第92話 新人嬢の客は……

 子どものころは毎日が緊急事態だったので、必要以上に危機意識が発達してしまった。

 神経質で嫌だな、と自分でも思う。

 だが、それが転ばぬ先の杖になることもある。

 潰れる店を、いち早く察知できるのだ。

 傾斜が度を越せば、船は高速で沈む。

「今月いっぱいで閉めます」

 そう告知されてから動くのでは遅い。

 指名客のニューボトルはご破算になり、指名客自体、宙に浮いてしまうからだ。

「あの(入れたばかりの)ボトルどうなったの?」

「すみません。(閉業を)寸前まで聞かされてなかったので……」

と、あとあと責任を被るのはご免だ。

 キープボトルは計画的に消化して退店するのが“世話になった指名客”への礼儀だと思う(※閉業して残ったり、通常営業でも三ヵ月程度のキープ期間を超過したボトルは従業員が飲みほす)。

 経済面や人格面から、大衆店には“連れていける”が高級店には“連れていけない”顧客もあるので、リストを整理する。

 顧客の足が鉄道なら近隣に移るが最善だが、顧客の足がタクシーなら多少離れた土地に移るでもかまわない。


 私が移籍したのは老舗の中級店だった。

 かつての栄華を誇るような内装と広さだ。

 退店した店からは、ふた駅ほど離れている。

 鉄道の乗りいれも多い。

 どうやら、大衆店向きの顧客も、高級店向きの顧客も引っぱれそうだ。

 さっそく、常連客と同伴(買い物や食事などをして客と嬢がいっしょに入店すること)を取りつけた。

 強制日やペナルティがないので、同伴は客都合でいい。

 キャストは常識的な熟女がほとんどなので、ヘルプ(嬢が同伴や指名被りの際に手伝いをする嬢)も安心して任せられる。

 だが、同伴のポイントバックはあっても、ボトルバックとフードバックがない。

 加えて、キャッシュバックがいっさいない、完全な“ポイントスライド制(ひと月ならひと月ごとに獲得したポイント数により時給の高低がスライドする)”だ。

 最低時給は保証されているものの、なかなか、エグい。

 高価なボトルを卸せば卸すほど、店だけが儲かる仕くみだ。

 個人事業主は社畜になりえない。

「ボトルは入れなくていから一杯ずつ頼んで」

 安っぽいハウスボトル(テーブルにセットしてある飲み放題の焼酎やウイスキー。ラベルと中身が異なるのは珍しくない)を飲ませるのは気の毒なので、そうしてもらう。

 なぜか?こちらはポイントバックがある。

『ちまちま稼がせてごまかせると思うなよ!』

 心の中で悪態をつく。

 だが、なぜか?ヘルプにはポイントバックされないので(※指名嬢に移行・加算される)、やる気を削がれるわ飲み損になるわだ。

 それでも、酒がなければヘルプも手持ちぶさただ。

「一応、女性にも勧めてあげて」

 私は客に、お願いした。

 長いつき合いなので内情を話すと理解してくれた。


「ご来店ありがとうございます!」

 私が着席すると、アイス交換がてら、店長があいさつにきた。

 と言っても、申しわけ程度だ。

 客が話しこみたいそぶりをみせるのをよそに、作り笑いを残して切りあげていった。

 同伴ラッシュの時間帯。

 テンパる店長は、そこそこの年齢だ。

『一生、幹部にはなれないだろうな』

と思った。


「ちょっと店長呼ぼうよ!」

 客が不満がる。

 そりゃあ、そうだ。

 前店ではボトルを五十本以上卸して数百万を落とし(※リーズナブルな熟キャバでは上客の部類)、その人柄も手伝い、嬢や従業員にちやほやされてきたのだ。

「今は忙しいから無理じゃない?」

 新人嬢の客は新人──。

 ひとつ、彼に言いそびれていた。

 そこは悠長な高級店ではない。

 店長クラスが客の相手をするのはまれだ。

 前店の、ボーイ→つけまわし(嬢を客席につけたり、客席から外したりする係。俯瞰力が試されるため、ある程度のキャリアを要する)→店長→幹部とスピード出世した奇才が、懇意にしてくれていたのが恋しいのだろう。

 体を売らない私にとっては、ときに太鼓持ちのような嬢や従業員のサポートは本当にありがたかった。

『自分勝手な都合で引きはなしてしまった……』

 私は申しわけなさでいっぱいになった。

 それなのに、無作法にフロアを小走りする店長に、彼が何度もちょっかいを出すので

「シャンパンでも卸す?」

と皮肉を言ってしまった。

 さすれば、店長は嫌でも栓を抜きにきて相伴にあずかるだろう。

 彼が沈思黙考する。

 新人嬢の客は新人──。

 それをくつがえすには客が大枚を叩くしかない。


 


 


 

 



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