正法眼蔵 無情説法
説法、於、説法するは、仏祖、付属、於、仏祖の見成公案なり。
この説法は、法、説なり。
有情にあらず。
無情にあらず。
有為にあらず。
無為にあらず。
有為、無為の因縁にあらず。
従、縁起の法にあらず。
しかあれども、鳥道に不行なり、仏衆に為与す。
大道、十成するとき、説法、十成す。
法蔵、付属するとき、説法、付属す。
拈華のとき、拈、説法あり。
伝衣のとき、伝、説法あり。
このゆえに、諸仏、諸祖、おなじく、威音王以前より、説法に奉覲しきたり、諸仏以前より、説法に本、行しきたれるなり。
説法は、仏祖の理しきたるとのみ参学することなかれ。
仏祖は、説法に理せられたるなり。
この説法、わずかに八万四千門の法蘊を開演するのみにあらず、無量、無辺門の説法蘊あり。
先仏の説法を後仏は説法すと参学することなかれ。
先仏きたりて後仏なるにあらざるがごとく、説法も先説法を後説法とするにはあらず。
このゆえに、
釈迦牟尼仏、道、
如、三世諸仏、説法之儀式、我、今、亦、如是、説、無分別法。
しかあれば、すなわち、諸仏の、説法を使用するがごとく、諸仏は、説法を使用するなり。
諸仏の、説法を正伝するがごとく、諸仏は、説法を正伝するによりて、古仏より七仏に正伝し、七仏より、いまに正伝して、無情説法あり。
この無情説法に、諸仏あり、諸祖あるなり。
我、今、説、法は、正伝にあらざる新条と学することなかれ。
古来、正伝は、旧窠の鬼窟と証することなかれ。
大唐国、西京、光宅寺、大証国師、因、僧、問、
無情、還、解、説法? 否?
国師、云、
常、説、熾然。
説、無間歇。
僧、曰、
某甲、為、甚麼、不聞?
国師、云、
汝、
自、不聞。
不可、妨、他聞者、也。
僧、曰、
未審。
什麼人、得、聞?
国師、云、
諸聖、得、聞。
僧、曰、
和尚、還、聞? 否?
国師、云、
我、不聞。
僧、曰、
和尚、既、不聞。
爭、知、無情、解、説法?
国師、云、
頼、我、不聞。
我、若、聞、則、斉、於、諸聖。汝、即、不聞、我説法。
僧、曰、
恁麼、則、衆生、無、分、也。
国師、云、
我、
為、衆生、説。
不、為、諸聖、説。
僧、曰、
衆生、聞後、如何?
国師、云、
即、非、衆生。
無情説法を参学せん初心、晩学、この国師の因縁を直、須、勤学すべし。
常、説、熾然。説、無間歇。とあり。
常は、諸時の一分時なり。
説、無間歇は、説、すでに現出するがごときは、さだめて無間歇なり。
無情説法の儀、かならずしも、有情のごとくにあらんずると参学すべからず。
有情の音声、および、有情説法の儀のごとくなるべきがゆえに、有情界の音声をうばうて、無情界の音声に擬するは、仏道にあらず。
無情説法、かならずしも声塵なるべからず。
たとえば、有情の説法、それ、声塵にあらざるがごとくなり。
しばらく、いかなるか有情? いかなるか無情? と問自、問他、功夫、参学すべし。
しかあれば、無情説法の儀、いかにか、あるらん? と審細に留心、参学すべきなり。
愚人、おもわくは、樹林の鳴条する、葉、華の開、落するを無情説法と認ずるは、学、仏法の漢にあらず。
もし、しかあらば、だれが無情説法をしらざらん? だれが無情説法をきかざらん?
しばらく回光すべし。
無情界には、草木、樹林ありや? なしや?
無情界は、有情界にまじわれりや? いなや?
しかあるを、草木、瓦礫を認じて無情とするは、不、遍学なり。
無情を認じて草木、瓦礫とするは、不、参飽なり。
たとえ、いま、人間の所見の草木、等を認じて無情に擬せんとすとも、草木、等も、凡慮のはかるところにあらず。
ゆえ、いかん? となれば、
天上、人間の樹林、はるかに殊異あり。
中国、辺地の所生、ひとしきにあらず。
海裏、山間の草木、みな、不同なり。
いわんや、
空におうる樹木あり。
雲におうる樹木あり。
風、火、等のなかに、所生長の百草、万樹、おおよそ、有情と学しつべき、あり。無情と認ぜられざる、あり。
草木の人畜のごとくなる、あり。
有情、無情、いまだ、あきらめざるなり。
いわんや、仙家の樹、石、華、果、湯、水、等、みるに疑著およばずとも、説著せんに、かたからざらんや?
ただ、わずかに神州一国の草木をみ、日本一州の草木を慣習して、万方、尽界も、かくのごとくあるべし、と擬議、商量することなかれ。
国師、道、
諸聖、得、聞。
いわく、無情説法の会下には、諸聖、立地、聴するなり。
諸聖と無情と、聞を現成し、説を現成せしむ。
無情、すでに諸聖のために説法す。
聖なりや?
凡なりや?
あるいは、無情説法の儀をあきらめおわりなば、諸聖の所聞かくのごとくありと体達すべし。
すでに体達することをえては、聖者の境界をはかりしるべし。
さらに、超凡越聖の通霄路の行履を参学すべし。
国師、いわく、
我、不聞。
この道も、容易、会なりと擬することなかれ。
超凡越聖にして不聞なりや?
擘破凡聖窠窟のゆえに、不聞なりや?
恁麼、功夫して、道取を現成せしむべし。
国師、いわく、
頼、我、不聞。
我、若、聞、則、斉、於、諸聖。
この挙似、これ、一道、両道にあらず。
頼、我は、凡、聖にあらず。
頼、我は、仏祖なるべきか?
仏祖は、超凡越聖するゆえに、諸聖の所聞には一斉ならざるべし。
国師、道の汝、即、不聞、我説法の理道を修、理して、諸仏、諸聖の菩提を料理すべきなり。
その宗旨は、いわゆる、無情説法、諸聖、得、聞。
国師説法、這僧、得、聞なり。
この理道を参学、功夫の日深月久とすべし。
しばらく、国師に問著すべし。
衆生、聞後は、とわず。
衆生、正当聞説法時、如何?
高祖、洞山、悟本大師、参、曩祖、雲巌大和尚、問、曰、
無情説法、什麼人、得、聞?
雲巌、曩祖、云、
無情説法、無情、得、聞。
高祖、曰、
和尚、聞? 否?
曩祖、云、
我、若、聞、汝、即、不得、聞、吾説法、也。
高祖、曰、
若、恁麼、即、某甲、不聞、和尚説法、也。
曩祖、云、
我説法、汝、尚、不聞。
何、況、無情説法、也。
高祖、乃、述、偈、呈、曩祖、曰、
也、太奇。
也、太奇。
無情説法、不思議。
若、将、耳、聴、終、難、会。
眼処、聞、声、方、得、知。
いま、高祖、道の無情説法、什麼人、得、聞? の道理、よく、一生、多生の功夫を審細にすべし。
いわゆる、この問著、さらに、道著の功徳を具すべし。
この道著の皮肉骨髄あり、以心伝心のみにあらず。
以心伝心は、初心、晩学の弁肯なり。
衣を挙して正伝し、法を拈じて正伝する、関棙子、あり。
いまの人、いかでか三秋四月の功夫に究竟することあらん?
高祖、かつて大証、道の無情説法、諸聖、得、聞の宗旨を見聞せりといえども、いま、さらに、無情説法、什麼人、得、聞? の問著あり。
これ、
肯、大証道なりとやせん?
不肯、大証道なりとやせん?
問著なりとやせん?
道著なりとやせん?
もし総、不肯、大証、爭、得、恁麼道?
もし総、肯、大証、爭、解、恁麼道? なり。
曩祖、雲巌、云、
無情説法、無情、得、聞。
この血脈を正伝して、身心脱落の参学あるべし。
いわゆる、無情説法、無情、得、聞は、諸仏説法、諸仏、得、聞の性、相なるべし。
無情説法を聴取せん衆会、たとえ有情、無情なりとも、たとえ凡夫、賢、聖なりとも、これ、無情なるべし。
この性、相によりて、古今の真偽を批判すべきなり。
たとえ西天より将来すとも、正伝、まことの祖師にあらざらんは、もちいるべからず。
たとえ千、万年より習学すること連綿なりとも、嫡嫡、相承にあらずは、嗣続しがたし。
いま、正伝、すでに東土に通達せり。
真偽の通塞、わきまえやすからん。
たとえ衆生説法、衆生、得、聞の道取を聴取しても、諸仏、諸祖の骨髄を稟受しつべし。
雲巌、曩祖の道を聞取し、大証国師の道を聴取して、まさに与、奪せば、諸聖、得、聞の道取する諸聖は無情なるべし。
無情、得、聞と道取する無情は、諸聖なるべし。
無情所説、無情なり。
無情説法、即、無情なるがゆえに。
しかあれば、すなわち、無情説法なり、説法、無情なり。
高祖、道の若、恁麼、則、某甲、不聞、和尚説法、也。
いま、きくところの若、恁麼は、無情説法、無情、得、聞の宗旨を挙拈するなり。
無情説法、無情、得、聞の道理によりて、某甲、不聞、和尚説法、也なり。
高祖、このとき、無情説法の席末を接するのみにあらず、為、無情、説法の志気あらわれて衝、天するなり。
ただ無情説法を体達するのみにあらず、無情説法の聞、不聞を体究せり。
すすみて、有情説法の説、不説、已説、今説、当説にも体達せしなり。
さらに、聞、不聞の説法の、これは有情なり、これは無情なる道理、あきらめおわりぬ。
おおよそ、聞法は、ただ耳根、耳識の境界のみにあらず。
父母未生已前、威音以前、乃至、尽未来際、無尽未来際にいたるまでの挙力、挙心、挙体、挙道をもって聞法するなり。
身先心後の聞法あるなり。
これらの聞法、ともに、得、益あり。
心識に縁せざれば、聞法の益あらず、ということなかれ。
心滅、身没のもの、聞法、得、益すべし。
無心、無身のもの、聞法、得、益すべし。
諸仏、諸祖、かならず、かくのごとくの時節を経歴して、作仏し成祖するなり。
法力の身心を接する、凡慮、いかにしてか覚知しつくさん?
身心の際限、みずから、あきらめつくすこと、えざるなり。
聞法功徳の、身心の田地に下種する、くつる時節あらず。
ついに、生長、ときとともにして、果、成、必然なるものなり。
愚人、おもわくは、
たとえ聞法おこたらずとも、解路に進歩なく、記持に不敢ならんは、その益あるべからず。
人、天の身心を挙して、博記、多聞ならん。
これ、至要なるべし。
即座に忘記し、退席に茫然とあらん、なにの益が、あらん?
と、おもい、
なにの学功か、あらん?
というは、正師にあわず、その人をみざるゆえなり。
正伝の面授あらざるを正師にあらず、とはいう。
仏仏、正伝しきたれるは、正師なり。
愚人のいう心識に記持せられて、しばらく、わすれざるは、聞法の功、いささか心識にも蓋心蓋識する時節なり。
この正当恁麼時は、蓋身、蓋身先、蓋心、蓋心先、蓋心後、蓋因縁報業相性体力、蓋仏、蓋祖、蓋自他、蓋皮肉骨髄、等の功徳あり。
蓋言説、蓋坐臥、等の功徳、現成して、弥綸、弥天なるなり。
まことに、かくのごとくある聞法の功徳、たやすく、しるべきにあらざれども、仏祖の大会に会して、皮肉骨髄を参究せん、説法の功力、ひかざる時節あらず。
聞法の法力、こうむらしめざるところ、あるべからず。
かくのごとくして時節、劫波を頓漸ならしめて、結果の現成をみるなり。
かの多聞、博記も、あながちに、なげすつべきにあらざれども、その一隅をのみ要機とするには、あらざるなり。
参学、これをしるべし。
高祖、これを体達せしなり。
曩祖、道、
我説法、汝、尚、不聞。
何、況、無情説法、也。
これは、高祖、たちまちに証上に、なお、証契を証しもってゆく現成を曩祖、ちなみに、開襟して父祖の骨髄を印証するなり。
なんじ、なお、我説に不聞なり。
これ、凡流の、しかあるにあらず。
無情説法、たとえ万端なりとも、為、慮あるべからず、と証明するなり。
このときの嗣続、まことに、秘要なり。
凡、聖の境界、たやすく、および、うかがうべきにあらず。
高祖、ときに、偈を理して、雲巌、曩祖に呈するに、いわく、
無情説法、不思議は、也、太奇。也、太奇。なり。
しかあれば、無情、および、無情説法、ともに、思議すべきこと、かたし。
いわくの無情、なにものなりとかせん?
凡、聖にあらず、情、無情にあらず、と参学すべし。
凡、聖、情、無情は、説、不説、ともに、思議の境界およびぬべし。
いま、不思議にして太奇なり、また、太奇ならん。
凡夫、賢、聖の智慧、心識、およぶべからず。
天衆、人間の籌量にかかわるに、あらざるべし。
若、将、耳、聴、終、難、会は、たとえ天耳なりとも、たとえ弥界、弥時の法耳なりとも、将、耳、聴を擬するには、終、難、会なり。
壁上耳、棒頭耳ありとも、無情説法を会すべからず。
声塵にあらざるがゆえに。
若、将、耳、聴は、なきにあらず。
百、千劫の功夫をついやすとも、終、難、会なり。
すでに声色のほかの一道の威儀なり。
凡、聖のほとりの窠窟にあらず。
眼処、聞、声、方、得、知。
この道取を箇箇、おもわくは、いま、人眼の所見する草木、華、鳥の往来を眼処の聞声というならん、とおもう。
この見所は、さらに、あやまりぬ。
まったく仏法にあらず。
仏法は、かくのごとくいう道理なし。
高祖、道の眼処、聞、声の参学するには、聞、無情説法声のところ、これ、眼処なり。
現、無情説法声のところ、これ、眼処なり。
眼処、さらに、ひろく参究すべし。
眼処の聞、声は、耳処の聞、声に、ひとしかるべきがゆえに、眼処の聞、声は、耳処の聞、声に、ひとしからざるなり。
眼処に耳根あり、と参学すべからず。
眼、即、耳と参学すべからず。
眼裏、声、現と参学すべからず。
古、云、
尽十方界、是、沙門、一隻眼。
この眼処に聞、声せば、高祖、道の眼処、聞、声ならんと擬議、商量すべからず。
たとえ古人、道の尽十方界、一隻眼の道を学すとも、尽十方は、これ、一隻眼なり。
さらに、
千手頭眼あり。
千正法眼あり。
千耳眼あり。
千舌頭眼あり。
千心頭眼あり。
千通心眼あり。
千通身眼あり。
千棒頭眼あり。
千身先眼あり。
千心先眼あり。
千死中死眼あり。
千活中活眼あり。
千自眼あり。
千他眼あり。
千眼頭眼あり。
千参学眼あり。
千竪眼あり。
千横眼あり。
しかあれば、尽眼を尽界と学すとも、なお、眼処に体究あらず。
ただ聞、無情説法を眼処に参究せんことを急務すべし。
いま、高祖、道の宗旨は、
耳処は、無情説法に難、会なり。
眼処は、聞、声す。
さらに、
通身処の聞、声あり。
遍身処の聞、声あり。
たとえ眼処、聞、声を体究せずとも、無情説法、無情、得、聞を体達すべし、脱落すべし。
この道理、つたわれるゆえに、
先師、天童古仏、道、
胡蘆、藤種、纏、胡蘆。
これ、曩祖の正眼のつたわれ、骨髄のつたわれる、説法、無情なり。
一切説法、無情なる道理によりて、無情説法なり。
いわゆる、典故なり。
無情は、為、無情、説法なり。
喚、什麼、作、無情?
しるべし。
聴無情説法者、是なり。
喚、什麼、作、説法?
しるべし。
不知吾無情者、是なり。
舒州、投子山、慈済大師、(嗣、翠微無学禅師。諱、大同。明覚、云、投子、古仏。)、因、僧、問、
如何、是、無情説法?
師、云、
莫、悪口。
いま、この投子の道取するところ、まさしく、これ、古仏の法謨なり、祖宗の治象なり。
無情説法、ならびに、説法、無情、等、おおよそ、莫、悪口なり。
しるべし。
無情説法は、仏祖の総章、これなり。
臨済、徳山のともがら、しるべからず。
ひとり仏祖なるのみ参究す。
正法眼蔵 無情説法
爾時、寛元元年癸卯、十月二日、在、越州、吉田県、吉峰寺、示、衆。
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