第51話 ○ァンシードーナツ

 見た目は平凡な主婦だ。

 夫の事業が経営破綻寸前で、久方ぶりに勤めに出た。

 日中に家事をこなし、夜営業の知人の飲食店を頼ったが、じきに熟キャバに転向した。

「上の子が受験なの」

 私学希望で入用らしい。

 一方で

「気づいてるんだかどうだか……」

帰りが遅い妻に関心を寄せない夫を嘆いていた。


 保証期間(※ひと月程度。勤務時間と高めの時給が保証される)中は、優先的に片っ端からフリー客につけられる。

 有能なつけまわし(嬢を席につけたり、席から外したりする係。俯瞰能力が試されるため、ある程度のキャリアを要する)なら、新人の適性や特性をさっさと見ぬき、指名がつきそうな“それっぽい客”をまわしてくれる。

 無能なつけまわしでも“数打ちゃあたる”ので、一人二人の指名は取れる。

 彼女は白髪の紳士から指名を得た。

 福々しく、温厚そうだ。

 しっぽり話す二人は長年連れそった夫婦のようだった。


「えーっ!急にどうしたの!?」

 その夜はサプライズ来店だった。

 白髪の紳士は彼女にライトブルーの紙袋を渡した。

「覚えててくれたの!?」

 すぐに売りきれてしまう、人気ドーナツショップの紙袋だった。

「ありがとう!うれしい!」

 彼女は両手をすぼめて口元を覆った。


 白髪の紳士をワンセット(※店により、45~60分程度の時間制料金)で見おくると、彼女がフロアに崩れおちた。

「「「どうした!?」」」

 嬢たちが様子をうかがう。

「ドーナツ……。食べたい!って話したら並んで買ってきてくれた。こんなのうちの旦那は一度もしてくれたことないよー!」

 喜びにむせび泣いている。

 妻と母の役目を堅実にこなしてきた彼女が、自分の中の女を再確認した瞬間だったのかもしれない。


 三人の子どもを育て、離婚して水商売デビューした元主婦は言った。

「ふと自分の中の女を試したくなった」

と。

 熟キャバは、そんなアイデンティティクライシスを抱えた中年女性の通り道でもあった。


「子どもが気づいてる。様子がおかしい……」

 受験生の上の子だ。

 彼女はふた月もしないうちに退店して“母の道”に戻った。

 ごくごく短期の、幻の嬢生活だった。


 






 

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