第12話 シャンパン
その夜は太客(大枚を叩く指名客)の来店予定があった。
(熟キャバにとっての)ミドルクラスのシャンパンを数本卸す。
個人的なつき合いを匂わされていたが、こちらは玄人なので、いずれ、お断りするときがくるだろう。
指名は太客が私に見きりをつけるまでの短期決戦だ。
その旨、店長代理にも伝えてあった。
予定より早く太客が来店した。
「好きなの飲んで」
メニューから好きなボトルを選ばせてくれる。
私は花シャン(ボトルにアネモネが描かれたシャンパン)のブリュットあたりから攻めようと、もくろんだ。
当時の熟キャバの相場で六、七万円といったところだろうか。
「お願いします!」
私はボーイを呼び、それとチーズの盛りあわせを頼んだ。
ボーイがキッチンに戻ると店長代理が私を呼んだ。
耳元で中三本指を折って手の甲を見せる
“電話ですよ!”のジェスチャーをしている。
優秀な黒服(水商売の男性従業員。黒いスーツを着用している)は嬢を無駄に動かすことをしない。
ドレスで立ったり座ったりするのを醜い所作としているからだ。
私も若いころ、そう指導を受けた。
「何?」
私はイラついて店長代理の前に立った。
「在庫がないから安いの頼んで。統括(そのエリアの店を統括している幹部)がまわってこないと軍資金がない!」
私は耳を疑った。
「はぁ!?早く(統括に)連絡してよ!」
『こいつ、店と嬢の利益の両方を潰してやがる!』
すぐに用意できない物はメニューに載せるべきではない。
店長代理は運転資金を管理する権限を与えられていなかったが、私は太客の来店予定を三日前に伝えていたのだ。
店長代理が統括に伝える時間は十分にあった。
百歩譲って在庫がないにしても、系列店に借りに走るぐらいの労力を惜しんではいけない。
『お前が少しぐらい店を抜けたってなーんの支障もねーわ!』
中座が長びくと一人ぼっちにしている太客に失礼なので、銘柄の在庫確認をして席に戻った。
「失礼しました!」
「何?お客さん?」
「いえいえ。こちらの不手際で……。今(花シャンを)買いに走らせているので白ワインでもいいですか?」
私は正直に話した。
卸したくもない安価なボトルを卸して消費していると、花シャンが届いた。
クーラーに水を張りすぎている。
氷に塩を撒いて水は少量でいい。
さもなくば、飲みおわるころにはどこもかしこも、びちゃびちゃだ。
花シャンにラベルはないが、ラベルがあるボトルでは、ふやけてみっともない。
店長代理が音を立てずに(※音を立てるのは下品な行為とされている)無難に開栓し、ミュズレの針金を絞りなおしてテーブルにコルクを飾った。
『よしよし……』
以前、慣れないボーイにシャンパンを頼んだ際、銘柄を間違えられたり、開栓時にコルクを足元に飛ばされて(なぜにそこ???)ドレスの裾をびちゃびちゃにされたので、気が抜けない。
もっとも、嬢に余計な気を使わせているようでは一人前のボーイとは言えないが。
そんなこんなで花シャンをブリュットからロゼに移行して太客はラストまで滞在した。
アフター(店がはけたあと嬢が客につき合う接待)に誘われたがお断りした。
私の元に通って数回、飲代を三桁落としたところで、太客の足はパタリと途だえた。
枕営業の嬢が指名を引きつぐこともできたが、好みの嬢がいなかったようだ。
誰かの“お手つき”では満足できなかったのだろうが、店の利益を思うともったいなかった。
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