正法眼蔵 看経
阿耨多羅三藐三菩提の修、証、あるいは、知識をもちい、あるいは、経巻をもちいる。
知識というは、全自己の仏祖なり。
経巻というは、全自己の経巻なり。
全仏祖の自己、全経巻の自己なるがゆえに、かくのごとくなり。
自己と称すといえども、我、爾の拘牽にあらず。
これ、活眼睛なり、活拳頭なり。
しかあれども、念経、看経、誦経、書経、受経、持経あり。
ともに仏祖の修、証なり。
しかあるに、仏経にあうこと、たやすきにあらず。
於、無量国中、乃至、名字、不可得聞なり。
於、仏祖中、乃至、名字、不可得聞なり。
於、命脈中、乃至、名字、不可得聞なり。
仏祖にあらざれば、経巻を見聞、読誦、解義せず。
仏祖、参学より、かつかつ経巻を参学するなり。
このとき、耳処、眼処、舌処、鼻処、身心塵処、到処、聞処、話処の聞、持、受、説経、等の現成あり。
為、求、名聞、故、説、外道、論議の輩、仏経を修行すべからず。
そのゆえは、経巻は、
若、樹、若、石の伝持あり。
若、田、若、里の流布あり。
塵刹の演出あり。
虚空の開講あり。
薬山、(曩祖、)弘道大師、久、不陞堂。
院主、白、云、
大衆、久、思、和尚、慈晦。
山、云、
打鐘著。
院主、打鐘。
大衆、才集。
山、陞堂、良久、便、下座、帰、方丈。
院主、随、後、白、云、
和尚、適来、聴許、為、衆、説法。
如何、不、垂、一言?
山、云、
経、有、経師。
論、有、論師。
爭、怪得、老僧?
曩祖の慈晦するところは、
拳頭、有、拳頭師。
眼睛、有、眼睛師。なり。
しかあれども、しばらく、曩祖に拝問すべし。
爭、怪得、和尚? はなきにあらず。
いぶかし、和尚、是、什麼師?
韶州、曹谿山、大鑑高祖、会下、誦法華経僧、法達、来参。
高祖、為、法達、偈、云、
心、迷、法華、転。
心、悟、転、法華。
誦、久、不明、己、与、義、作、讐家。
無念、念、即、正。
有念、念、成、邪。
有無、倶、不計、長、御、白牛車。
しかあれば、心迷は法華に転ぜられ、心悟は法華を転ず。
さらに、迷悟を跳出するときは、法華の、法華を転ずるなり。
法達、まさに、偈をききて、踊躍、歓喜、以、偈、讃、曰、
経、誦、三千部、曹谿、一句、亡。
未、明、出世旨、寧、歇、累生狂。
羊、鹿、牛、権設。
初中後善、揚。
誰、知、火宅内、元、是、法中王?
その時、高祖、曰、
汝、今後、方、可、名、為、念経僧、也。
しるべし、仏道に念経僧あることを。
曹谿古仏の直指なり。
この念経僧の念は、
有念、無念、等にあらず、
有無、倶、不計なり、
ただ、それ、従、劫、至、劫、手、不、釈、巻、従、昼、至、夜、無、不念(時)なるのみなり。
従、経、至、経、無不、経なるのみなり。
第二十七祖、東印度、般若多羅、尊者、因、東印度国王、請、尊者、斎、次、国王、乃、問、
諸人尽、転経。
唯、尊者、為、甚、不転?
祖、曰、
貧道、出息、不随、衆縁。
入息、不居、蘊界。
常、転、如是経、百、千、万、億巻。非、但一巻、両巻。
般若多羅、尊者は、天竺国、東印度の種草なり。
迦葉、尊者より第二十七世の正嫡なり。
仏家の調度、ことごとく正伝せり。
頂𩕳、眼睛、拳頭、鼻孔、拄杖、鉢盂、衣、法、骨髄、等を住持せり。(「𩕳」は「寧頁」という一文字の漢字です。)
われらが曩祖なり。
われらは雲孫なり。
いま、尊者の渾力道( or 渾身道)は、出息の衆縁に不随なるのみにあらず、衆縁も出息に不随なり。
衆縁、たとえ頂𩕳、眼睛にてもあれ、衆縁、たとえ渾身にてもあれ、衆縁、たとえ渾心にてもあれ、担来、担去、又、担来、ただ不随、衆縁なるのみなり。(「𩕳」は「寧頁」という一文字の漢字です。)
不随は渾随なり。
このゆえに、築著磕著なり。
出息、これ、衆縁なりといえども、不随、衆縁なり。
無量劫来、いまだ出息、入息の消息をしらざれども、而今、まさに、はじめて、しるべき時節到来なるがゆえに、不居、蘊界をきく、不随、衆縁をきく。
衆縁、はじめて入息、等を参究する時節なり。
この時節、かつて、さきにあらず、さらに、のちにあるべからず。
ただ而今のみにあるなり。
蘊界というは、五蘊なり。
いわゆる、色受想行識をいう。
この五蘊に不居なるは、五蘊、いまだ到来せざる世界なるがゆえなり。
この関棙子を拈ぜるゆえに、所転の経、ただ一巻(、両巻)にあらず、常、転、百、千、万、億巻なり。
百、千、万、億巻は、しばらく、多の一端をあぐといえども、多の量のみにあらざるなり。
一息出の不居、蘊界を百、千、万、億巻の量とせり。
しかあれども、有漏、無漏智の所測にあらず、有漏、無漏法の界にあらず。
このゆえに、
有智の知の測量にあらず。
有知の智の卜度にあらず。
無智の知の商量にあらず。
無知の智の所到にあらず。
仏仏、祖祖の修、証、皮肉骨髄、眼睛、拳頭、頂𩕳、鼻孔、拄杖、払子、𨁝跳造次なり。(「𩕳」は「寧頁」という一文字の漢字です。「𨁝」は「𧾷孛」という一文字の漢字です。)
趙州、観音院、真際大師、因、有、婆子、施、浄財、請、大師、転、大蔵経。
師、下、禅牀、遶、一帀、向、使者、云、
転、蔵、已、畢。
使者、回、挙似、婆子。
婆子、曰、
比来、請、転、一蔵。
如何、和尚、只、転、半蔵?
あきらかに、しりぬ。
転、一蔵、半蔵は婆子経、三巻なり。
転、蔵、已、畢は趙州経、一蔵なり。
おおよそ、転、大蔵経のていたらくは、禅牀をめぐる趙州あり、禅牀ありて趙州をめぐる。
趙州をめぐる趙州あり。
禅牀をめぐる禅牀あり。
しかあれども、一切の転蔵は、遶、禅牀のみにあらず、禅牀、遶のみにあらず。
益州、大隋山、神照大師、法諱、法真。
嗣、長慶寺、大安禅師。
因、有、婆子、施、浄財、請、師、転、大蔵経。
師、下、禅牀、一帀、向、使者、曰、
転、大蔵経、已、畢。
使者、帰、挙似、婆子。
婆子、云、
比来、請、転、一蔵。
如何、和尚、只、転、半蔵?
いま、大隋の、禅牀をめぐると学することなかれ。
禅牀の、大隋をめぐると学することなかれ。
拳頭、眼睛の団欒のみにあらず。
作、一円相せる打、一円相なり。
しかあれども、婆子、それ、有眼なりや? 未具、眼なりや?
只、転、半蔵、たとえ道取を拳頭より正伝すとも、婆子、さらに、いうべし、
比来、請、転、大蔵経。
如何、和尚、只管、弄精魂?
あやまりても、かくのごとく道取せましかば、具、眼睛の婆子なるべし。
高祖、洞山、悟本大師、因、有、官人、設、斎、施、浄財、請、師、看、転、大蔵経。
大師、下、禅牀、向、官人、揖。
官人、揖。
大師、引、官人、倶、遶、禅牀、一帀、向、官人、揖。
良久、向、官人、云、
会、麼?
官人、云、
不会。
大師、云、
我、与、汝、看、転、大蔵経。
如何、不会?
それ、我、与、汝、看、転、大蔵経、あきらかなり。
遶、禅牀を看、転、大蔵経と学するにあらず。
看、転、大蔵経を遶、禅牀と会せざるなり。
しかありといえども、高祖の慈誨を聴取すべし。
この因縁、先師、古仏、天童山に住せりしとき、高麗国の施主、入山、施、財、大衆、看経、請、先師、陞座のとき挙するところなり。
挙しおわりて、先師、すなわち、払子をもって、おおきに円相をつくること一帀して、いわく、天童、今日、与、汝、看、転、大蔵経。
便、擲下、払子、下、座。
いま、先師の道所を看、転すべし。
余者に比準すべからず。
しかありというとも、看、転、大蔵経には、一隻眼をもちいるとやせん? 半隻眼をもちいるとやせん?
高祖の道所と、先師の道所と、用、眼睛、用、舌頭、いくばくをか、もちいきたれる?
究弁、看。
曩祖、薬山、弘道大師、尋常、不許、人、看経。
一日、将、経、自、看。
因、僧、問、
和尚、
尋常、不許、人、看経。
為、甚麼、却、自、看?
師、云、
我、只、要、遮、眼。
僧、云、
某甲、学、和尚、得、麼?
師、云、
爾、若、看、牛皮、也、須、穿。
いま、我、要、遮、眼の道は、遮、眼の自、道所なり。
遮、眼は、
打失、眼睛なり。
打失、経なり。
渾眼、遮なり。
渾遮、眼なり。
遮、眼は、
遮中、開眼なり。
遮裏、活眼なり。
眼裏、活遮なり。
眼皮上、更、添、一枚皮なり。
遮裏、拈、眼なり。
眼、自、拈、遮なり。
しかあれば、眼睛、経にあらざれば、遮、眼の功徳、いまだ、あらざるなり。
牛皮、也、須、穿は、
全牛皮なり。
全皮牛なり。
拈、牛、作、皮なり。
このゆえに、皮肉骨髄、頭角、鼻孔を牛、㹀の活計とせり。
学、和尚のとき、牛、為、眼睛なるを遮、眼とす。
眼睛、為、牛なり。
冶父道川禅師、云、
億、千、供、仏、福、無辺。
爭、似、常、将、古教、看。
白紙、上辺、書、黒字。
請、君、開眼、目前、観。
しるべし。
古仏を供すると、古教をみると、福徳、斉肩なるべし、福徳、超過なるべし。
古教というは、白紙の上に黒字を書せる。
だれが、これを古教としらん?
当恁麼の道理を参究すべし。
雲居山、弘覚大師、因、有、一僧、在、房内、念経。
大師、隔、窓、問、云、
闍梨、念底、是、什麼経?
僧、対、曰、
維摩経。
師、云、
不問、爾、維摩経。
念底、是、什麼経?
此僧、従、此、得、入。
大師、道の念底、是、什麼経? は、一条の念底、年代、深遠なり。
不欲、挙似、於、念なり。
路にしては死蛇にあう。
このゆえに、什麼経? の問著、現成せり。
人にあうては錯、挙せず。
このゆえに、維摩経なり。
おおよそ、看経は、尽仏祖を把、拈し、あつめて、眼睛として、看経するなり。
正当恁麼時、たちまちに仏祖、作仏し、説法し、説仏し、仏作するなり。
この看経の時節にあらざれば、仏祖の頂𩕳、面目、いまだ、あらざるなり。(「𩕳」は「寧頁」という一文字の漢字です。)
現在、仏祖の会に、看経の儀則、それ、多般あり。
いわゆる、施主、入山、大衆、看経、
あるいは、常、転、請、僧、看経、
あるいは、僧衆、自発心、看経、等なり。
このほか、大衆、為、亡僧、看経あり。
施主、入山、請、僧、看経は、
当日の粥時より、堂司、あらかじめ看経牌を僧堂前、および、諸寮にかく。
粥罷に拝席を聖僧前にしく。
とき、いたりて、僧堂前鐘を三会うつ、あるいは、一会うつ。
住持人の指揮にしたがうなり。
鐘声罷に、首座、大衆、搭、袈裟、入、雲堂、就、被位、正面、而、坐。
つぎに、住持人、入堂し、向、聖僧、問訊、焼香罷、依位、而、坐。
つぎに、童行をして経を行ぜしむ。
この経、さきより庫院にととのえ、安排し、もうけて、とき、いたりて供達するなり。
経は、あるいは、経函ながら行じ、あるいは盤子に安じて行ず。
大衆、すでに経を請して、すなわち、ひらき、よむ。
このとき、知客いまし施主をひきて雲堂に、いる。
施主、まさに雲堂前にて手炉をとりて、ささげて入堂す。
手炉は院門の公界にあり。
あらかじめ装香して、行者をして雲堂前にもうけて、施主、まさに入堂せんとするとき、めしによりて施主にわたす。
手炉をめすことは、知客、これをめすなり。
入堂するときは、知客はさき、施主はのち、雲堂の前門の南頬より、いる。
施主、聖僧前にいたりて、焼、一片香、拝、三拝あり。
拝のあいだ、手炉をもちながら拝するなり。
拝のあいだ、知客は拝席のきたに、おもてを南にして、すこしき施主にむかいて、叉手して、たつ。
施主の拝、おわりて、施主、みぎに転身して、住持人にむかいて手炉をささげて曲躬し揖す。
住持人は椅子にいながら経をささげて合掌して揖をうく。
施主、つぎに、北にむかいて揖す。
揖、おわりて、首座のまえより巡堂す。
巡堂のあいだ、知客、さきにいけり。
巡堂、一帀して、聖僧前にいたりて、なお、聖僧にむかいて手炉をささげて揖す。
このとき、知客は雲堂の門限のうちに、拝席のみなみに、面を北にして叉手して、たてり。
施主、揖、聖僧、おわりて、知客にしたがいて雲堂前にいでて、巡堂前、一帀して、なお、雲堂内にいりて、聖僧にむかいて拝、三拝す。
拝、おわりて、交椅につきて看経を証明す。
交椅は、聖僧のひだりの柱のほとりに南にむかいて、これをたつ。
あるいは、南柱のほとりに北にむかいて、たつ。
施主、すでに座につきぬれば、知客、すべからく施主にむかいて揖してのち、くらいにつくべし。
あるいは、施主、巡堂のあいだ、梵音あり。
梵音の座、あるいは、聖僧のみぎ、あるいは、聖僧のひだり、便宜にしたがう。
手炉には、沈香、桟香、等の名香をさしはさみ、たくなり。
この香は、施主、みずから弁、備するなり。
施主、巡堂のときは、衆僧、合掌す。
つぎに、看経銭を俵す。
銭の多少は、施主のこころにしたがう。
あるいは、綿、あるいは、扇、等の物子、これを俵す。
施主、みずから俵す。
あるいは、知事、これを俵す。
あるいは、行者、これを俵す。
俵する法は、僧のまえに、これをおくなり。
僧の手に、いれず。
衆僧は、俵銭をまえに、俵するとき、おのおの合掌して、うくるなり。
俵銭、あるいは、当日の斎時に、これを俵す。
もし斎時に俵するがごときは、首座、施、食ののち、さらに、打、椎、一下して、首座、施、財す。
施主、回向の旨趣を紙片にかきて、聖僧のみぎのはしらに貼せり。
雲堂裏、看経のとき、揚、声して、よまず、低声に、よむ。
あるいは、経巻をひらきて文字をみるのみなり。
句読におよばず、看経するのみなり。
かくのごとくの看経、おおくは、金剛般若経、法華経普門品、安楽行品、金光明経、等を、いく百、千巻となく、常住にもうけ、おけり。
毎僧、一巻を行ずるなり。
看経、おわりぬれば、もとの盤、もしは、函をもちて、座のまえをすぐれば、大衆おのおの経を安ず。
とるとき、おくとき、ともに、合掌するなり。
とるときは、まず、合掌して、のちに、とる。
おくときは、まず、経を安じて、のちに、合掌す。
そののち、おのおの合掌して、低声に回向するなり。
もし常住、公界の看経には、都鑑寺僧、焼香、礼拝、巡堂、俵銭みな、施主のごとし。
手炉をささぐることも、施主のごとし。
もし衆僧のなかに、施主となりて、大衆の看経を請するも、俗施主のごとし。
焼香、礼拝、巡堂、俵銭、等あり。
知客、これをひくこと、俗施主のごとくなるべし。
聖節の看経ということあり。
しかれば、今上の聖誕の、仮令、もし正月十五日なれば、まず、十二月十五日より、聖節の看経、はじまる。
今日、上堂なし。
仏殿の釈迦仏のまえに、連牀を二行にしく。
いわゆる、東西にあいむかえて、おのおの南北行にしく。
東西牀のまえに台盤をたつ。
そのうえに経を安ず。
金剛般若経、仁王経、法華経、最勝王経、金光明経、等なり。
堂裏の僧を一日に幾僧と請して、斎前に点心をおこなう。
あるいは、麺、一椀、羮、一杯を毎僧に行ず。
あるいは、饅頭、六、七箇、羮、一分、毎僧に行ずるなり。
饅頭、これも椀にもれり。
はしをそえたり。
かいをそえず。
おこなうときは、看経の座につきながら、座をうごかずして、おこなう。
点心は、経を安ぜる台盤に安排せり。
さらに棹子をきたせることなし。
行、点心のあいだ、経は台盤に安ぜり。
点心、おこないおわりぬれば、僧おのおの座をたちて、漱口して、かえりて、座につく。
すなわち、看経す。
粥罷より斎時にいたるまで看経す。
斎時、三下、鼓、響に座をたつ。
今日の看経は、斎時をかぎりとせり。
はじむる日より、建祝聖道場の牌を仏殿の正面の東の簷頭にかく。
黄牌なり。
また、仏殿のうちの正面の東の柱に、祝聖の旨趣を障子牌にかきて、かく。
これ、黄牌なり。
住持人の名字は紅紙、あるいは、白紙にかく。
その二字を小片紙にかきて、牌面の年月日の下頭に貼せり。
かくのごとく看経して、その御降誕の日にいたるに、住持人、上堂し、祝聖するなり。
これ、古来の例なり。
いまに、ふりざるところなり。
また、僧の、みずから発心して看経する、あり。
寺院、もとより、公界の看経堂あり。
かの堂につきて看経するなり。
その儀、いま、清規のごとし。
高祖、薬山、弘道大師、問、高沙弥、云、
汝、
従、看経、得?
従、請益、得?
高沙弥、云、
不、従、看経、得。
亦、不従、請益、得。
師、云、
大、有、人、不看経、不請益、為、什麼、不得?
高沙弥、云、
不道、他、無。
只、是、他、不肯、承当。
仏祖の屋裏に、承当あり、不承当あり、といえども、看経、請益は、家常の調度なり。
正法眼蔵 看経
于、時、仁治二年辛丑、秋、九月十五日、在、雍州、宇治県、興聖宝林寺、示、衆。
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