第89話 ヘルプの心得②
婆さんと再会したのは、私が先に勤めていた店で、だった。
ユルめの系列店に婆さんが滑りこめたのは、面接の前に客として来店し、大枚を叩いていたからだった。
「働けるお店を探してるんですよー。この人(連れ)お客さん(指名客)なんです」
そうして、外堀から埋めていくのが手口らしかった。
“顧客を持っているが顧客が通える店がないので採用してください”アピールだ。
嬢の採用には、いく通りかある。
幹部や店長や嬢の紹介。
面がよければ、とりあえず。
面がマズくてもデブでもバカでも若ければ、とりあえず。
素人なら育てがいがある。
玄人なら接客・集客の即戦力になる。
だが、婆さんはどれでもない。
なかなかどうして、策士だった。
間もなく、問題が起きた。
婆さんが系列店の嬢に総スカンを食らい、こちらに“移送”されてきたのだ。
クビにしないのは売上があるからだ。
たらいまわして急場を凌ぐのだ。
婆さんにはガテン系の太客(大枚を叩く指名客)がついていた。
指名本数ではなく、一発でドカン!と稼ぐタイプだ。
フリー席では場内指名(フリー客から取る指名)を取れず、暇を持てあますこと、まま。
なので、私のヘルプ(嬢が同伴((買い物や食事などをして、客と嬢がいっしょに入店すること))や指名被りの際に手伝いをする嬢)にもつく。
ある夜、同伴した私のヘルプについた。
着がえおえて着席すると、婆さんがワイングラス片手に高笑いしていた。
つけまわし(嬢を客席につけたり、客席から外したりする係。俯瞰力が試されるため、ある程度のキャリアを要する)が婆さんを抜きにくる。
婆さんが抜ける。
「何これ?」
すかさず、私は“それ”を指差して指名客に問うた。
高価な赤ワインボトルが、すうと起立しているではないか!
「いや『飲みたい!』って言うからさ……」
酔っていて(いつもだが)優柔不断に拍車がかかっている。
「“あなた”が頼んだの?」
語気が強まる。
「違うよ!」
「そうなんだ……。ちょっと待っててね」
私は中座して店長に直談判にいく。
「なんか勝手にボトル卸されてるんですけど!?ありえないんで!注意してください!」
ヘルプには微細なルールがある。
それを覚え、実践できてこそ、一人前のキャバ嬢だ。
ヘルプがマズけれは体験入店で不採用になるし、本入店できたとしても早々にクビになる。
ヘルプは指名嬢より高い酒を頼んではいけない。
あくまでも、手伝いだと言う認識を忘れてはいけない。
指名嬢がキープボトルを消化している席なら、同様に、ご相伴に預かるのが基本だ。
「飲めないので」
は禁句。
自分の分は薄い水割りやソーダ割りにし、飲んだふりをすればいい。
それも仕事のうちだ。
ヘルプは指名嬢の知りえぬところで勝手に追加注文してはいけない。
なぜって?
指名客の懐具合を知って調整できるのは、指名嬢以外にいないからだ。
短時間飲みの粋な客なら高い酒を卸すのも手だが、長尻の客なら控えもする。
ビジネスパーソンが相手なら、ボーナス期や給料日前後でも、落としてもらう金額は違う。
ポケットマネーか経費か、でも違う。
色恋的短期決戦か友好的長期関係かでも違う。
なので、内情を知らないヘルプの勝手な判断はタブーだ。
「何か問題でも?」
席に戻った私に指名客が訊く。
不穏を察したのだろう。
酔いが覚めている。
「ごめんごめん。こっちの問題。彼女に不手際があった」
私はヘルプの心得のさわりを話した。
「そうか。なんか悪かったな……」
「いやいや!白けさせちゃってごめん。お客さんに見せちゃいけなかった。飲みなおしましょう!」
指名客を見おくると、店長から報告があった。
「(婆さん)帰った。辞めるって」
「えーっ!改善してくれればよかっただけなのに!」
「そう言ったんだけど……。『私は○○(私の源氏名)さんの売上のためにやった!私は悪くない!金(ワインボトル代)なら払う!こんな店辞めてやる!』って泣きやがった(笑)」
「はぁ!?何だそれ!誰も頼んでねーし!ありがた迷惑だし!てか、謝れよ!(笑)」
「うん。『じゃあ辞めてください』ってことになった。向こう(移送前の系列店)でも同じ感じだったみたい」
「でしょうね」
「うん。そういうことなんで」
「わかりました。お手数かけました」
熟キャバ業界は狭い。
まもなく、婆さんがのちに勤めた店でもクビになったと、店長づてに聞いた。
「転々としてるらしいよ」
店長が冷笑した。
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