第19話 新しい生活のはじまり2

 この世界では、石組のカマドで煮炊きする。

 昨日のうちに使い方を知りたいと言って、横で見学させてもらった。


 なにせ貴族令嬢だった私は、この世界でのカマドを使ったことがない。

 前世の記憶はこのあたりは役に立たなかった。なにせくるっとツマミをひねると火が出る、不思議な装置を使って料理をしていたのだ。


 ジュリアンは、「カマドを使ったことがないのに、どうやって朝食を作ろうとしたんだ?」と、不思議に思ったようだけど。

 そこは貴族令嬢なので、カマドの火起こしなどは使用人がやっていたことにした。


 貴族令嬢だから、という言い訳はとても楽だ。

 楽しくもない人生だったけれど、こんなところで役に立つとは。


 使い方は日本の昔のカマドに、ちょっと魔法的要素が入っている物みたいだ。

 魔石で着火。

 火の加減を調節するために、鉄の板とか、カマドの鍋を置く位置を一段上げる石とかがある。


 そのカマドには、昨日のうちにジュリアンが作ってくれたのか、シチューが鍋に残っていた。

 二人で食べても余りそうなほどたっぷりと。


 そしてこれもジュリアンが自分で焼いたのか、薄いパンが台所のお皿の上に積んであった。こっちもお昼もまかなえそうなほどの量がある。


「料理もできるイケメン……」


 前世の記憶まじりで、そんなつぶやきが口から洩れた。

 さぞお嫁さんになりたい人が多いことだろう。しかも侯爵位まで持っている、王族の親戚。

 さらには魔法使いでもある。


 オルフェ王子なんかじゃ足元にも及ばない好物件だ。


「魔法のためだけに、私と結婚する必要なんてないのに」


 考えてみればおかしい。

 魔術師協会の権威はなかなかのものだ。国王を脅せる要素は他にもある。多少面倒かもしれないし、穏便ではないと思うけど。


「いえ、手っ取り早いのが好きなだけかもしれないわ」


 今それを追及したところで、私にはどうにもできない。

 それにジュリアンに離婚する気がないのなら、その方が長い間守ってもらえるので嬉しいし、婚約破棄された一件に関しても、すぐに結婚できたことで私の名誉も守られる。

 いいことずくめなのに、あれこれ追及する必要はない。


 考えることをやめて、私は食事の支度をする。

 シチューとパンを温め終わった頃、二階からジュリアンが降りて来た。

 魔法使いらしいローブを着ていない、簡素なシャツとズボンだけの姿のジュリアンは、それでも秀麗さを失わない。


 そして素顔を見てしまったように、少しドキッとした。


「おはようございます」


 挨拶されて、慌てて私も返す。


「おはようございます。すみません、昨日は食事の途中で眠ってしまったみたいで……」


「疲れていたんでしょう。元気になりましたか?」


「はい、おかげさまで」


 あたりさわりのない会話の後、食事を始めた。


「あ、おいしい」


 シチューをひと匙食べて、つい言葉が口からこぼれた。


「口に合ったようで良かった」


 微笑むジュリアンを見ていると、私は思わず言ってしまう。


「私、旦那さんに料理を作ってもらうことになるとは思いもしませんでした」


 料理の分担を決めたけど、やっぱり染みついた貴族令嬢としての認識があるから、まさかジュリアンに作ってもらえるとは思わなかったのだ。


「くっ……」


 ジュリアンはびっくりした目で私を見た。

 それを見て、私はようやく変なことを口にしたとわかった。


「あの、すみません。なんか変な話してしまって。その、つい思いついてしまって……」


「いえ、旦那様と呼ばれたのが意外で。でも、夫になるのは間違いないですからね。夫婦だという認識で生活するべきなんでしょう。私も……奥さんと呼ぶべきでしょうか?」


「……!」


 今度は私が驚く番だった。

 恥ずかしさのあまりに、口に入っていたシチューでむせてしまう。

 ゴホゴホとせき込む私を見て、ジュリアンが笑う。

 驚かされた仕返しだったのかもしれない。そう思った私は、少しだけ彼のいじわるな面を見たことに気が楽になりつつ、ジュリアンに要望した。


「奥さんというのは、こう、言葉の破壊力がすごすぎるので、できれば名前で呼んでいただけると有難いです」


 ジュリアンは楽し気な表情でうなずいてくれる。


「では、イセリナ。今度からそう呼びます」


 ――う、これもけっこうすごい!


 私は胸を押さえて突っ伏しそうになった。

 名前呼びも、なんかダメージが来る! でも奥さんよりマシだ。

 急に親密になった気がして、落ち着かない気分になってしまうのだ。

 でもやられっぱなしは嫌だ。


「私も、ジュリアン、と名前で呼びますね」


 そう返したが、ジュリアンは今度こそ驚かずに、嬉しそうに微笑んだ。そこが少し悔しかったのだった。

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