第75話 同一化する女

〈同一化〉

 心理学で言う、防衛機制のひとつ。

 他者をまねることで不安や不満や劣等感などを打ちけし、内外的に自己評価を上げようとする心理作用。

 同一視とも。



「○○(私の源氏名)さんの髪が風になびくのが綺麗だったので♡」

 メンヘラちゃんが髪を切り、私の髪型に寄せてきた。

 そのころの私はシャギーボブだ。

 大衆店の熟キャバにはヘアメ(イク)さんがおらず、ロングヘアをアップする手間を省いていた。

 毛先を揃えてデコルテの手入れをしていれば、ドレスを着るには見られた。

「モンブラン!すごく美味しかったです!高くてびっくりしちゃって、ひとつだけ買いました!」

 デカ目コンタクトを装着しているメンヘラちゃんだが、裸眼の焦点がぶっ飛んでいるのは想像に難くない。

 どうやら、私のブログを読みこんでいるらしい。

 水商売には専用の店舗紹介サイトがいくつかあり、店側が有料で入会して集客を図る。

 嬢は己の写真やプロフィールを掲載し、ブログを書いたりする。

 店により、僅少だがキャッシュバックがあったり、ポイント制ならポイントが売上に加算されたりする。

 サイトを見て指名来店する客もいるのだから、あたればデカい。

 ブログのコメントのみでやり取りしたがる冷やかしや、店電してきて嬢に交代しろ!とせがむ“十円指名(※通話料金のみ、の意)”は完全無視でいい。

 家庭持ちだったり、パートナーがいたり、兼業だったりする熟キャバ嬢は顔出しできない分、ブログ掲載には協力的だ。

 私も週一のペースで書いていた。

 サイトに登録していれば、誰でも無料で閲覧可能だ。


「公園!いってきました!」

 メンヘラちゃんが言う。

 先日、私がピクニックにいった様子を載せたブログの話だ。

「夜中で誰もいなかったです!」

「夜中!?車でいったの?」

「あっ!はい。それは……」

 訊いてから

『しまった!』

と思った。

 メンヘラちゃんは運転免許を持っていなかったのだ。

『車好きな“例の指名客”と寝たのね。失礼しました(笑)』

 メンヘラちゃんは後先考えずに話す。

 こちらが注意していなければ、巻きこみ事故に遭う。


「喫茶店!いってきました!」

 先日、私が念願の喫茶店を来訪した様子を載せたブログの話だ。

「広くてびっくりしました!」

 国道沿いの、鉄道の駅と駅の中間にある喫茶店。

 こちらも車用族向きだ(笑)。

「ちくしょー!」

 突然、メンヘラちゃんが唸る。

「全部、制覇してやる!」

 私が来訪した場所を辿りたいと意気込む。

 聖地巡礼???

 まったくもって、意味不明だった。


 メンヘラちゃんは己の思考領域を他者に侵食されやすいタイプだ。

 相手が客となると、いとも簡単に、だ。

 同類や我儘やヤリ目(セックス目的の客)に指名されるので、そこそこ稼ぐ。

 だが、言いたいことも言えず、心から従うこともできない。

 常々、矛盾は感じていたのだろう。

 切羽詰まって私にお願いしたのは

「輸血してください!」

だった。

 私の思考が欲しいのだと言う。

 そのころのメンヘラちゃんの愛読書は“○われる勇気”だ。

 八方美人度がきわめて低い私と重なったのだろうか?

 だが、輸血してください!はさすがに恐い。

 思わず

「恐っ!」

と言ってしまい、あとあとまで執着された。

 だが、メンヘラちゃん全般には、勝手に羨望して近づき、勝手に失望して去っていくという特性がある。

 相手の実相を観ないのだ。

 私はじっと、終焉を待った。

 その後も“ターゲット(対嬢)”を変遷し、羨望と失望をくり返したメンヘラちゃんは、飽和状態になったところで自主退店した。







 


 






 

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