べるー?」
私はため息をついて答える。
「3つ」
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