第48話 不義理な女
斜め前のスツールに腰かけている新人嬢が、こちらをちらちら見ている。
声かけしても大丈夫な合図だろう。
以前、別の店でいっしょに働いていた嬢だった。
嬢によっては
「お客さん全切れなんでブランクあることになってます。いっしょに働いてたことは言わないでください」
などと口止めされたりするので、初対面の体の手前、気をつけねばならない場合もある。
ブランクがあれば未経験者と同等扱いなので、移籍嬢のように入店後間もなく指名客を呼ばなくてはならないプレッシャーから解放される。
それどころか、指名がつきそうなフリー客を次から次にあてがってもらえるのだ。
ちらちらちゃんは別口らしいが、私は彼女の不義理を忘れていなかった。
先に退店したのは私だ。
嬢どうしの内部抗争から、店の余命いくばくもないと踏んだからだ。
案の定、ちらちらちゃんの在籍中に店は潰れた。
「店長指名でいくよ!」
その数ヵ月前、私は指名客を連れて来店した。
世話になった店長への義理返しのつもりだった。
頭脳明晰でトリッキー。
客あしらいも、嬢あしらいも、うまい。
内部抗争の最中
「もうやってらんない!辞める!」
とゴネるたび、酒と飯を奢らせてしまった(笑)。
話を聴いてくれ、引きとめてくれたことに感謝している。
内部抗争がなければ、ずっと、いっしょに働きたかった……。
店が入るテナントビルの前に立っていた店長が、私たちを見つけて右手を上げた。
インカムで店内スタッフに来客を知らせている。
「○○(指名客のあだ名)!お久しぶりです!」
店長がおどける。
「おー!久しぶりじゃない!元気だった?○○(私の源氏名)さんに連れてこられちゃったよー(笑)」
指名客は店長の肩をぽんぽん叩いた。
「暇だったので助かります」
エレベーターを数階分昇って入店すると、ずらりと立ちならんだ嬢に迎えられた。
店カラ(営業中にもかかわらず、店に客がいないこと。店がカラッポ、の意)だった。
内部抗争の張本人は、私が来店するのを知ってバックヤードに逃げこんでいた。
目線を横に滑らすと、ちらちらちゃんが目に入った。
「ちらちらちゃーん!久しぶりー!」
ほろ酔いの私は、なんの気なしに手をふった。
だが、彼女は
『ふん!』
と死人の目を私にくれたのだ。
私の両手は、その場で空中分解した。
すうと酔いが引いていく。
『ああ。そうだった……』
私はすぐに後悔した。
『損得勘定でしか動かない奴じゃん』
古株や売れっ子には金魚の糞のようについてまわっていたが、退店して利害関係が切れた私は用済みなのだろう。
当時、あいさつする新人嬢をことごとく無視していたが
「あいつ!マジなんなんっすか!?こっちは新人だと思って気ぃ使ってやってるのに!もうね!二度とあいさつしないって決めました!さっさと売上抜いてやりますよ!」
と新人嬢の発奮材料にもなっていた。
二人きりの更衣室で無視されたのだから、確定だ。
「新人つけて」
私は店長にリクエストした。
「○○(内部抗争の張本人)ちゃんいるよ」
同期なだけで反発しあった仲だ。
指名で呼んでやる義理はない。
「知ってる。つけなくていい。新人でまわして」
「了解!」
こっそり指名客の予算を伝えると、店長は○ーヴクリコ(熟キャバでは定番の手ごろなシャンパン。三万円程度からブリュット→ドゥミセック→ロゼ……とグレードが上がっていく)のロゼを卸した。
「あの……」
「ん?」
「以前○○(潰れた店の名前)で……。私のこと覚えてます?」
痺れを切らした、ちらちらちゃんが話しかけてきた。
「ですよねー。覚えてますよ」
『ふんっ!てされたの、覚えてますよ♡』
「本入(体験入店に対しての本入店)になったのでよろしくお願いします」
「そうなんだ。よろしくお願いしまーす……」
『くそっ!不覚だったぜ!』
すぐさまトイレに立つふりをした私に、
「知りあい?」
と店長が耳打ちした。
「全然!前の店にいただけ。超絶面倒な奴だから極力私の席にはつけないでね」
私が釘を刺すと、店長はニヤと笑った。
古いつき合いの指名客と歓談していると、誰の指示も許可もなしに、ちらちらちゃんが乱入してきた。
「○○(指名客のあだ名)さーん!お久しぶりですー!」
「あー!」
「私のこと覚えてます?」
「ああ!覚えてるよ!」
気のいい指名客が応じる。
「また○○(私の源氏名)さんといっしょに働くことになったのでよろしくお願いしまーす」
「そうなんだ!○○(私の源氏名)ちゃんにいろいろ教えてもらいな!」
指名客が、横を向いたきり酒をあおる私をうかがう。
「はーい。ところで○○(指名客の連れ)さんはお元気ですか?」
「ああ、元気だよ」
「また会いたいですー!よろしくお伝えくださーい」
『って、フリー(客に指名嬢がいない状態)でついて抜けただろーが!指名されてねーだろーが!人の褌で相撲取ろうとすんじゃねーよ!』
「ああ。伝えるよ……」
指名客が私の不穏を察知した。
『この無法者をなんとかして!』
私はフロアを観ていた店長に目配せした。
「ちらちらさーん!」
勘のいい店長が彼女を引きとりにきた。
二人の有料有限の時間を無断で割いたのだ。
当然だが、その後、厳重注意されていた。
「ね、超絶面倒でしょう。損得勘定でしか動かない奴だから気をつけて観ててね」
私はふたたび店長に釘を刺した。
またしても、先に退店したのは私だ。
○チガイ新人嬢の往来が続き、店が荒野と化したからだ。
私はベテラン嬢が多く、トラブルの少ない老舗店に移籍した。
『来月で閉店することになりました』
数ヵ月後、残留組の嬢から報告があった。
日ごろから、やりとりしている嬢だった。
『こっちにこない?』
礼節に厳しいベテラン嬢ともうまくやっていけそうな玄人だったので、迷わず誘った。
予定どおり、翌月に店は潰れた。
報告してくれた嬢は、近隣の系列店に誘われて移籍した。
指名客の都合を考慮してのことだった。
「ふた駅ズレたら通えないよ!」
枕営業でもなければ、どこへでも馳せさんじてもらえるわけではないのだ。
新人嬢イビりを続けていたちらちらちゃんは、ハブられて情報弱者となり、寸前で閉店を知った。
言わずもがな、系列店には誘われなかった。
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