第60話 オーバー場内
「今日、来店予定ある?」
いつもタッグを組んでいる嬢に訊かれた。
「ヤマちゃん(私の指名客のあだ名)遅くにくるかもだけど?」
「そうなんだ。もうすぐカワさん(彼女の指名客のあだ名)くるんだけど、ヤマちゃんくるまでオーバーでついてもらっていい?」
「全然いいよ。ありがとう」
“オーバー”とはオーバー場内(指名)のことで、マンツーマンではなく、客が嬢を余分にはべらすことだ。
プラス場内(指名)とも言う。
すべての嬢が“本指名”なら、一人につき本指名料とセット料金(※キャバクラは時間料金制。店により、45~60分程度。リーズナブルな熟キャバでは本指名料や嬢のドリンク代を合算すると一万円前後。キープボトルやシャンパンは別料金)がワンセットごとに発生するが、オーバー場内なら、ワンセットごとに二千円から三千円程度のオーバー場内指名料のみが加算される。
オーバー場内された嬢は、オーバー場内指名料とドリンクバックのわずかな売上やキャッシュバック(※ポイント制の店ならポイント)があるのみ。
まっさらな客につき、次回の本指名につながる場内指名(フリー客から取る指名)を狙ったほうが効率がいい。
だが、そこは持ちつ持たれつの世界。
恩を売ったり、買ったりの世界。
よほど“やんちゃな嬢”でもない限り、オーバー場内を頼まれて断ることはない。
本指名嬢の売上にしかならない、キープボトルやシャンパンやフードやカラチケ(カラオケチケット)を消費して席を盛りあげる。
次回は自分の太客(大枚を叩く指名客)の席で、同等のパフォーマンスをしてもらうために……。
「マジ、一人だとキツくて……」
彼女は辟易としていた。
カワさんはゆめゆめ思わないだろう。
稚拙な恋心は罪深い。
「あー。だろうね……」
なので、私は監視役だ。
私は彼らの向かいに座る。
ほかの嬢の指名客の正面に座るのは無礼なので(※できない嬢が多いが基本中の基本!)、彼女の正面に座る。
カワさんが彼女を執拗に口説かないよう、抑止力の権化になるのだ。
彼女は元々、枕営業で売っている嬢だ。
本来なら私とは相容れない。
だが、彼女は気配り目配りの利く人で、意志疎通が容易で、タッグを組んだ席では公明正大だ。
枕営業を除けば、私とは何かと相性がいい。
彼女のためにひと肌脱ぐのは当然だった。
彼女はすぐに私を呼んだ。
カワさんが来店して30分とたっていないのに、すでにべろべろだった。
彼とはどうしたって寝たくないらしい(笑)。
「こんばんはー!お久しぶりですー!おじゃましまーす!」
私は飄々と着席した。
恋人つなぎを“させられている”彼女の心中は、地獄の一丁目といったところか?
素面でなど、いられない。
頭をぐわんぐわん揺らしながら、彼女が私にドリンクを勧めると、カワさんが私に頷いた。
「ありがとうございます!頂きます!」
酒が運ばれてきたので乾杯する。
「カワさんは本当にいい人なんだよねー」
彼女が牽制した。
だが、彼は彼女の肩を抱くのをやめない。
枕営業嬢は、それを払いのけることができない。
できないのか?
しないのか?
もはや、本人にすら、わからないのだろう……。
突然、彼女がえずいて従業員用トイレに籠城した。
私やボーイや店長が代わる代わる様子をうかがう。
彼女が時間稼ぎをしているあいだにも、飲代は加算されていく。
そうこうするうちに、私の指名客が来店した。
ヘルプ(※この場合、同伴((買い物や食事などをして客と嬢がいっしょに入店すること))や指名被りでもないのに、本指名嬢の失態により手伝わされる)が投入され、私はカワさんにごちそうさまをして退席した。
私は彼らのほど近い席で接客していた。
しばらくすると、ふらふら席に戻った彼女がカワさんの股に突っぷして眠ってしまった。
心得たベテラン嬢のヘルプは、そうっとごちそうさまをして退席した。
「延長」
カワさんは延長うかがいにきたボーイに静かに告げた。
「ありがとうございます!」
「疲れてたんだろう。このまま寝かせてやって。何か飲みなよ」
ボーイに話し相手をさせるつもりだ。
「頂きます!」
カワさんが彼女の栗色の髪をなでる。
おそらく、彼女は気づいている。
客の股で眠るのは枕営業嬢の常套手段だ。
根負けした彼女がカワさんと寝るのは時間の問題だと、私はひそかに思った。
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