正法眼蔵 行仏威儀

諸仏、かならず、威儀を行足す。

これ、行仏なり。

行仏、それ、

報仏にあらず。

化仏にあらず。

自性身仏にあらず。

他性身仏にあらず。

始覚、本覚にあらず。

性覚、無覚にあらず。

如是等仏、たえて行仏に斉肩すること、うべからず。

しるべし。

諸仏の仏道にある、覚をまたざるなり。

仏向上の道に行履を通達せること、唯、行仏のみなり。

自性仏等、夢也未見在なるところなり。

この行仏は、頭頭に威儀、現成するゆえに、身前に威儀、現成す、道前に化機、漏泄すること、亙時なり、亙方なり、亙仏なり、亙行なり。

行仏にあらざれば、仏縛、法縛、いまだ解脱せず、仏魔、法魔に党類せらるるなり。

仏縛というは、菩提を菩提と知見、解会する、即、知見、即、解会に即、縛せられぬるなり。

一念を経歴するに、なお、いまだ解脱の期を期せず、いたずらに錯解す。

菩提を、すなわち、菩提なりと見解せん、これ、菩提、相応の知見なるべし。だれが、これを邪見といわん? 想憶す、これ、すなわち、無縄自縛なり。

縛縛、綿綿として樹、倒、藤、枯にあらず。

いたずらに仏辺の窠窟に活計せるのみなり。

法身の、やまうをしらず。

報身の窮をしらず。

教家、(経師、)論師、等の仏道を遠聞せる、なおし、いわく、

即、於、法性、起、法性見、即是、無明。


この教家の、いわくは、法性に法性の見おこるに、法性の縛をいわず、さらに無明の縛をかさぬ。

法性の縛、あることをしらず。

あわれむべしといえども、無明縛のかさなれるをしれるは、発菩提心の種子となりぬべし。

いま、行仏、かつて、かくのごとくの縛に縛せられざるなり。

かるがゆえに、我、本、行、菩薩道。所成、寿命、今猶、未尽、復、倍、上数なり。

しるべし。

菩薩の寿命、いまに連綿とあるにあらず、仏寿命の過去に布遍せるにあらず。

いま、いう、上数は、全所成なり。

いいきたる、今猶は、全寿命なり。

我、本、行、たとえ万里、一条鉄なりとも、百年、抛却、任、縦横なり。

しかあれば、すなわち、

修、証は無にあらず。

修、証は有にあらず。

修、証は染汚にあらず。

無仏、無人の所在に百、千、万ありといえども、行仏を染汚せず。

ゆえに、行仏の修、証に染汚せられざるなり。

修、証の不染汚なるにはあらず。

この不染汚、それ、不無なり。


曹谿、いわく、

祗、此不染汚、是、諸仏之所護念。

汝、亦、如是。

吾、亦、如是。

乃至、西天、諸祖、亦、如是。


しかあれば、すなわち、汝、亦、如是のゆえに諸仏なり(、吾、亦、如是のゆえに諸仏なり)。

まことに、われにあらず、なんじにあらず。

この不染汚に、

如、吾、是、吾、諸仏所護念、これ、行仏、威儀なり。

如、汝、是、汝、諸仏所護念、これ、行仏、威儀なり。

吾、亦のゆえに、師勝なり。

汝、亦のゆえに、資強なり。

師勝資強、これ、行仏の明、行足なり。

しるべし。

是、諸仏之所護念と、吾、亦なり、汝、亦なり。

曹谿古仏の道得、たとえ、われにあらずとも、なんじにあらざらんや?

行仏之所護念、行仏之所通達、それ、かくのごとし。

かるがゆえに、しりぬ。

修、証は性、相、本末、等にあらず。

行仏の去就、これ、果然として仏を行ぜしむるに、仏、すなわち、行ぜしむ。

ここに( or さらに)、

為、法、捨、身あり。

(為、身、捨、法あり。)

不惜、身命あり( or なり)。

但惜、身命あり( or なり)。

法のために法をすつるのみにあらず、心のために法をすつる威儀あり。

捨は、無量なること、わするべからず。

仏量を拈来して大道を測量し度量すべからず。

仏量は一隅なり。

たとえば、華開のごとし。

心量を挙来して威儀を摸索すべからず、擬議すべからず。

心量は一面なり。

たとえば、世界のごとし。

一茎草量、あきらかに、仏祖心量なり。

これ、行仏の蹤跡を認ぜる( or 認ずる)一片なり。

一心量、たとえ無量仏量を包含せりと見徹すとも、行仏の容止動静を量せんと擬するには、もとより、過量の面目あり。

過量の行履なるがゆえに、即、不中なり、使、不得なり、量、不及なり。

しばらく、行仏威儀に一究あり。

即、仏、即、自と恁麼来せるに、吾、亦、汝、亦の威儀、それ、唯、我、能にかかわれりというとも、すなわち、十方仏然の脱落、これ、同条のみにあらず。

かるがゆえに、

古仏、いわく、

体取、那辺事、却、来、這裏、行履。


すでに恁麼、保任するに、諸法、諸身、諸行、諸仏、これ、親切なり。

この行法身仏、おのおの承当に罣礙あるのみなり。

承当に罣礙あるがゆえに、承当に脱落あるのみなり。

眼礙の明明百草頭なる、不見、一法。不見、一物。と動著することなかれ。

這法に若、至なり、那法に若、至なり。

拈来拈去、出入同門に行履する、遍界、不曾蔵なるがゆえに、世尊の密語、密証、密行、密付、等あるなり。

出門、便是、草。入門、便是、草。万里、無寸、草。(なり。)

入之一字、出之一字、這頭、也、不用得、那頭、也、不用得。なり。

いまの把捉は放行をまたざれども、これ、夢幻、空華なり。

だれが、これを夢幻、空華と将錯就錯せん。

進歩、也、錯。退歩、也、錯。一歩、也、錯。両歩、也、錯。なるがゆえに錯錯なり。

天地懸隔するがゆえに至道、無難なり。

威儀、儀威。大道体寛と究竟すべし。

しるべし。

出生、合道、出なり。

入死、合道、入なり。

その頭正尾正に玉転珠回の威儀、現前するなり。

仏威儀の一隅を遣有するは尽乾坤大地なり尽生死去来なり、塵刹なり、蓮華なり。

(これ、)塵刹、蓮華、おのおの一隅なり。

学人、おおく、おもわく、尽乾坤というは、この南瞻部洲をいうならん、と擬せられ、また、この一四洲をいうならん、と擬せられ、ただ、また、神丹一国、おもいにかかり、日本一国、おもいにめぐるがごとし。

また、尽大地というも、ただ三千大千世界、とおもうがごとし、わずかに一洲、一県をおもいにかくるがごとし。

尽大地、尽乾坤の言句を参学せんこと、三次、五次もおもいめぐらすべし、ひろきにこそは、とて、やみぬることなかれ。

この得道は極大同小、極小同大の超仏越祖なるなり。

大の有にあらざる、小の有にあらざる、疑著ににたりといえども、威儀行仏なり。

仏仏、祖祖の道取する尽乾坤の威儀、尽大地の威儀、ともに、不曾蔵を遍界と参学すべし。

遍界、不曾蔵なるのみには、あらざるなり。

これ、行仏一中の威儀なり。

仏道を説著するに、胎生、化生、等は仏道の行履なりといえども、いまだ湿生、卵生、等を道取せず。

いわんや、この胎卵湿化生のほかに、なお生あること、夢也未見在なり。

いかに、いわんや、胎卵湿化生のほかに、胎卵湿化生あることを見聞覚知せんや?

いま、仏仏、祖祖の大道には胎卵湿化生のほかの胎卵湿化生あること、不曾蔵に正伝せり、親密に正伝せり。

この道得、きかず、ならわず、しらず、あきらめざらんは、なにの党類なりとかせん?

すでに四生は、きくところなり、死は、いくばくか、ある?

四生には四死あるべきか?

また、三死、二死あるべきか?

また、五死、六死、千死、万死あるべきか?

この道理、わずかに疑著せんも参学の分なり。

しばらく、功夫すべし。

この四生衆類のなかに、生はありて死なきもの、あるべしや?

また、死のみ単伝にして生を単伝せざる、ありや?

単生単死の(類の)有無、かならず、参学すべし。

わずかに無生の言句をききて、あきらむることなく、身心の功夫をさしおくがごとくするもの(も)あり。

これ、愚鈍の、はなはだしきなり。

信、法、頓、漸の論にもおよばざる畜類といいぬべし。

ゆえ、いかんとなれば、たとえ無生ときくというとも、この道得の意旨、作麼生? なるべし。

さらに無仏、無道、無心、無滅なるべしや? 無無生なるべしや? 無法界、無法性なるべしや? 無死なるべしや? と功夫せず、いたずらに水、草の但、念なるがゆえなり。

しるべし。

生死は仏道の行履なり。

生死は仏家の調度なり。

使、也、要、使なり。

明、也、明、得なり。

ゆえに、諸仏は、この通塞に明明なり、この要使に得得なり。

この生死の際にくらからん、だれが、なんじをなんじ、と、いわん?

だれが、なんじを了生達死の漢といわん?

生死にしずめり( or しずむ)、ときくべからず。

生死にあり、としるべからず。

生死を生死なりと信受すべからず、不会すべからず、不知すべからず。

あるいは、いう、ただ人道のみに諸仏、出世す。

さらに余方余道には出現せず。とおもえり。

いうがごとくならば、仏在のところ、みな、人道なるべきか?

これは人仏の唯我独尊の道得なり。

さらに天仏もあるべし。

仏仏もあるべきなり。

諸仏は唯、人間のみに出現す、と、いわんは、仏祖の閫奥にいらざるなり。

祖宗、いわく、

釈迦牟尼仏、自、従、迦葉仏、所伝、正法、往、兜率天、化、兜率陀天、于、今、有在。


まことに、しるべし。

人間の釈迦は、このとき滅度、現の化をしけりといえども、上天の釈迦は于、今、有在にして化、天するものなり。

学人、しるべし。

人間の釈迦の千変万化の道著あり、行取あり、説著あるは、人間一隅の放光、現、瑞なり。

おろかに、上天の釈迦、その化、さらに千品万門ならん、しらざるべからず。

仏仏正伝する大道の断絶を超越し、無始無終を脱落せる宗旨、ひとり仏道のみに正伝せり。

自余の諸類、しらず、きかざる功徳なり。

行仏の設、化するところには、四生にあらざる衆生あり、天上、人間、法界、等にあらざるところ、あるべし。

行仏の威儀を覰見せんとき、天上、人間のまなこをもちいることなかれ( or もちいるべからず)。

天上、人間の情量をもちいるべからず。

これを挙して測量せんと擬することなかれ。

十聖三賢、なお、これをしらず、あきらめず。

いわんや、人中、天上の測量のおよぶことあらんや?

人量、短小なるには識、智も短小なり。

寿命、短促なるには思慮も短促なり。

いかにしてか、行仏の威儀を測量せん?

しかあれば、すなわち、ただ人間を挙して仏法とし、人法を挙して仏法を局量せる家門、かれ、これ、ともに、仏子と許可することなかれ。

これ、ただ業報の衆生なり。

いまだ身心の聞法あるにあらず。

いまだ行道せる身心なし。

従、法、生にあらず。

従、法、滅にあらず。

従、法、見にあらず。

従、法、聞にあらず。

従、法、行住坐臥にあらず。

かくのごとくの党類、かつて法の潤益なし。

行仏は、本覚を愛せず、始覚を愛せず、無覚にあらず、有覚にあらず、という、すなわち、この道理なり。

いま、凡夫の活計する有念、無念、有覚、無覚、始覚、本覚、等、ひとえに凡夫の活計なり、仏仏、相承せるところにあらず。

凡夫の有念と諸仏の有念と、はるかにことなり、比擬することなかれ。

凡夫の本覚と活計すると、諸仏の本覚と証せると、天地懸隔なり、比論の所及にあらず。

十聖三賢の活計、なお、諸仏の道におよばず。

いたずらなる算、沙の凡夫、いかでか、はかることあらん?

しかあるを、わずかに凡夫、外道の本末の邪見を活計して、諸仏の境界とおもえるやから、おおし。

諸仏、いわく、此輩、罪根、深重なり、可憐愍者なり。


深重の罪根、たとえ無端なりとも、此輩の深重、担なり。

この深重、担、しばらく、放行して著眼看すべし。

把定して自己を礙すというとも、起首にあらず。

いま、行仏威儀の無礙なる、ほとけに礙せらるるに、拕泥帯水の活路を通達しきたるゆえに、無罣礙なり。

上天にしては化、天す。

人間にしては化、人す。

華開の功徳あり、世界起の功徳あり。

かつて間隙なきものなり。

このゆえに、自他に迥脱あり、往来に独抜あり。

即、往、兜率天なり。

即、来、兜率天なり。

即即、兜率天なり。

即、往、安楽なり.

即、来、安楽なり。

即即、安楽なり。

即、迥脱、兜率なり。

即、迥脱、安楽なり。

即、打破、百雑砕、安楽、兜率なり。

即、把定、放行、安楽、兜率なり。

一口、呑尽なり。

しるべし。

安楽、兜率というは、浄土、天堂、ともに、輪回することの同般なるとなり。

行履なれば、浄土、天堂、おなじく、行履なり。

大悟なれば、おなじく、大悟なり。

大迷なれば、おなじく、大迷なり。

これ、しばらく、行仏の鞋裏の動指なり。

あるときは、一道の放屁声なり、放屎香なり、鼻孔あるは嗅得す、耳処、身処、行履処あるに聴取するなり。

また、得、吾皮肉骨髄するときあり、さらに行得に他より、えざるものなり。

了生達死の大道すでに豁達するに、ふるくよりの道取あり。

大聖は、

生死を心にまかす。

生死を身にまかす。

生死を道にまかす。

生死を生死にまかす。


この宗旨、あらわるる、古今のときにあらずといえども、行仏の威儀、忽爾として行尽するなり。

道、環として、生死、身心の宗旨、すみやかに弁肯するなり。

行尽、明尽、これ、強為の為にあらず、迷頭認影に大似なり、回光返照に一如なり。

その明上又明の明は、行仏に弥綸なり。

これ、行取に一任せり。

この任任の道理、すべからく、心を参究すべきなり。

その参究の兀爾は、万回、これ、心の明白なり。

三界、ただ心の大隔なり、と知及し会取す。

この知及会取、さらに万法なりといえども、自己の家郷を行取せり、当人の活計を便是なり。

しかあれば、句中取則し、言外求巧する再三撈漉、それ、把定にあまれる把定あり、放行にあまれる放行あり。

その功夫は、

いかなるか、これ、生?

いかなるか、これ、死?

いかなるか、これ、身心?

いかなるか、これ、与、奪?

いかなるか、これ、任、違?

それ、

同門出入の不相逢なるか?

一著落在に蔵身露角なるか?

大慮而解なるか?

老思而知なるか?

一顆明珠なるか?

一大蔵教なるか?

一条、拄杖なるか?

一枚、面目なるか?

三十年後なるか?

一念万年なるか?

子細に𢮦点し、𢮦点を子細にすべし。

𢮦点の子細にあたりて、満眼聞声、満耳見色、さらに沙門、一隻眼の開明なるに、不是、目前法なり、不是、目前事なり。

雍容の破顔あり、瞬目あり。

これ、行仏の威儀の暫爾なり。

被物牽にあらず、不牽物なり。

縁起の無生、無作にあらず。

本性、法性にあらず。

住法位にあらず。

本有然にあらず。

如是を是するのみにあらず。

ただ威儀、行仏なるのみなり。

しかあれば、すなわち、為法、為身の消息、よく、心にまかす。

脱生脱死の威儀、しばらく、ほとけに一任せり。

ゆえに、道取あり。

万法、唯心。

三界、唯心。


さらに向上に道得するに、唯心の道得あり、いわゆる、牆壁、瓦礫なり。

唯心にあらざるがゆえに、牆壁、瓦礫にあらず。

これ、行仏の威儀なる、任心、任法、為法、為身の道理なり。

さらに、始覚、本覚、等の所及にあらず。

いわんや、外道、二乗、三賢十聖の所及ならんや?

この威儀、ただ、これ、面面の不会なり、枚枚の不会なり。

たとえ活鱍々地も条条聻なり。

一条、鉄か?

両頭、動?

一条、鉄は、長短にあらず。

両頭、動は、自他にあらず。

この展事投機のちから、功夫をうるに、

威掩万法なり。

眼高一世なり。

収放をさえざる光明あり、僧堂、仏殿、廚庫、三門。

さらに収放にあらざる光明あり、僧堂、仏殿、廚庫、三門なり。

さらに十方通のまなこ、あり。

大地全収のまなこ、あり。

心のまえ、あり。

心のうしろ、あり。

かくのごとくの眼耳鼻舌身意、光明、功徳の熾然なるゆえに、

不知有を保任せる三世諸仏あり。

却知有を投機せる貍奴、白牯( or 白狗)あり。

この巴鼻あり、この眼睛あるは、法の行仏のとき、法の行仏をゆるすなり。


雪峰山、真覚大師、示、衆、云、

三世諸仏、在、火焔裏、転、大法輪。


玄沙院、宗一大師、曰、

火焔、為、三世諸仏、説、法。

三世諸仏、立、地、聴。


圜悟禅師、曰、

将、謂、猴、白。

更、有、猴、黒。

互換、投機。

神出鬼没。

烈焔亙天、仏、説、法。

亙天烈焔、法、説、仏。

風前、剪断、葛藤窠、

一言、勘破、維摩詰。


いま三世諸仏というは、一切諸仏なり。

行仏は、すなわち、三世諸仏なり。

十方諸仏ともに、三世にあらざるなし。

仏道は、三世をとくに、かくのごとく説尽するなり。

いま、行仏をたずぬるに、すなわち、三世諸仏なり。

たとえ知有なりといえども、たとえ不知有なりといえども、かならず、三世諸仏なる行仏なり。

しかあるに、三位の古仏、おなじく、三世諸仏を道得するに、かくのごとくの道あり。


しばらく、雪峰のいう、三世諸仏、在、火焔裏、転、大法輪という、この道理、ならうべし。

三世諸仏の転法輪の道場は、かならず、火焔裏なるべし。

火焔裏、かならず、仏道場なるべし。

経師、論師、きくべからず。

外道、二乗、しるべからず。

しるべし。

諸仏の火焔は、諸類の火焔なるべからず。

また、諸類は火焔あるか? なきか? とも照顧すべし。

三世諸仏の在、火焔裏の化儀、ならうべし。

火焔裏に所在する時は、

火焔と諸仏と、親切なるか? 転、疎なるか?

依正一如なるか?

依報正報あるか?

依正同条なるか?

依正同隔なるか?

転大法輪は転自転機あるべし。

展事、投機なり。

転、法。法、転。あるべし。

すでに転、法輪という。

たとえ尽大地、これ、尽火焔なりとも、

転、火輪の法輪あるべし。

転、諸仏の法輪あるべし。

転、法輪の法輪あるべし。

転、三世の法輪あるべし。

しかあれば、すなわち、火焔は、諸仏の転、大法輪の大道場なり。

これを界量、時量、人量、凡聖量、等をもって測量( or 測度)するは、あたらざるなり。

これらの量に量せられざれば、すなわち、三世諸仏、在、火焔裏、転、大法輪なり。

すでに三世諸仏という。

これ、量を超越せるなり。

三世諸仏、転法輪の道場なるがゆえに、火焔、あるなり。

火焔あるがゆえに、諸仏の道場、あるなり。


玄沙、いわく、火焔の、三世諸仏のために説法するに、三世諸仏は立、地、聴法す。

この道をききて、玄沙の道は雪峰の道よりも道得是なり、という(が)、かならずしも、しかあらざるなり。

しるべし。

雪峰の道は、玄沙の道と別なり。

いわゆる、雪峰は三世諸仏の転大法輪の所在を道取し、玄沙は三世諸仏の聴法を道取するなり。

雪峰の道、まさしく、転法を道取すれども、転法の所在、かならずしも、聴法、不聴法を論ずるにあらず。

しかあれば、転法に、かならず、聴法あるべし、ときこえず。

また、三世諸仏、為、火焔、説法といわず、三世諸仏、為、三世諸仏、転、大法輪といわず、火焔、為、火焔、転、大法輪といわざる宗旨あるべし。

転法輪といい、転大法輪という、その別あるか?

転法輪は説法にあらず。

説法、かならずしも、為、他あらんや?

しかあれば、雪峰の道の、道取すべき道を道取しつくさざる道にあらず。

雪峰の在、火焔裏、転、大法輪、かならず、委悉に参学すべし。

玄沙の道に混乱することなかれ。

雪峰の道を通ずるは、仏威儀を威儀するなり。

火焔の三世諸仏を在裏せしむる、一無尽法界、二無尽法界の周遍のみにあらず、

一微塵、二微塵の通達のみにあらず。

転大法輪を量として、大小、広、狭の量に擬することなかれ。

転大法輪は、為自、為他にあらず、為説、為聴にあらず。

玄沙の道に火焔、為、三世諸仏、説、法、三世諸仏、立、地、聴という。

これは火焔、たとえ為、三世諸仏、説、法すとも、いまだ、転法輪す、といわず、また、三世諸仏の法輪を転ず、といわず。

三世諸仏は立、地、聴すとも、三世諸仏の法輪、いかでか、火焔、これを転ずることあらん?

為、三世諸仏、説、法する火焔、また、転、大法輪すや? いなや?

玄沙も、いまだ、いわず、転法輪は、このときなり、と。

転法輪なし、といわず。

しかあれども、想料すらくは、玄沙、おろかに転、法輪は説、法輪ならんと会取せるか?

もし、しかあらば、なお、雪峰の道にくらし。

火焔の三世諸仏のために説、法のとき、三世諸仏、立、地、聴法す、とはしれりといえども、

火焔、転、法輪のところに、火焔、立、地、聴法す、としらず。

火焔、転、法輪のところに、火焔、同、転、法輪す、といわず。

三世諸仏の聴法は、諸仏の法なり、他より、こうむらしむるにあらず。

火焔を法と認ずることなかれ。

火焔を仏と認ずることなかれ。

火焔を火焔と認ずることなかれ。

まことに、師資の道、なおざりなるべからず。

将、謂、赤髭、胡のみならんや?

さらに、これ、胡髭、赤なり。

玄沙の道、かくのごとくなりといえども、参学の力量とすべきところあり。

いわゆる、経師、論師の大乗、小乗の局量の性、相にかかわれず、仏仏、祖祖、正伝せる性、相を参学すべし。

いわゆる、三世諸仏の聴法なり。

これ大、小乗の性、相にあらざるところなり。

諸仏は機縁に逗する説法あり、とのみしりて、諸仏、聴法す、としらず( or いはず)、諸仏、修行す、といわず、諸仏、成仏す、といわず。

いま玄沙の道には、すでに三世諸仏、立、地、聴法という、諸仏、聴法する性、相あり。

かならずしも能説をすぐれたりとし、能聴是法者を劣なりということなかれ。

説者、尊なれば、聴者も尊なり。

釈迦牟尼仏、言、

若、説、此経、則、為、見、我。

為、一人、説、是則、為、難。


しかあれば、能説法は見、釈迦牟尼仏なり。則、為、見、我は釈迦牟尼なるがゆえに。

また、いわく、

於、我、滅後、聴受、此経、問、其義趣、是則、為、難。


しるべし。

聴受者も、おなじく、これ( or 是則)、為、難なり。

勝劣あるにあらず。

立、地、聴、これ、最尊なる諸仏なりというとも、立、地、聴法あるべきなり。

立、地、聴法、これ、三世諸仏なるがゆえに。

諸仏は果上なり。

因中の聴法をいうにあらず。

すでに、三世諸仏、とあるがゆえに。

しるべし。

三世諸仏は、火焔の説法を立、地、聴法して諸仏なり。

一道の化儀、たどるべきにあらず。

たどらんとするに、箭鋒相拄せり。

火焔は、決定して、三世諸仏のために説法す。

赤心片片として、鉄樹、華開世界香なるなり。

且道すらくは、火焔の説法を立、地、聴しもってゆくに、畢竟じて、現成、箇、什麼?

いわゆるは、智、勝、于、師なるべし、智、等、于、師なるべし。

(さらに)師資の閫奥に参究して三世諸仏なるなり。


圜悟、いわくの猴、白と将、謂する、さらに猴、黒をさえざる。

互換の投機、それ、神出鬼没なり。

これは玄沙と同条出すれども、玄沙に同条入せざる一路もあるべしといえども、火焔の諸仏なるか? 諸仏を火焔とせるか?

黒、白、互換のこころ、玄沙の神、鬼に出没すといえども、雪峰の声色、いまだ、黒、白の際に、のこらず。

しかも、かくのごとくなりといえども、玄沙に道、是あり、道、不是あり。

雪峰に道拈あり、道放あることをしるべし。

いま圜悟、さらに玄沙に同ぜず、雪峰に同ぜざる道あり。

いわゆる、

烈焔、亙天は、ほとけ、法をとくなり。

亙天、烈焔は、法、ほとけをとくなり。

この道は、真箇、これ、晩進の光明なり。

たとえ烈焔にくらしというとも、亙天におおわれば、われ、その分あり、他、この分あり。

亙天のおおうところ、すでに、これ、烈焔なり。

這箇をきらうて用、那頭は作麼生? なるのみなり。

よろこぶべし。

この皮袋子、うまれたるところは去聖方遠なり、いける、いまは去聖時遠なりといえども、亙天の化導、なお、きこゆるに、あえり。

いわゆる、ほとけ、法をとく事は、きくところなりといえども、法、ほとけをとくことは、いくかさなりの不知をか、わずらいこし。

しかあれば、すなわち、三世の諸仏は三世に法にとかれ、三世の諸法は三世に仏にとかるるなり。

葛藤窠の風前に剪断する亙天のみあり。

一言は、かくるることなく、勘破しきたる、維摩詰をも、非維摩詰をも。

しかあれば、すなわち、

法、説、仏なり、法、行、仏なり、法、証、仏なり。

仏、説、法なり、仏、行、仏なり、仏、作仏なり。

(かくのごとくなる、)ともに、行仏の威儀なり。

亙天亙地、亙古亙今にも、得者、不軽微、明者、不賤用なり。


正法眼蔵 行仏威儀

仁治二年辛丑、十月中旬、記、于、観音導利興聖宝林寺、沙門、道元。

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