第10話 私の顔を無言でじっと見つめる先生

「あなたに話したい事は…、忘れちゃった。あなたとキスしたら頭が真っ白になっちゃって。」


「冗談ですよね。先生は何か隠していますね。」


先生は穏やかな口調で答える。


「私は梶原副院長にノーとは言えないの。色々と事情があってね。あの人に逆らったら転職も無理ね。バイトくらいしかできないわ。だから、医師の生命を失うわけにはいかないから。」


 先生は何かを悟ったように答える。


「あなたは辻副院長に好かれているでしょう。辻副院長ならあなたを幸せに出来るわ。あの副院長は女性も男性も両方愛せる人。どちらの苦労もわかっている。それはあなたもね。」


私は辻副院長とじっくり話をしたのは一回しかない。私にとって雲の上の存在だ。

ただ、上司としてあちらは私のことを把握しているのかもしれない。


「私は塚本先生が良いんです。もっと先生のことを色々と知りたいんです!」


「なんだか子供みたいね。そういう青臭い感じがからかいところなんだけどね。」


 先生は微笑んだ。


「とりあえず、コーヒーを入れるわね。」


ドリップ式のコーヒーだ。

先生はお湯を沸かし、カップにフィルターをセットして湯を注ぎ、先生と私のカップをテーブルに置く。

ちょっと熱いかなと少しずつ口に入れる。

ふと、私は先生の目線に気づく。先生が私の顔をじっと見ている。


「どうしたんですか、先生」


私が尋ねると、先生は質問に答えずに自分のコーヒーを飲む。






仕事中、辻副院長から呼び出しがあった。

扉をノックして入ると、机に向かってPCと睨めっこしている辻副院長がいる。


「山崎さん、気にしないで。」


と辻副院長。


「お茶入れましょうか?」


「ええと、お願い。ありがとう。」


辻副院長が私の煎れた緑茶を飲み干す。


「忙しそうですし、また後で伺いましょうか。」


「私が職場で忙しいのはいつもの事だから。あなたはここにいて欲しい。」


こうして毎日のように、私は辻副院長の部屋へ行くようになる。

食事の時間が重なる時も多く、栄養課からお弁当もらって辻副院長と一緒に食べる事も。

私はもっぱらお茶係。

副院長は何をしたいんだろう。


ただこれだけはわかる。塚本先生と一緒にいる時のような変な緊張感がない。

世の中は平和なんだという事を実感する。


「山崎さんには毎日のように仕事の合間に来てもらっていますから、もし予定がなければ私と一緒に食事をしませんか。もちろん私の奢りで。」


「良いんですか!嬉しいです。是非。」


金曜日の夜、私は辻副院長と食事に行くことになった。


この時私は知らない。後で起こる事を。





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