正法眼蔵 谿声山色
阿耨菩提に伝道受業の仏祖おおし。
粉骨の先蹤、即、不無なり。
断臂の祖宗まなぶべし。
掩泥の毫髪も、たがうることなかれ。
各各の脱殼をうるに( or 脱殼、うるに)、従来の知見解会に拘牽せられず。
曠劫、未明の事、たちまちに現前す。
恁麼時の而今は、吾も不知なり、誰も不識なり、汝も不期なり、仏眼も覰不見なり。
人慮、あに、測度せんや?
大宋国に東坡居士、蘇軾とてありしは、字は子瞻という。
筆海の真龍なりぬべし。
仏海の龍象を学す。
重淵にも遊泳す。
層雲にも昇降す。
あるとき、廬山にいたりしちなみに、谿水の、夜、流する声をきくに悟道す。
偈をつくりて常総禅師に呈するに、いわく、
谿声、便是、広長舌。
山色、無非( or 豈非)、清浄身。
夜来、八万四千偈。
他日、如何、挙似、人?
この偈を総禅師に呈するに、総禅師、然、之す。
総は照覚常総禅師なり。
総は黄龍慧南禅師の法嗣なり。
南は慈明楚円禅師の法嗣なり。
居士、あるとき、仏印禅師、了元和尚と相見するに、仏印さずくるに、法衣、仏戒、等をもってす。
居士、つねに( or ついに)、法衣を搭して修道しき。
居士、仏印にたてまつるに、無価の玉帯をもってす。
ときの人、いわく、凡俗、所及の儀にあらず、と。
しかあれば、聞谿、悟道の因縁、さらに、これ、晩流の潤益なからんや?
あわれむべし。
いくめぐりか現身説法の化儀にもれたるがごとくなる。
なにとしてか、さらに、山色を見、谿声をきく、一句なりとやせん? 半句なりとやせん? 八万四千偈なりとやせん?
うらむべし、山水にかくれたる声、色あること。
また、よろこぶべし、山水にあらわるる時節、因縁あること。
舌相も懈倦なし。
身色、あに、存没あらんや?
しかあれども、あらわるるときをや、ちかしとならう?
かくれたるときをや、ちかしとならわん?
一枚なりとやせん?
半枚なりとやせん?
従来の春秋は山水を見聞せざりけり。
夜来の時節は山水を見聞すること、わずかなり。
いま、学道の菩薩も山、流、水、不流より学入の門を開すべし。
この居士の悟道せし夜は、そのさきの日、総禅師と(居士)無情説法話を参問せしなり。
禅師の言下に翻身の儀いまだしといえども、谿声のきこゆるところは、逆水の波浪たかく天をうつものなり。
しかあれば、いま、谿声の、居士をおどろかす、谿声なりとやせん? 照覚の流瀉なりとやせん?
うたがうらくは、照覚の無情説法の語( or 無情説法話)、ひびき、いまだやまず、ひそかに谿流のよるの声にみだれいる。
だれが、これ、一升( or 一舛)なりと弁肯せん? 一海なりと朝宗せん?
畢竟じていわば、居士の、悟道するか? 山水の、悟道するか?
だれの明眼あらんか、長舌相、清浄身を急著眼せざらん?
また、香厳智閑禅師、かつて大潙、大円禅師の会に学道せしとき、大潙、いわく、
なんじ、聡明、博解なり。
章疏のなかより記持せず、父母未生以前にあたりて、わがために一句を道取しきたるべし。
香厳、いわんことをもとむること数番すれども不得なり。
ふかく身心をうらみ、年来たくわうるところの書籍を披尋するに、なお茫然なり。
ついに、火をもちて年来のあつむる書をやきて、いわく、
画にかける、もちいは、うえをふさぐにたらず。
われ、ちかう、
此生に仏法を会せんことをのぞまじ。
ただ行粥飯僧とならん。
といいて、行粥飯して年月をふるなり。
行粥飯僧というは、衆僧に粥、飯を行益するなり。
このくにの陪饌役送( or 陪饌促送)のごときなり。
かくのごとくして大潙にもうす、
智閑は身心昏昧にして道不得なり。
和尚、わがためにいうべし。
大潙の、いわく、
われ、なんじがために、いわんことを辞せず。
おそらくは、のちに、なんじ、われをうらみん。
かくて、年月をふるに、大証国師の蹤跡をたずねて武当山にいりて、国師の庵のあとに、くさをむすびて為、庵す。
竹をうえて、ともとしけり。
あるとき、道路を併浄するちなみに、かわら、ほとばしりて、竹にあたりて、ひびきをなすをきくに、豁然として、大悟す。
沐浴し潔斎して、大潙山にむかいて焼香、礼拝して、大潙にむかいて、もうす、
大潙、大和尚、むかし、わがためにとくことあらば、いかでか、いま、この事あらん?
恩のふかきこと、父母よりも、すぐれたり。
ついに、偈をつくりて、いわく、
一撃、亡、所知。
更、不自修治。
動容、揚、古路。
不堕、悄然機。
所所、無蹤跡。
声色外、威儀。
諸方、達道者、咸、言、上上機。
この偈を大潙に呈す。
大潙、いわく、
此子、徹、也。
また、霊雲志勤禅師は三十年の弁道なり。
あるとき、遊山するに、山脚に休息して、はるかに人里を望見す。
ときに、春なり。
桃華のさかりなるをみて、忽然として、悟道す。
偈をつくりて大潙に呈するに、いわく、
三十年来、尋、剣客、幾回、葉落、又、抽枝。
自従一見桃華後、直至如今、更不疑。
大潙、いわく、
従縁、入者、永、不退失。
すなわち、許可するなり。
いずれの入者か従縁せざらん?
いずれの入者か退失あらん?
ひとり勤をいうにあらず。
ついに大潙に嗣法す。
山色の清浄身にあらざらん、いかでか恁麼ならん?
長沙(景)岑禅師に、ある僧、とう、
いかにしてか山河大地を転じて自己に帰せしめん?
師、いわく、
いかにしてか自己を転じて山河大地に帰せしめん?
いまの道取は、自己の、おのずから自己にてある。
自己、たとえ山河大地というとも、さらに所帰に罣礙すべきにあらず。
瑯瑘の広照大師、慧覚和尚は南嶽の遠孫なり。
あるとき、教家の講師、子璿、とう、
清浄、本然、云何、忽、生、山河大地?
かくのごとく、とうに、和尚、しめすに、いわく、
清浄、本然、云何、忽、生、山河大地?
ここに、しりぬ。
清浄、本然なる山河大地を山河大地とあやまるべきにあらず。
しかあるを、経師、かつてゆめにもきかざれば、山河大地を山河大地としらざるなり。
しるべし。
山色、谿声にあらざれば、拈華も開演せず、得髄も依位せざるべし。
谿声、山色の功徳によりて、大地、有情、同時、成道し、見、明星、悟道する諸仏あるなり。
かくのごとくなる皮袋、これ、求法の志気、甚深なりし先哲なり。
その先蹤、いまの人、かならず参取すべし。
いまも、名利にかかわらざらん真実の参学は、かくのごときの志気をたつべきなり。
遠方の、近来は、まことに仏法を求覓する人、まれなり。
なきにはあらず。
難遇なるなり。
たまたま出家児となり、離俗せるににたるも、仏道をもって名利のかけはしとするのみ、おおし。
あわれむべし、かなしむべし、この光陰をおしまず、むなしく黒暗業に売買すること。
いずれのときが、これ、出離、得道の期ならん?
たとえ正師にあうとも、真龍を愛せざらん。
かくのごとくのたぐい、先仏、これを可憐憫者という。
その先世に悪因あるによりて、しかあるなり。
生をうくるに、為法、求法のこころざしなきによりて、真法をみるとき真龍をあやしみ、正法にあうとき正法にいとわるるなり。
この身心、骨肉、かつて従法而生ならざるによりて、法と不相応なり、法と不受用なり。
祖宗、師資、かくのごとく相承して、ひさしくなりぬ。
菩提心は、むかしのゆめをとくがごとし。
あわれむべし。
宝山にうまれながら宝財をしらず、宝財をみず。
いわんや、法財をえんや?
もし菩提心をおこしてのち、六趣、四生に輪転すといえども、その輪転の因縁みな菩提の行願となるなり。
しかあれば、従来の光陰は、たとえ、むなしくすごすというとも、今生の、いまだすぎざるあいだに、いそぎて発願すべし。
ねがわくば、われと一切衆生と、今生より、乃至、生生をつくして、正法をきくことあらん。
きくことあらんとき、正法を疑著せじ、不信なるべからず。
まさに、正法にあわんとき、世法をすてて、仏法を受持せん。
ついに、大地、有情ともに( or 大地、有情とともに)成道することをえん。
かくのごとく発願せば、おのずから正発心の因縁ならん。
この心術、懈倦することなかれ。
また、この日本国は、海外の、遠方なり、人のこころ、至愚なり。
むかしより、いまだ、聖人、うまれず、生知、うまれず。
いわんや、学道の実士、まれなり。
道心をしらざるともがらに、道心をおしうるときは、忠言の、逆耳するによりて、自己をかえりみず、他人をうらむ。
おおよそ、菩提心の行願には、菩提心の発、未発、行道、不行道を世人にしられんことをおもわざるべし。
しられざらん、と、いとなむべし。
いわんや、みずから口称せんや?
いまの人は実をもとむることまれなるによりて、身に行なくこころにさとりなくとも、他人のほむることありて、行、解、相応せり、と、いわん人をもとむるがごとし。
迷中又迷、すなわち、これなり。
この邪念、すみやかに抛捨すべし。
学道のとき、見聞すること(の)かたきは、正法の心術なり。
その心術は、仏仏、相伝しきたれるものなり。
これを仏光明とも、仏心とも、相伝するなり。
如来在世より今日にいたるまで、名利をもとむるを学道の用心とするににたるともがら、おおかり。
しかありしも、正師のおしえにあいて、ひるがえして、正法をもとむれば、おのずから得道す。
いま、学道には、かくのごとくの、やまうのあらん、と、しるべきなり。
たとえば、初心、始学にもあれ、久修練行にもあれ、伝道授業の機をうることもあり、機をえざることもあり。
慕古して、ならう機あるべし、訕謗して、ならわざる魔もあらん。
両頭ともに愛すべからず、うらむべからず。
いかにしてか、うれえなからん? うらみざらん?
いわく、三毒を三毒としれるともがらまれなるによりて、うらみざるなり。
いわんや( or いわく)、はじめて仏道を欣求せしときのこころざしをわすれざるべし。
いわく、はじめて発心するときは、他人のために法をもとめず、名利をなげすてきたる。
名利をもとむるにあらず、ただ、ひとすじに得道をこころざす。
かつて国王、大臣の恭敬、供養をまつこと、期せざるものなり。
しかあるに、いま、かくのごとくの因縁あり。
本期にあらず。
所求にあらず。
人、天の繋縛にかかわらんことを期せざるところなり。
しかあるを、おろかなる人は、たとえ道心ありといえども、はやく、本志をわすれて、あやまりて人、天の供養をまちて、仏法の功徳いたれり、と、よろこぶ。
国王、大臣の帰依、しきりなれば、わがみちの現成とおもえり。
これは学道の一魔なり。
あわれむこころをわするべからずというとも、よろこぶことなかるべし。
みずや? ほとけの、のたまわく、如来、現在、猶、多、怨、嫉の金言あることを。
愚の、賢をしらず、小畜の、大聖をあたむ( or ねたむ)こと、理、かくのごとし。
また、西天の祖師、おおく、外道、二乗、国王、等のために、やぶられたるを。
これ、外道の、すぐれたるにあらず。
祖師に遠慮なきにあらず。
初祖西来よりのち、嵩山に掛錫するに、梁、武もしらず、魏主もしらず。
ときに、両箇のいぬあり。
いわゆる、菩提流支三蔵と光統律師となり。
虚名、邪利の、正人にふさがれんことをおそりて、あうぎて天日をくらまさんと擬するがごとくなりき。
在世の達多よりもなお、はなはだし。
あわれむべし。
なんじが深愛する名利は、祖師、これを糞穢よりも、いとうなり。
かくのごとくの道理、仏法の力量の、究竟せざるにはあらず。
良人をほゆる、いぬあり、と、しるべし。
ほゆる、いぬをわずらうことなかれ、うらむることなかれ。
引導の発願すべし。
汝、是、畜生。発、菩提心と施設すべし。
先哲、いわく、
これは、これ、人面の畜生なり。
また、帰依、供養する魔類もあるべきなり。
前仏、いはく、
不親近、国王、王子、大臣、官長、婆羅門、居士。
まことに、仏道を学習せん人、わすれざるべき行儀なり。
菩薩、初学の功徳、すすむにしたがうて、かさなるべし。
また、むかしより、天帝、きたりて、行者の志気を試験し、あるいは、魔波旬、きたりて、行者の修道をさまたぐることあり。
これ、みな、名利の志気はなれざるとき、この事ありき。
大慈大悲のふかく、広度衆生の願の老大なるには、これらの障礙、あらざるなり。
修行の力量、おのずから国土をうることあり。
世運の達せるに相似せることあり。
かくのごとくの時節、さらに、かれを弁肯すべきなり。
かれに瞌睡することなかれ。
愚人、これをよろこぶ。たとえば、痴犬の枯骨をねぶるがごとし。
賢、聖、これをいとう、たとえば、世人の糞穢をおづるににたり。
おおよそ、初心の情量は仏道をはからうことあたわず。
測量すといえども、あたらざるなり。
初心に測量せずといえども、究竟に究尽なきにあらず。
徹地の堂奥は初心の浅識にあらず。
ただ、まさに、先聖の道をふまんことを行履すべし。
このとき、尋師訪道するに、梯山、航海あるなり。
導師をたずね知識をねがうに(は)、従天、降下なり( or 従天、降下し)、従地、涌出なり( or 涌出するなり)。
その接渠のところに、有情に道取せしめ、無情に道取せしむるに、身処にきき、心処にきく。
若、将、耳、聴は家常の茶飯なりといえども、眼処聞声、これ、何必不必なり。
見仏に(も)、自仏、他仏を(も)み、大仏、小仏をみる。
大仏にも、おどろき、おそれざれ。
小仏にも、あやしみ、わずらわざれ。
いわゆる、大仏、小仏を、しばらく、山色、谿声と認ずるものなり。
これに広長舌あり、八万(四千)偈あり。
挙似逈脱なり。
見徹独抜なり。
このゆえに、俗、いわく、
弥高、弥堅。なり。
先仏、いわく、
弥天、弥綸なり。
春松の操あり、秋菊の秀ある、即、是なるのみなり。
善知識、この田地にいたらんとき、人、天の大師( or 導師)なるべし。
いまだ、この田地にいたらず、みだりに為人の儀を存せん、人、天の大賊なり。
春松しらず、秋菊みざらん、なにの草料か、あらん? いかが根源を截断せん?
また、心も、肉も、懈怠にもあり、不信にもあらんには、誠心をもっぱらして前仏に懺悔すべし。
恁麼するとき前仏懺悔( or 前仏に懺悔)の功徳力、われをすくいて清浄ならしむ。
この功徳、よく、無礙の浄信、精進を生長せしむるなり。
浄信、一現するとき、自他おなじく転ぜらるるなり。
その利益、あまねく、情、非情にこうむらしむ。
その大旨は、
願わくば、われ、たとえ過去の悪業おおく、かさなりて、障道の因縁ありとも、仏道によりて得道せりし諸仏、諸祖、われをあわれみて、業累を解脱せしめ、学道、さわりなからしめ、その功徳、法門、あまねく無尽法界に充満、弥綸せらん。
あわれみをわれに分布すべし。
仏祖の往昔は吾等なり。
吾等が当来は仏祖ならん。
仏祖を仰観すれば、一仏祖なり。
発心を観想するにも、一発心なるべし。
あわれみを七通八達せんに、得便宜なり、落便宜なり。
このゆえに、龍牙の、いわく、
昔生、未了、今、須、了。
此生、度、取、累生、身。
古仏、未悟、同、今者。
悟了今人、即、古人。
しずかに、この因縁を参究すべし。
これ、証仏の承当なり。
かくのごとく懺悔すれば、かならず、仏祖の冥助あるなり。
心念、身儀、発露、白、仏すべし。
発露のちから、罪根をして銷殞せしむるなり。
これ、一色の正修行なり、正信心なり、正信身なり。
正修行のとき、谿声、谿色、山色、山声ともに八万四千偈をおしまざるなり。
自己、もし、名利、身心を不惜すれば、谿山また、恁麼の不惜あり。
たとえ谿声、山色、八万四千偈を現成せしめ、現成せしめざることは、夜来なりとも、谿山の谿山を挙似する尽力未便ならんは、だれが、なんじを谿声、山色と見聞せん?
正法眼蔵 谿声山色
爾時、延応庚子、結制後五日、在、観音導利興聖宝林寺、示、衆。
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