琵琶と羅生門

 生きのびるには物語るしかないと、太郎は源博雅の冒険譚を語りはじめた。宮中から消え失せた琵琶「玄象」の音を、ある真夜中に源博雅が聞きつけ、童一人だけを連れて音の源へ向かって羅生門に行き着き、鬼神とも思える存在の手から琵琶を取り戻したと、いう話である。


 太郎でさえ、源博雅の偉業は耳にタコができるほど聞いていた。だからこそ語ってきかせることができる。太郎は語りながら明子の顔色を伺った。都に出むく相撲人の妹のことだ。同じ話を聞いているかも知れない。


 明子がよそ見をするたびに太郎は話を盛った。太郎の語りでは、源博雅は怖がる童を帰して一人で羅生門に向かった。話の中で博雅が門につくと、小屋の外では雨が降りはじめ、話に興をそえた。


 太郎は明子を見つめ、話を盛り上げた。博雅は楼上によじ登って琵琶盗人の正体を三面六臂の鬼と見破り、鬼退治の決まり手は三尺半の大太刀で放つ猪の牙もかくやという突きだ、ということになった。身振り手振りを加え、声色も変えたことは言うまでもない。


 太郎は琵琶についての風聞を付け加えることも忘れなかった。「玄象」は生きているから、下手が弾いても鳴らず、塵一粒ついていても鳴らず、もし火事ともなれば自ら飛び上がって宮城の蔵から外へ逃げ出すと、いう噂だ。


 女達を人質にとったときとは別種の力をふるったおかげで、太郎は汗だくになっていたが、その甲斐あってか、明子は瞳を輝かせていた。もしかすると聞いたことがあったのかもしれないが、満足していることは確かだった。


「おまえさんは何処にいたんだい?」


 老婆が口を挟んで唇をゆがめた。「どこって、そりゃ都にいたのさ。これは都の話だから、都にきまってんだろ」太郎の言い訳に、老婆は口が裂けたかと思うほどの笑みで答えた。太郎の背筋に震えが走った。


「おまえさんの話じゃ源博雅は一人で鬼退治をしたそうだが、誰がその話を語り伝えたんだい?そりゃ大筋は人の噂になろうが子細はどうだ?楼上での果し合いを誰が見た?殿上人ともあろう御方が手柄自慢にふけるはずもなし、お供の童は途中で帰った。残るはおまえさんだが…」


 太郎は身を固くしたまま生唾を飲みこんだ。「鬼退治って柄じゃないだろう?」老婆は話の締めくくりとばかりに、手にしていたなにかの干物をちぎって口に放り込み、くちゃくちゃやりだした。明子は「作り話か」と呟いたきり押し黙った。


「今度は本当のことを話してほしいんだけどねえ」老婆が太郎をねめつけて「おまえさん、いったい何をしでかしたんだい?」戸口のほうへ顎をしゃくった。「およそ大罪人とは見えないよお」老婆の瞳はどんぐりほどに小粒で潤んでいた。


 媼の唇の色合いは紫壇に似ていた。むかし太郎は、いかにも位の高そうな僧侶の手に、さぞ値が張りそうなつやのある数珠を見た。傍らの人に、あの数珠はなにで作ってあるのかときいて、返ってきた答えがシタンであった。シタンとは木の名であると知ったのは、また別のときだった。


 いま、太郎の目の前で、紫檀ならざる紫檀が二つ、くっついたりはなれたりしている。磨き上げた銘木に命の息吹を吹き込んだかのようだ。老婆のものとはおもえぬ、生々しい肉感である。


 太郎は乾いてひび割れた唇を開けたり閉じたりしている。「話しとくれよ。わたしは味方だよ。もし厄介に思ったんなら、お前さんの両眼に火箸を突っ込んで、さっきのいけすかない検非違使に馳走してやったさ」


「婆さん、なにいってんだよ。怖い話ならおれがするからいいんだよ」太郎は後ろへずりさがった。「わたしは思ったことを言っただけだよお。あの検非違使はきっと、拷問の手管をしらないからね、こぼれた目玉を見たらたまげるだろうねえ」


 老婆の微笑みに、太郎は歯を食いしばった。老婆がくろぐろとした鉄の火箸で人の頭をかき回すさまを想像すると、小屋には火があるのに背筋に冷たいものが走った。太郎は強がるつもりで笑ってみたが頬がひきつった。「さあさあ、話してごらん」


「さっさと話してよ。実録のほうが面白そう」明子にせかされると、太郎の喉からは蛇売りが魚売りに变じたのちに、検非違使によって衆目の前で悪事を暴き立てられ、平安京から駆けずって逃げだしたことの顛末が這いだしてきた。


「ちょっと、いや、なんべんもですが、人を騙しただけで殺したり盗んだわけでもない。客だってうまいうまいと食っていたのです。それなのに、あの堅物ときたら…。もうわたしは都では商いができません」悪ぶって作った声音が崩れ、泣くつもりはなかったのに、涙がこぼれた。


 太郎は囲炉裏の煙がしみたかのようにごまかした。「おまえさんは悪くない」媼は太郎を孫のように見つめて「法に沿って正直に生きようなんて、寄り道を怖がる臆病者のすることさ。碁盤の目みたいに真っ直ぐな道なんて都だけ。野に出りゃ、道なんてない。あったって多かれ少なかれ曲がっている」


 太郎は老婆のほうへ身を乗り出した。「おまえさんの所業なんて可愛いもんだよ、わたしなんて足の生えた奴を取って食ったこともあるんだから」太郎が思わず上体をのけぞらせると、明子が噴き出した。「たぬきだよ。ばあやが二匹殺してきて鍋にしたんだ。あのときは血まみれで帰ってきて驚いた」


「あいつらは暴れに暴れてねえ。血は諦めて刃物でえぐったよ」老婆は獲物に止めを刺すさまを熱を込めて再演した。「ひいさまが二匹ともぺろりと平らげてくれて、苦労の甲斐がありました」「流石にたぬき二匹は多すぎたよ。ばあやが拾い食いの猿梨でおなか一杯だなんていうから、仕方なく」


 明子の文句に、老婆は肩をすくめた。「おれなんて蛇を捌いて売るだけで怖いですよ。どうも邪なことをしているみたいで…」太郎の目には、血の出る話をしたあとで平然と食事の話をする女達こそ、鬼退治の剛の者と見えた。鬱蒼たる笠置の山奥となればなおさらである。


「詐欺なんざ邪道の入り口にすぎないけどね、蛇の道こそ正道だよ。脳みそに叩き込んどきな」老婆は炯々と輝く瞳で太郎を見据えた。「邪道が正道ですか?」「蛇みたいにぐねぐね曲がって生きるんだ。おまえさんの曲がり具合はまだまだ。もっと邪道をいきな。さもなきゃ臆病と侮られて失敗ばかりだよ」


 いつのまにか太郎には、天下をしろしめす朝廷の律令ではなく老婆の言葉こそ、法であるかのように思えていた。そもそもなぜ、検非違使たちはごまんといるインチキ商人のなかから自分に目をつけたのか?きっと偶然ではない。太郎自身が臆病者だからにちがいない。


「矢みたいにまっすぐでは駄目なので?」太郎は板の間に転がる二本の竹矢を指差した。持衡が射掛けてきたもので、漆も何もない箆に雉の羽根がついている。「おまえさん、あんまり目がよくないようだねえ。若いのに気の毒なこって」太郎にはわけがわからなかった。


「矢ってのはねえ、実は曲がりくねって飛んでるんだよ。こんど、よおく見てみな」「すみません、見てみます」老婆は笑った。「阿呆め、見てたら死んじまうよ」本当のところはどうなのだろうかと、太郎は首をかしげながら「どうすれば邪道をゆけるのです?」


「いまからとっておきの策を話すからね。おまえさんを男にしてやるよ」老婆はニンマリと笑ってみせた。太郎は居住まいを正し、短刀も鞘に収めて、媼の言葉を待ち受けた。「火付け強盗をするのさ、風の強い日に、宮城でね」太郎は目を剥いた。気が遠くなるかとも思えた。


「もっと小さいのじゃ駄目ですか」「びびってんじゃないよ。手引はしてやっから」「せめて盗みだけとか」たくさんある売り物から一つ盗むくらいならと、太郎は笠を盗もうとしたときのことを思い返したが、老婆はしかめっ面をした。「火、盗み、大内裏、全部あわせてだよ」


「盗むといっても、何を盗めばいいので?」「火がつけば人は値打ち物を持ち出して飛び出す。すかさずひったくる。おのずと珠玉の逸品が手に入るってわけさ」「うまくいくでしょうか?」「大丈夫だよ。わたしは宮仕えをしていたから、道案内くらい造作もないさ」


「ねえ」ふくれっ面で外を眺めていた明子が口を開いた。「ばあやは、さっきの玄象琵琶を聞いたことある?宮仕えしてたとき」老婆は遠い目をした。「一度聞いたら忘れられない、いつまでも聞いていたくなる音色でしたよ。いまでも大切にされているといいんですけどねえ」


 ふと、老婆が口笛をはじめた。かつて聴いた玄象の旋律なのだろうか。太郎は口を半開きにして聞きいった。「鼓でも叩かれてはいかがです?博雅殿」明子が板敷きを拳で叩く素振りをして、太郎に向けて唇の端を釣り上げた。あいにくと、どこで合いの手を入れればよいのか太郎には見当もつかない。


 太郎の胸中は今日の天気と同じく灰色であった。火付け強盗でもすれば度胸がつくのかもしれないが、本当にやったら無罪放免の願いは遠のいてしまう。雨脚を強めた空が、太郎の代わりに伴奏をつとめ、やがて老婆は口笛をとめた。


 太郎の胸中を見透かすように老婆が言う。「こんなの邪道のなかでも簡単なほうだよ。人殺しをするとか、女を手篭めにするとか、そういうのに比べたらね」「半殺しとかじゃ駄目ですか」「晴らしたい恨みでもあるのかい?」太郎は戸口の外を見た。


「あの木っ端役人か、もしかしてノミのほうかい?」「ええと、まあ」太郎は頭をかいた。「半年は傷が疼き続けるやつを教えてやろう。簡単だよ。刃物一本ですむんだから」老婆が手刀をきりはじめたが、どんな話か想像するだけで太郎の胃は裏返りそうだった。「やっぱりいいです」


 老婆は不満そうな唸り声で答えた。「けちな詐欺師で一生終える気かい?」太郎は答えられなかった。外には検非違使、内には山姥。小屋に閉じこもったまま、追手に応援がくるのを待つほかないように思えた。


 とつぜん、太郎の傍らで、角材がへし折れるような音がした。

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