第18話 新しい生活のはじまり1
眠りの中で、声が聞こえる。
そんな風に声をかけてくれるのは誰?
――眠れ、眠れ、夜が明けるまで。
――朝になったら、またおいで。
(おいでってどこへ? そして私、いつ眠ったの……)
そんなことを考えていたら、ふっと目が覚めた。
「あれ」
いつ横になったんだろう。
一階のベッドの上にいた。キルトのカバーの柄で、どこのベッドがわかったのだけど。
ぼんやりとした頭で考える。
「食事をしたのは覚えてるのよ。その後、お茶を飲んでいるうちにどっと疲れが押し寄せたように眠くなってきて」
たぶん、そのまま眠ったのだと思う。
机に突っ伏したような覚えが薄っすらあるから。
その後、ジュリアンに寝台まで運んでもらったのではないだろうか。
「なんて恥ずかしい……」
これがメイド達に運ばれるとかならわかる。けど、これから結婚しようとしている異性に運ばれたというのが、なんだか気恥ずかしくなるのだ。
しかも嫌っている相手ではないから……。
「うん、嫌いじゃ、ない」
むしろ好ましいと思っている。
たとえ私が仕事に必要だからだとしても、彼は礼儀正しく接してくれるし、私を妻にすることが嫌ではないみたいだった。
一緒に話していて、心地よい声。落ち着いた雰囲気に心が緩むのを感じたのは、久しぶりだった。
そんなことを一つ一つ数えて、夫婦として生きて行ける相手かどうか確かめることすらも、まだ不思議に思える。
オルフェ王子のことを除いても、結婚は隣に立ってパーティーへ行く時に遜色のない身分の人を、と教育され、それ以外にはせいぜい容姿が整っているかと年齢のつり合いぐらいしか考えたことがなかったから。
「他の令嬢もそんなものだったわね」
さして親密な交流はないものの、上辺のお付き合いというものはしていた。
時候の挨拶と、たあいのない砂糖菓子の味のことやドレスの流行の話、どこそこの貴族の噂話に耳を傾けるのは嫌いじゃなかった。周り中が私におびえつつ嫌厭していたので、居心地は良くなかったけど。
そんな中でも、やっぱり女性の関心は青年貴族達の容姿のこと。
せいぜい性格が優しいかどうか。
紛争が起こると、頼りがいがあるかどうかに移るけど。それぐらいの差しかない。
「だからみんな、自分に合う性格の人かなんて気にしなかったし、一緒にいて居心地がいい人かどうかは考えていなかったわね。それもそうか……」
しょせん、貴族令嬢に選ぶ権利などほとんどない。
私でさえも、親に指示されて王子の婚約者を目指していたのだ。
決定権をゆだねられて、自分で選んだのは初めてだったかもしれない。
その結婚相手を、疲れていたとはいえお昼から朝まで放置していたのは確実だ。
部屋の隅にある鉱石時計が、朝の時間を示している。
「起きなくちゃ」
朝食をどうにかしなくてはならない。
起き上がってから、私はふと気づいた。
衣服はそのまま。だけど着ていたケープとか、靴とか、靴下は脱がされている。
最初は寝ぼけておかしいとおもわなかったけど、ちょっと待って。
「え、まさか脱がせてもらったの私!?」
ケープと靴までならわかる。でも靴下まで脱がせる必要はないと思う。
この世界では素足を見せるのは結婚相手や家族のみ。それ以外の人間に見せるのは、事故ではない限り、男を誘惑していると非難されかねないのだ。
エプロンも外して、ベッド近くの椅子の背もたれに掛けられているのは仕方ないけど……。
さらに私は、鏡の前に立って驚愕した。
「え、ボタン……」
首元のボタンが外れていた。
「眠るなら、たしかに苦しそうだけど、でも」
上から二つ外されていたボタンに、顔が赤くなる。
でも彼は、自分の結婚相手だ。
書類はすぐに出すと聞いているので、近日中に名実ともに妻になるのだからと思うと、驚いていてはいけないのかもしれない。一緒に生活していくのだから。
一応、私がゆっくり休めるようにしてくれただけだし……。
「とにかく、着替えよう」
私は部屋の隅に置いてある衣服の入った袋を開ける。
メイドとして応募してきた人を採用した場合、この村で衣服をすぐに調達するのは難しいので、ある程度村長夫人に揃えてもらい、用意していたらしいのだ。
袋にも、開けなくてもわかるように、丁寧に「服一式」と書かれていた。
中には上着やスカート、エプロンや薄手のマントなんかが入っていた。
けど、残り一つは下着がぎっしり詰まっていた。
採用される人がどのサイズかわからないと思ってか、大きさは二通り用意されている。
そういえば、村長夫人は細やかな気遣いをしてくれる人だったな、と昨日一泊させてもらった時の対応を思い出す。
入浴の用意をしてもらえたこともびっくりしたのだけど、他所から旅をしてきたのだからと、最小限の荷物では持っていない寝間着を貸してくれたり、雇用先へ挨拶に行くのだからと、服のしわを伸ばしたりしてくれたのだ。
自分に合うサイズだけ選んで、他は部屋のクローゼットに袋に入れてしまい込む。
スカートなどはハンガーにかけて、使いやすいようにした。
ふっと息をついて、すぐ朝食の支度にかかることにした。
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