第42話 ○ッキーモンスター
さる嬢がクッキーを焼いてきた。
前回はマフィンだった。
店のイベントに合わせ(※嬢には売上に応じて指名本数ノルマがあった)“釣り餌”として指名客に撒くためだ。
てめぇの指名客にだけ撒いていればいいものを、たいして親しくもない同僚にも配りやがる。
マフィンやクッキーは菓子作りの初歩も初歩。
料理が日常に溶けこんでいて料理上手も多い熟キャバ嬢にとっては、彼女のちゃちな承認欲求がうっとうしくてならなかった。
女どうし特有の競争心も働く。
パティシエ級のクオリティならまだしも、自分で作るよりずっと、クオリティが低いのだ。
百円均一で調達した透明フィルムに包まれた生焼けのクッキーに
『何入れた?』
『衛生面は大丈夫か?』
と警戒心が働く。
「歯、磨いちゃった!」
「おなかいっぱいだからあとで頂くね」
「小麦アレルギーなんです。ごめんなさい!」
その場で勧められても、うまい理由をつけて誰も口をつけなかった。
だが、めげない彼女は
「お客さんにもどうぞ!」
と押しつけてきやがった。
彼女がバックヤードを離れると、気心の知れた嬢が私に目配せした。
自分のこめかみを人差し指でとんとん突っつき、紫煙を吐いた。
指名嬢の手作りなら客は諸手を上げて喜ぶだろうが、どーでもいいオバチャンの手作りなどホラー以外の何物でもない。
彼女の想像力は
『私の手作りお菓子は万人が喜ぶ!』
というのを大前提にしていた。
それは、彼女にとって“ほどこし”なのだ。
困ったり、迷惑がったり、気持ち悪がったりする人をまるで想定していない。
だが、そのおめでたさこそが、彼女最大の武器だ。
むくむく膨らんだ夢想の愛されキャラは、彼女の足りない人間性を呑みこんだ。
鈍さは才能だ。
鈍くない人たちから延々と気遣いを搾取できる、処世術だ。
『気持ち悪いんだよ!頭沸いてるんか!?』
同僚は本音を漏らさず、彼女を放置する。
指摘して修正してもらうほど、親しい関係ではないからだ。
それで、職場の秩序は保たれてしまう。
雨の道ゆき、彼女の傘が一度も弾かれないのは、傘をかしげつづけてくれる人たちがいるらだ。
それで、世間の秩序は保たれてしまう。
他人の気遣いや軽蔑など知る由もない。
鈍い本人だけが生きやすそうだ。
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