第65話 謝らない女

 ひとつ所に長く在籍した私は、新人を迎える立場のほうが多かったが、移籍先ではもちろん新人だ。

 年齢やキャリアは関係ない。

 移籍先では嬢の皆が“姉さん”だ。

 空気が読めず、端からタメ口を使う無礼者には即座にクレームが入る。

 改善されなければ、さっさとクビだ。

 一方、私は。

 腰かけの“姉さん”に

『あなた、何年選手?』

なんてそぶりを見せられると

『ふん!この、ど素人が!』

と内心バカにしていた。

 キャリアの違いは仕事で見せつけてやろうと、虎視眈々狙っていた(笑)。

 まぁ、じきにおとなしくなるんです。

 相手もそこまでバカではないので。


 あるとき、移籍先でお局様の指名席についた。

 なんの艶もない、干物のような女だった。

 私の担当の連れはしたたか酔った不潔で不潔なじいさんだった。

 じいさんは来店するなり、客人用トイレを数十分も占拠した。

 ほかの客がイラつきながら、席とトイレを往復する。

 迷惑な話だ。

 ようやくトイレから戻ったじいさんは、おもむろに揺れはじめた。

 ゆらゆら揺れて、つぅーと長いよだれを垂らしたと思ったら、滝のような○ロを吐いた。

 私は反射的に立ちのいたが、時すでに遅し。

 ロングドレスとハイヒールが毒されてしまった。

 店長とボーイが大量のカワシボ(乾いたオシボリ)を持ってかけ寄る。

「いったん、どいてもらっていいですか」

 店長が静かにじいさんをたしなめた。

「○○(じいさんの名前)さん。少し、風にあたろうか?ねっ」

 干物女がじいさんを店外に促す。

 そのあとを、干物女の指名客とスツールを抱えた別のボーイが追いかける。

 店長とボーイは無言で吐瀉物を拭きはじめた。

 私はウォーマーからオシボリを多量に抜いて更衣室にはけた。


 ○ロまみれのロングドレスとハイヒールを、これ見よがしに百均のゴミ箱にぶっ込む。

 下着姿のまま、手を拭く、腕を拭く、足を拭く、脚を拭く……。

「きったねぇなぁ……」

 拭いても拭いても、体の端から腐っていくようだった。

 代えのドレスはあるが、ハイヒールがない……。

 下駄箱に見つけた体入(体験入店)用のサンダルを、断りもなく履いて更衣室を出た。

 店長とボーイが鬼のように○ァブリーズを撒いている最中だった。

「ここ、今日は(客を)入れないで」

 一晩かけて消毒するようだ。

「店長!」

 私は店長に話しかけた。

「気分悪いんで帰ってもいいですか?」

 ○ロまみれのオシボリを、オシボリ専用ゴミ箱にぶっ込む。

「あー。……」

「○ロ浴びてドロドロなんで!ありえないんですけど!」

 キッチンの流しでハンドソープを10プッシュして、私は小さく叫んだ。

 憔悴した店長の返事を待たず、私は更衣室に取ってかえした。

 あやつきだ!と着ていたドレスも満杯のゴミ箱にぶん投げ、さっさと着がえてロッカー内の備品をサブバックに詰めた。

 履いていた体入用のサンダルを下駄箱にぶん投げ、通勤用パンプスに履きかえて更衣室を出た。

『こんなクソ店!やめた!やめた!』

 無言でフロアを横切り、店の扉を荒々しく開けた勢いでエレベーターのボタンを押す。

 壁のコーナーでじいさんが岩のように固まっている。

 じいさんの○ロに誘発された干物女の指名客が、レジ袋の中に嘔吐していた。

 介抱していた干物女と目が合う。

「すまない……」

 指名客が干物女に謝る。

「うんうん。大丈夫よ。つられちゃった?(笑)そんなときもあるよ。気にしなくていいよ。うんうん」

 指名客に向きなおった干物女は彼の背中をさすった。

『ごぉぉらぁぁー!ババァー!私に謝れや!衣装代弁償しろや!クズ!クズ!クズ!』

 キャリアを掲げておきながら、指名客の酔い具合も察知できないようでは素人同然だ。

 己の失態をはぐらかすセコさはエレガントではない。

“お局様”という権威に胡座をかいているだけだ。

 バカらしくなり、私はエレベーターを待たず階段を下った。

 階段から突きおとしてやろうとか、生き霊を飛ばしてやろうとか、思った。

 だが、呪わば穴ふたつ、だ。

 因果は巡るだろう。

 ならば、みずから手を汚す必要はない。

 早晩、干物女に天罰が下るだろう。


 ※後日談。

 営業中のバックレではあったが、店側の落ち度だった(干物女を庇った)ため、交渉の結果、例外的に報酬が支払われた。


 







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