小屋の中

 六名の男女が、囲炉裏とかまどがある茅葺小屋のなかを占めた。太郎と老婆は土間で、ほかは板の間だ。太郎は自分が戸口にもっとも近いところに置かれたことを光遠に感謝した。光遠が罪人は入り口そば、かまどからも遠ざけるよう言いはったのだ。


 あいにく、太郎に幸運を活かす案は湧いてこなかった。短刀は三郎が抜け目なく拾い上げたし、持衡は木弓に弦をはったまま、光遠も素面とかわらない。媼は客人に椎の実を蒸して出すといい、見慣れない草をくちゃくちゃと噛みつつ、かまどに火をおこした。


 「元気か」持衡が囲炉裏に薪をいくらか放りこむと「まあね」明子が火箸でととのえて息を吹きこみ、火の勢いを強めた。ずぶ濡れの男たちは服を乾かす好機を得た。太郎だけが濡れ鼠のまま尋問が始まった。


 持衡は太郎に、いつから、誰に、どれくらい詐欺をはたらいたかを尋ねた。太郎は正直に、ただし問答のさなかに薪が数本燃えつきるほどにゆっくりと答えた。一方で、三郎は光遠の酒を分けてもらって顔を赤くしていたし、明子は気だるそうにしていた。老婆は持衡と三郎という男の客人たちを見つめていた。


「小官に解せぬのは、おまえがなぜ人質をとっておきながら、宅から逃亡を謀ったのかという点だ。高名なる大井様も、妹君が人質に取られたというのに驚かれた様子が一つもなかった。どうにも解せない」持衡が光遠と太郎を交互に見た。


「そりゃあなあ」自分だけが濡れ鼠であることを思うと、太郎の中に怒りの炎が湧きあがり、血の巡りも良くなって妙案がひらめいた。「人質を取るなんて臆病なことするくらいならって、腹くくったのさ」太郎は持衡を見据えた。


「何を思ったのだ?」「戦だ」「戦?」持衡が眉をひそめる。「小屋にこもってびくびくすっくらいなら、追手どもを血祭りにあげて大盗賊になってやろうと思ったのさ」太郎がまくしたてると、隣の老婆が喉の奥で笑ったが、聞きとったのは太郎だけらしい。


「偽証は罪だ」持衡は目を細めて太郎を見下ろした。「飛び出してきたとき、おまえは短刀を所持していなかった。蛇の肉を魚と偽称する知恵のあるおまえが、丸腰で相撲人たちを相手に戦を企図したと判断するのは無理がある」太郎は咳払いをした。「相撲には相撲よ」


 持衡は首をひねった。「こういうのはどうだ?『助けてえ』と叫ぶのに忙しくて、短刀を持って出るのを忘れたってな」三郎が口を挟み「濡れ鼠だからといじめては噛みつかれよう。あやつが思いついたのは丸腰なら殺されまいという浅知恵さ」光遠が徳利を片手に笑った。


「大井様のおっしゃるとおりで相違ないか」太郎は鼻を鳴らした。「んなこともわかんねえのか」「まだ解せぬ。丸腰なら命は助かるという想定だけでは人質を解放した説明とならない」持衡は首をかしげたままだ。


 太郎は口汚い言葉を吐きすてると、小屋じゅうをにらみつけ、明子に指を突きつけた。明子のわきには、まだ潰れた矢がある。「あの女は馬鹿力だ。だから怖くなって諦めたんだ。妹があれなら兄貴だって力持ちにきまってる」


 話し終えると、太郎の体に震えが走った。周りをみわたすと、持衡と三郎は潰れた矢をみて神妙な顔になっているが、明子と老婆、光遠はいまにも吹き出しそうな顔だ。どこがおかしいのか太郎は見当もつかなかった。


 とうとう光遠が堰を切ったように笑いだし、つづいて老婆と明子も笑い、つられて三郎まで笑いはじめた。四者は笑いに笑った。哄笑のすさまじさといったら、小屋から溢れだして笠置の山中に湖をつくらんばかりだった。笑わなかったのは、太郎と持衡だけだ。


 笑い涙を拭いつつ光遠が語った。「実はな、妹は私より強い」光遠は笑って、おもちゃにしていた青竹を明子へほおった。明子はつまらなそうな顔で受けとめると、両手と膝で、あっという間に竹をへし折った。「これぞうちのオニババよ。鹿角が無いのが無念。あれこそ見ものなんだが」


 光遠はふたたび大笑すると、徳利からひと口のみ「惜しむらくは、あれが女だということよ」またひと口のみ、三度目の大笑いをした。床が震えるほどの笑いを浴びながら、太郎はぽかんと口を開けていた。「おのおのがた、オニババのことは誰にもいわんでくれよ。私の面子が潰れる」


 太郎も追手たちも、あいまいな顔つきのままうなずいたが、我に返るのは持衡がいちばん早かった。「とにかく、おまえは牢に入るのだ」検非違使は太郎を見据えて踏みだした。捕吏の視線にこめられた鋼の意志が、太郎を雁字搦めにする。


 太郎は、持衡の痩せぎすで風雨にまみれた土色の顔と、老婆の肉付きよく炎を照りかえす艷やかな顔とを見くらべた。ぐぅと、太郎の腹が鳴ったとき、太郎の中で何かが目覚めた。いつのまにか、外の雨音も止んでいる。


「この堅物め、しょっぴくならこのクチャクチャうるせえクソババアが先だ。こいつの罪のがでかいぞ」小屋に来てからの仕打ちに対する怒りに、年がら年中続く空腹にたいするやり場のない怒りも混ぜこんで、太郎はありったけぶちまけたが、老婆は動じたようすもない。瑞々しい唇に笑みさえ浮かべている。


「なんの罪だ?」「殺生だよ。おれだって蛇を殺したが、この婆さんはたぬきを二匹も殺して鍋にしたそうだ。殺生は駄目だってのが、仏さまの教えだろ?おれなんて、客が毒にあたって死んじゃいけねえとおもって、マムシはよけてるくらいだ。いいか、マムシとアオダイショウの違いはな…」


 太郎は蛇の模様やすみかの違いについて講釈を並べたて、検非違使を遠ざける楯にしようとした。ほかの捕吏ならともかく持衡なら、しゃべっているだけで逃げ出そうとしない罪人を、縛ったり殴ったりはするまいとおもったのだ。口を閉じなければ、縄もかけられないという読みはあたった。


「…でまあ、蛇にゃ脚がねえけど、たぬきには四本もある。しっぽをいれれば五本さ。足の数でいや、たぬき殺しのが重罪だ。蛇なんて魚みたいなもんだ。うろこもあるからな。おれの罪なんて可愛いもんじゃねえか。どうだ」


 息を切らして語りおえた太郎は、軽蔑の視線が突き刺さることを予感した。実際のところ、光遠と三郎、明子は蔑みを通りこして哀れむような目をよこした。ところが、検非違使だけは違った。太郎から視線を外し、老婆をじっと見つめている。老婆はあいかわらずのニヤつき顔で、なにかを噛んでいる。


 いまや持衡は錐のような視線を媼に突き刺している。検非違使の片手は雉羽の矢をつまんでおり、もう片方の手は爪が白くなるほどに弓を握りしめている。太郎は口を半開きにして家のなかを眺めた。


 張り詰めた空気のなか、持衡が立ち上がってすり足で老婆へと間合いをつめる「いったい何のつもりだ」立ち上がろうとする光遠を持衡は制した。「恐れ入りますが、都の一大事なのです」検非違使は土間におりた。


 あと数歩踏みこめば、かまどの傍らの老婆を叩き斬れるというところで、持衡は矢を抜きはなち鞭のように振るって、黒光りする柳刃の鏃を老婆につきつけた。検非違使の気迫の巻き添えをくって、太郎はたじろいだ。


「貴様、過日に洛中を騒がせた人肉売りだな」媼は小さな瞳で検非違使の眼力を受け止めた。「いかにもそのとおり」老婆の答えは家中のものを凍りつかせた。太郎は、明子ですら物語ではなく実録だと、半ば信じかけているような、信じたくないような顔をしていることに気付いた。


 カラスが三度鳴く声が山々に響きわたる。雲間から差し込む夕日が、太枝をまばらにはめ込んだ窓をぬけて、赤金と黒の縞模様を老婆の頬に映しだす。「逢魔ヶ時だが、飯は食べるかい」老婆は後ろ手でかまどに薪を放りこんだ。検非違使は沈黙を守っている。


 太郎の鼻は煙くささと人いきれに混じって、雨上がりのにおいを嗅ぎ取った。囲炉裏とかまどの両方に火があるが、すきま風は炎をおしこめるかのように肌寒い。太郎は鼻をすすりたくなったが、音をたてるのをはばかるほど、家のなかは張り詰めた有り様である。


 風にあてられたのか、小屋にただよう気にあてられたのか、あるいはひんやりした土間に座りこんでいるせいか。今日一日でさんざん汗をかいたというのに、太郎は家の中を見回しながら、ふいに小便がしたくなった。


「肉はどのように仕入れた」持衡は矢をつがえて拳二つほど引いた。「殺しだよ。行き倒れは肉が少ないからね」老婆は笑っている。「鬼め」「犬め」老婆は持衡を見つめ返した。「客の中には、あんたの姿もあったと思うがね。美味かったろう?」


「親分…」三郎が怯えた目で主人を見ると、検非違使は振りかえって口を開きかけたが、話すまえに矢を弦からはずした。子分に矢を向けていると気付いたのだろう。「大丈夫だ。菜料にしたのではない。捜査のためだ」三郎は、ほっとした様子だった。


 持衡はふたたび媼に向きなおると、弓に矢を番えて引き絞り老婆へと向けた。「犬、あんたはどうして人の肉だって感づいたんだい?」「貴様が売る『牛』の肉と、死んだ牛の肉とでは色が違った」


「狸の肉を売っていたのかもしれないよ。人肉売りだなんて言いがかりで年寄りをいたぶるとは、悪どい検非違使じゃないか。山ごもりの老いぼれを叩いて、一体何を出そうというんだい」老婆はきもちうつむくと、頬に涙を伝わせてみせた。


「小官は刃傷沙汰で死んだ男の肉と、貴様の売る『牛』の肉とを比較した。どちらも同じ色をしていた」「それはそれは、仕事熱心な木っ端役人だね」老婆は拍手した。「褒美にわたしが人肉食いだということも教えてやろう」老婆は謎めいた赤色の舌で唇をなめた。


 持衡が一歩後ずさったのを老婆が指差してあざ笑った。「旱魃もあれば洪水もある。仕方ないだろ?人は生きるためには罪を犯すものさ」「詭弁を弄すな」持衡の言葉に震えが混じる。


「あんたらだって、噂を流してくれたじゃないか。牛肉でさえ売りづらいのに、人肉だ、なんて言われちゃ商売上がったりだったよ」「検非違使庁は噂など立てぬ。ただこうして、捜査をするのみだ」「そういうことにしとくよ」老婆は肩をすくめた。


 持衡と老婆が火花を散らすなか、太郎はじりじりと後ずさり、入り口に近づいていた。家のなかの者たちが、ただならぬ話を耳にしてうろたえ、自分のことを忘れ去っているいまを逃せば後はないと理屈ぬきで感じていた。


 太郎が目だけ動かしてまわりをうかがったとき、明子と目があった。明子は太郎を見つめ返す。太郎の心臓が脈打つ。まもなく明子は視線を落とした。ほんの束の間、明子が微笑んだような気もしたが、太郎の気のせいかもしれなかった。


 太郎は戸口をくぐって姿を消した。

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