第38話 鏡よ、鏡
店がオープンした。
口開け(その夜、最初の客が入店すること)前で嬢たちは思い思いに待機していた。
『お疲れ様』
『スタンバイしました』
『ニュードレスです♪』
『もう少し飲んでからくるね?』
『了解でーす!』
「ふぅ!」
LINEを何ターンかし、私はひと息ついた。
来店予定の常連客が、近隣の居酒屋で部下と飲んでいるらしい。
「店長!予定変更!」
私は来店時間の目安と連れがあるのを伝えた。
店長はその情報をインカムで路上の客引きに飛ばした。
客引きが絶妙なタイミングで常連客を迎えるためだ。
「これはこれは〇〇さん!お待ちしておりました!」
部下の手前、優越感をもともなった特別感は、常連客の財布の紐をますます緩くする。
「綺麗めの子で。話上手な子ね」
私は部下につける嬢をリクエストをした。
待機嬢が、よりどりみどりだったからだ。
「了解」
店長が苦笑いした。
こちらとしては延長を想定しての転ばぬ先の杖だった。
初見で“仕事をしない子”をつけ、連れを不機嫌にさせるわけにはいかない。
連れが楽しんでいるとわかれば、常連客はいつものように延長するだろう。
よしよし!と別の客に他愛ない日記(※実質、営業)を送ろうと空いていた席に座ると、隣から質問が飛んできた。
「右と左の長さ、違いません?カットしたばっかなんすよ」
嬢がコンパクトミラーを覗いていた顔を上げた。
「そうなの?」
『知らねーよ。訊くなよ』
興味がない女の使用前使用後なんてわかりゃしないし、どーでもいい。
「えっ!これ、違いすぎません!?」
ふたたびコンパクトミラーを覗いて左右の毛先をいじったかと思うと、顔の正面を私に差しむけた。
「……変じゃないよ」
「そうですかー?そうかなー?」
『うるせーよ!日記書かせろや!』
私は立ちあがってバックヤードに入った。
それでも、彼女は長いことコンパクトミラーを覗いていた。
いつものことだった。
彼女は鏡の中の自分が大好きだ。
店中の鏡に自分を映しては、鼻歌を歌いながら、ためつすがめつしていた。
実際の彼女は店のホームページの紹介写真の倍のボリュームだが、整合性などどこ吹く風らしい。
家族や昼職など社会的な顔を持つ熟キャバ嬢は、紹介写真に目線こそ入れはするが、体の加工はしない。
そんななか、二次元の彼女は店一番、断トツのスレンダーだった。
だが、それに釣られて来店した客がキョロキョロするので
「彼女ですよ」
と知らせると
驚いたり、落胆したり、激怒したりして、指名もせずに帰ってしまうのだった。
強引にひとまわりも鯖を読み
「老けて見えるね」
「皺多くない?」
「前髪上げてみて」
「本当はいくつなの?」
などと、わざわざイジられているのも謎すぎた。
頻繁に鏡を見る行為には、美容的リフティング効果がある一方的で“顕著な劣化を突きつけられてショックを受けるのを回避する心理”もあるらしい。
『大丈夫!さっきの私と何も変わっちゃいない』
『大丈夫!さっきの私と……』
『大丈夫!……』
そんな深層心理なのだろうか?
彼女は強迫症のように、頻繁に鏡を覗いていた。
間隔が開けば、顕著な劣化を突きつけられてしまうからだろう。
『鏡よ、鏡。私はちっともオバサンなんかじゃないよね?』
そう問いつづけて見える彼女は、なんて健気でホラーなのだろう!
水から茹でられた蛙は、いつ熱に気づくのだろう?
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