第37話 ヘアメさん
先日、コロナ禍で奮闘するキャバ嬢のドキュメンタリーを観た。
「サイドに流さないで。流すと老けて見えちゃうから……」
姉キャバ(キャバクラと熟キャバの中間店。二十代後半から三十代前半までの嬢が在籍する)から熟キャバに移行するかしないかの微妙な年ごろの彼女の、ヘアメ(イク)さんへのリクエストに激しく頷いてしまった。
年齢が上がるほど、ダウンスタイルの嬢は増えていく。
現実的な嬢ほど、己の身体的変化と折りあいをつけ、デコルテや天使の羽やヴィーナスラインを強調するドレスは選択しなくなる。
だが、それは必ずしも悪い作用ばかりではない。
身体的変化にむやみにあらがう悲壮感から解放され、女盛りではなく、人間盛りを売りにすれば、客層も深淵な方へと変化していくのだから。
キャバクラには専属のヘアメさんがいる。
嬢は五百円から千円程度/日の有料で、報酬から差しひかれる。
ヘアメさんといっても、嬢のヘアセットが主な仕事でメイクアップすることはない。
客単価の低い熟キャバでは、経費の問題からヘアメさんを置かない店もある。
そんなときはセルフの夜会巻きが手っとり早かった。
ドレスに着がえおえてから、市販の“夜会巻きコーム”で、いち、にっ、さん!
ストレートヘア(※シャギーなし)だと、おのずと艶が出るうえに少量の整髪料でまとまるので、髪の痛みも少なくてすんだ。
三十代で勤めた熟キャバにはヘアメさんがいたが、実にプロフェッショナルな人だった。
ドレスに着がえたあと、ストールを羽織り、系列店が合同で借りている近隣のビルの一室におもむく。
中にはスタンドミラーとスツールが放射状に配置されており、店ごとに担当が決まっていた。
何度かこしらえてもらっていると
「本当はアップが似あうんだけど……柔らかい直毛だからたくさんスプレー使わないとキープできないんだよね……」
と頭を悩ませていた。
確かに。
トイレに立つと気になって結びなおしていた。
プロのヘアメさんは“夜会巻きコーム”は使わない。
毎日のことなので、髪の痛みを気遣かってくれたのだ。
目から鱗だった。
そもそも、本人は剛毛の認識だったのだ。
「まっすぐですねー。まっすぐですねー」
と呪文のようにくり返されるばかりで、どのヘアメさんも、どこの美容師も、教えてくれなかった。
そこで、彼が担当のときは(※担当は日替わりで数名いた。私はフィーリングが合わない担当のときは断ってセルフセットしていた)ハーフアップにしてもらうことにした。
顔の吹き出物に悩まされたときは
「巻きおろしミックスで。下だけ巻いてください」
とリクエスト。
高い位置から巻いてしまうと、それこそ老けて見えるし、バカっぽくも見えるので、カールアイロンで顎から下の髪を内巻き外巻きの交互(ミックス)に巻きおろし、軽くスプレーしてもらった。
彼の仕事は丁寧で早い。
「ところでさ、〇〇ちゃん!あの子大丈夫なの?ちゃんと仕事できてる!?」
彼は問題児も問題児の嬢の名前を出した。
「ん?なんで?」
「ここで化粧しはじめるんだよ。セットはとっくに終わってるのに『やめて!』って言っても聞いてくれない。次の子を待たせちゃうし、俺の手が遅いと思われるのも癪でさー」
問題児の最たる問題は、己が問題児であるのに無自覚なことだ。
「あーそれは駄目だね。上(店長)に伝えます」
『化粧の時間ぐらい逆算して出勤せい!』
という単純な自己管理の話だ。
再三の注意にもかかわらず改善が見られなかった彼女は、店長にぶちギレられてクビになった。
あるとき、メイクの談になると、私がさる女性演歌歌手タイプなのだと、名前を出して教えてくれた。
「色をのせると派手に見えちゃう。派手に見せたいなら別だけど、そうじゃないならベースメイクで質感を整えてポイントメイクするぐらいでちょうどいい」
ナチュラルメイクを得意とする、彼らしいアドバイスだった。
“派手好みの客は下品なので要らない”
お陰で呼びこみたい客と、そうでない客とを、ますますコントロールできるようになった。
彼は個人サロンを持ち、数々の著名な媒体をもこなす、ヘアメイクアップアーティストだった。
あるときは
「〇ローズで八万のベスト買っちゃった!」
と舌を出し、またあるときは
「俺シックスパックだよ!じゃーん!」
とシャツをめくってみせた。
イケメンの役得でセクハラにはならない(笑)。
仕事ができて、率直で、人なつっこくて、お喋り上手で……女性が放っておくはずがなかった。
「まあねー。そりゃあ、若いころは遊んだよー」
と、いたずらな顔をしたが
「(以前から話していた)彼女と結婚するんだ。そろそろ落ちつこうと思って……」
と身内にでも報告するように話してくれた。
彼とは不思議な縁があり、移籍した店で再会して驚いたりもした。
引退した今でも、メイクアップのアドバイスは重宝している。
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