正法眼蔵 説心説性

神山僧密禅師、与、洞山、悟本大師、行、次、

悟本大師、指、傍、院、曰、

裏面、有、人、説心説性。


僧密、師伯、曰、

是、誰?


悟本大師、曰、

被、師伯、一問、直、得、去死、十分。


僧密、師伯、曰、

説心説性底、誰?


悟本大師、曰、

死中、得、活。


説心説性は、仏道の大本なり。

これより仏仏、祖祖を現成せしむるなり。

説心説性にあらざれば、

転、妙法輪することなし。

発心、修行することなし。

大地、有情、同時、成道することなし。

一切衆生、無仏性なることなし。

拈華瞬目は、説心説性なり。

破顔微笑は、説心説性なり。

礼拝、依位而立は、説心説性なり。

祖師入梁は、説心説性なり。

夜半伝衣は、説心説性なり。

拈、拄杖、これ、説心説性なり。

横、払子、これ、説心説性なり。

おおよそ、仏仏、祖祖のあらゆる功徳は、ことごとく、これ、説心説性なり。

平常の説心説性あり。

牆壁、瓦礫の説心説性あり。

いわゆる、

心、生、種種法、生の道理、現成し、

心、滅、種種法、滅の道理、現成する、

しかしながら、心の説なる時節なり、性の説なる時節なり。

しかあるに、心を通ぜず、性に達せざる庸流、くらくして、説心説性をしらず、談玄談妙をしらず、仏祖の道にあるべからざるといい、あるべからざるとおしう。

説心説性を説心説性としらざるによりて、説心説性を説心説性とおもうなり。

これ、ことに、大道の通塞を批判せざるによりてなり。

後来、径山、大慧禅師、宗杲というありて、いわく、

いまのともがら、説心説性をこのみ、談玄談妙をこのむによりて、得道おそし。

ただ、まさに、心、性、ふたつながら、なげすてきたり、玄、妙、ともに、忘じきたりて、二相、不生のとき、証契するなり。


この道取、いまだ仏祖の縑緗をしらず、仏の列辟をきかざるなり。

これによりて、心は、ひとえに慮知念覚なりとしりて、慮知念覚も心なることを学せざるによりて、かくのごとく、いう。

性は澄湛、寂静なるとのみ妄計して、仏性、法性の有無をしらず、如是性をゆめにもいまだみざるによりて、しかのごとく仏法を僻見せるなり。

仏祖の道取する心は、皮肉骨髄なり。

仏祖の保任せる性は、竹箆、拄杖なり。

仏祖の証契する玄は、露柱、灯籠なり。

仏祖の挙拈する妙は、知見、解会なり。

仏祖の、真実に仏祖なるは、はじめより、この心、性を聴取し、説取し、行取し、証取するなり。

この玄妙を保任取し、参学取するなり。

かくのごとくなるを学仏祖の児孫という。

しかのごとくに、あらざれば、学道にあらず。

このゆえに、得道のとき、得道せず、不得道のとき、不得道ならざるなり。

得、不の時節、ともに、蹉過するなり。

たとえ、なんじがいうがごとく、心、性、ふたつながら忘ず、というは、心の、説あらしむる分なり。

百、千、万、億分の少分なり。

玄、妙、ともに、なげすてきたる、という、談玄の、談ならしむる分なり。

この関棙子を学せず、おろかに、忘ずといわば、手をはなれんずるとおもい、身に、のがれぬるとしれり。

いまだ小乗の局量を解脱せざるなり。

いかでか大乗の奥玄におよばん?

いかに、いわんや、向上の関棙子をしらんや?

仏祖の茶飯を喫しきたるといいがたし。

参師勤恪するは、ただ説心説性を身心の正当恁麼時に体究するなり、身先身後に参究するなり。

さらに、二、三の、ことなることなし。


爾時、初祖、謂、二祖、曰、

汝、

但、外、息、諸縁、内心、無、喘、心、如、牆壁、可、以、入、道。


二祖、

種種、説心説性、倶、不証契。

一日、忽然、省、得。

果、白、初祖、曰、

弟子、此回、始、息、諸縁、也。


初祖、知、其已悟、更不窮詰、只、曰、

莫、成、断滅? 否?


二祖、曰、

無。


初祖、曰、

子、

作麼生?


二祖、曰、

了了、常、知。

故、言、之、不可及。


初祖、曰、

此、乃、従上、諸仏諸祖、所伝、心体。

汝、今、既得。

善、自、護持。


この因縁、疑著するものあり、挙拈するあり。

二祖の、初祖に参侍せし因縁のなかの一因縁、かくのごとし。

二祖、しきりに説心説性するに、はじめは、相契せず。

ようやく、積功累徳して、ついに、初祖の道を得道しき。


庸愚、おもうらくは、

二祖、はじめに、説心説性せしときは、証契せず。

その、とが、説心説性するにあり。

のちには、説心説性をすてて証契せり。

と、おもえり。

心、如、牆壁、可、以、入、道の道を参徹せざるによりて、かくのごとくいうなり。

これ、ことに、学道の区別に、くらし。

ゆえ、いかん? となれば、

菩提心をおこし、仏道修行におもむくのちよりは、難行をねんごろにおこなうとき、おこなうといえども、百行に一当なし。

しかあれども、或、従、知識、或、従、経巻して、ようやく、あたることをうるなり。

いまの一当は、むかしの百不当のちからなり、百不当の一老なり。

聞教、修道、得証、みな、かくのごとし。

きのうの説心説性は百不当なりといえども、きのうの説心説性の百不当、たちまちに今日の一当なり。

行、仏道の初心のとき、未練にして、通達せざればとて、仏道をすてて余道をへて仏道をうること、なし。

仏道修行の始終に達せざるともがら、この通塞の道理なることをあきらめがたし。

仏道は、初、発心のときも仏道なり、成、正覚のときも仏道なり、初中後、ともに、仏道なり。

たとえば、万里をゆくものの、一歩も千里のうちなり、千歩も千里のうちなり。

初、一歩と千歩と、ことなれども、千里のおなじきがごとし。

しかあるを、至愚のともがらは、おもうらく、

学仏道の時は、仏道にいたらず。

果上の時のみ、仏道なり。と。


挙、道、説、道をしらず、

挙、道、行、道をしらず、

挙、道、証、道をしらざるによりて、かくのごとし。

迷人のみ、仏道修行して大悟す、と学して、不迷人も、仏道修行して大悟す、としらず、きかざるともがら、かくのごとくいうなり。

証契よりさきの説心説性は、仏道なりといえども、説心説性して証契するなり。

証契は、迷者の、はじめて大悟するをのみ証契という、と参学すべからず。

迷者も、大悟し、

悟者も、大悟し、

不悟者も、大悟し、

不迷者も、大悟し、

証契者も、証契するなり。

しかあれば、説心説性は、仏道の正直なり。

杲公、この道理に達せず、説心説性すべからずという、仏道の道理にあらず。

いまの大宋国には、杲公におよべるも、なし。

高祖、悟本大師ひとり、諸祖のなかの尊として、説心説性の説心説性なる道理に通達せり。

いまだ通達せざる諸方の祖師、いまの因縁のごとくなる道取なし。

いわゆる、僧密、師伯と大師と、行、次に、傍、院をさして、いわく、

裏面、有、人、説心説性。

この道取は、高祖、出世より、このかた、法孫、かならず、祖風を正伝せり。

余門の、夢にも見聞せるところにあらず。

いわんや、夢にも領覧の方をしらんや?

ただ嫡嗣たるもの、正伝せり。

この道理もし正伝せざらんは、いかでか仏道に達、本ならん?

いわゆる、いまの道理は、

或、裏、或、面、有、人、人有、説心説性なり。

面、裏、心、説、面、裏、性、説なり。

これを参究、功夫すべし。

性にあらざる説、いまになし。

説にあらざる心、いまだあらず。

仏性というは、一切の説なり。

無仏性というは、一切の説なり。

仏性の性なることを参学すというとも、有仏性を参学せざらんは、学道にあらず。

無仏性を参学せざらんは、参学にあらず。

説の、性なることを参学する、これ、仏祖の嫡孫なり。

性は、説なることを信受する、これ、嫡孫の仏祖なり。

心は、疎動し、性は、恬静なり、と道取するは、外道の見なり。

性は、澄湛にして、相は、遷移する、と道取するは、外道の見なり。

仏道の学心学性、しかあらず。

仏道の行心行性は、外道に、ひとしからず。

仏道の明心明性は、外道、その分あるべからず。

仏道には、

有人の説心説性あり。

無人の説心説性あり。

有人の不説心不説性あり。

無人の不説心不説性あり。

説心、未説心、説性、未説性あり。

無人のときの説心を学せざれば、説心、未到、田地なり。

有人のときの説心を学せざれば、説心、未到、田地なり。

説心、無人を学し、

無人、説心を学し、

説心、是、人を学し、

是、人、説心を学するなり。

臨済の道取する尽力は、わずかに無位真人なりといえども、有位真人をいまだ道取せず。

のこれる参学、のこれる道取、いまだ現成せず。

未到、参徹地というべし。

説心説性は、説仏説祖なるがゆえに、耳処に相見し、眼処に相見すべし。

ちなみに、僧密、師伯、いわく、

是、誰?

この道取を現成せしむるに、僧密、師伯、さきにも、この道取に乗ずべし、のちにも、この道取に乗ずべし。

是、誰? は、那裏の説心説性? なり。

しかあれば、是、誰? と道取せられんとき、是、誰? と思量取せられんときは、すなわち、説心説性なり。

この説心説性は、余力のともがら、かつて、しらざるところなり。

子をわすれて賊とするゆえに、賊を認じて子とするなり。

大師、いわく、

被、師伯、一問、直、得、去死、十分。

この道をきく参学の庸流、おおく、おもう、

説心説性する有人の是、誰? といわれて、直、得、去死、十分なるべし。

そのゆえは、是、誰? のことば、対面、不相識なり。

全無所見なるがゆえに、死句なるべし。


かならずしも、しかにはあらず。

この説心説性は、徹者、まれなりぬべし。

十分の去死は、一二分の去死にあらず。

このゆえに、去死の十分なり。

被、問の正当恁麼時、だれが、これを遮、天、蓋、地にあらずとせん?

照、古、也、際、断なるべし。

照、今、也、際、断なるべし。

照、来、也、際、断なるべし。

照、正当恁麼時、也、際、断なるべし。

僧密、師伯、いわく、

説心説性底、誰?

さきの是、誰? と、いまの是、誰? と、その名は、張三なりとも、その人は、李四なり。

大師、いわく、

死中、得、活。

この死中は、直、得、去死を直指すとおもい、説心説性底を直指して是、誰? とは、みだりに道取するにあらず。

是、誰? は、説心説性の有人を差排す。

かならず、十分の去死を万期せずというと参学することありぬべし。

大師、道の死中、得、活は、有人、説心説性の声色、現前なり。

また、さらに、十分の去死のなかの一、両分なるべし。

活は、たとえ全活なりとも、死の、変じて活と現ずるにあらず。

得、活の頭正尾正に脱落なるのみなり。

おおよそ、仏道祖道には、かくのごとくの説心説性ありて参究せらるるなり。

又、且のときは、十分の死を死して、得、活の活計を現成するなり。

しるべし。

唐代より今日にいたるまで、説心説性の仏道なることをあきらめず、教行証の説心説性にくらくて、胡説乱道する可憐憫者、おおし。

身先身後に、すくうべし。

為、道すらくは、説心説性は、これ、七仏、祖師の要機なり。


正法眼蔵 説心説性

爾時、寛元元年癸卯、在、于、日本国、越州、吉田県、吉峰寺、示、衆。

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