第85話 ○目四十八瀧心中未遂

 ○木賞受賞作家の学友だったと言う方と、ごいっしょしたことがある。

 何かの二次会か三次会で、たまたま、来店された。

 お目にかかったのは、それきりだ。

「『難解だ』と言う人もいるんですが僕は彼の文章が好きなんですよ。機会があったら読んでください」

 話し言葉の美しい素敵なおじ様だった。

 私は指名客に勧められた本、指名客に頂いた本、指名客の記した本は必ず読んだ。

 共感したり、否でも感想を述べることで、会話のネタになったからだ。

 だが、通りすがりのフリー客に勧められた本を読んだのは、それが初めてだった。

 私的売上には結びつかないが、相手に柔和な説得力があったからだろう。

 それと、当時、二十代の私が“己の低い理解力の範疇の人や物事のみをよしとする幻想”から離れつつあったからだろう。


 極楽浄土のような表紙を開く。

 私の語彙力の低さでは、所々、辞

引きが必要だった。

 だが、おじ様の言われたとおり、美しい文語の羅列だ。

 ○川賞系の純文学*。

 湿度は高いが不快ではない。

 此岸と彼岸の分離と哀切。

 象徴的な迦陵頻伽。

 それらに導かれ、味わうように読みすすめた。

 怒りはどこへ向かうのか?

 根源へか?

 はじかれて己へか?

 不覚にも第三者へか?

 それとも、得たいの知れぬ箱に閉じこめてしまうのか……?

 読了し、背表紙を閉じたとき、得も言われぬ脱力感があった。

 のちに映画化された作品も観たが素晴らしかった。


 面倒でも、まずは己の理解力の半歩先へ踏みだしてみる。

 もう少しいけそうなら一歩先へ。

 未知の世界の広さに感激し、焦燥する。

 ならば、さらに一歩先へ……。

 ごく希にだが、それらを触発してくださる殿方との邂逅もある。

 キャバ嬢という職業も、案外、悪くない。


 *純文学の○川龍之介賞は短編・中編選考。大衆文学の○木三十五賞は長編選考を含む。○目四十八瀧心中未遂は長編につき、○木賞受賞にいたったらしい(※他説あり)。






 



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