第11話 ラムとソファーとマイディーバ
日本の音楽シーンに音痴ガールズが量産されて巷をにぎわせた時代、私は逃げるように洋楽に走った。
お陰で新たなディーバも発見できたが、相変わらず不動のナンバーワンがいる。
現役時代、仕事に向かう前、化粧をしながら彼女の歌を聴いた。
仕事や家族や恋人との関係に疲れたときも、彼女の歌を聴いた。
ラムをちびちびやりながらソファーに沈む。
「堕ちていく~♪ああ、そう、堕ちていく~♪」
酔いどれ詩人のカバー曲を彼女の哀感たっぷりの解釈で聴きながら、自分の感情が底をつくのを待った。
そうしてカタルシスを味わうことで、明日に立ちむかえていたのだった。
『男って、どうしようもない生き物ね……』
彼女の恋の歌には男性への優しい諦観があった。
若い男女がお互いを己の価値観に引きよせようとあがくころ、男と女は別の生き物だと、二十代の彼女はすでに知っている。
知って、諦めて、許して、歌っている。
早熟で、奥ゆかしくて、器がデカいのだ。
ライナーノーツから垣間見える、彼女の人生の喜怒哀楽。
それらの経験が彼女の歌の根幹をなしているようだった。
初めて彼女の歌をほんのワンフレーズ聴いた瞬間、皿を洗っていた手が勝手に止まった。
彼女が歌いおえるまで手に洗剤の泡をつけたまま、私はテレビの前から動けなかった。
低い草原を撫でる風が鳴っているようだった。
そんな体験は生まれて初めてだった。
翌日にはレコードショップに走って、その曲が入ったファーストアルバムを買い、貪るように聴いた。
耳触りがいいのに、ポップスのように気軽に歌わせてはくれない。
自分では再現できないので、ニューアルバムは必ず手に入れ、また、貪るように聴いた。
歌手願望など微塵もなかったが
『彼女のように歌えたらどんなに素敵だろう!』
と思った。
私の声が低いのは、酒やけやホルモンバランスの問題以前に、彼女の歌まねがルーツだからだ。
彼女をまねようとすると臍下丹田に力が入り、ぽっこりおなかが解消されるという、うれしい副次的効果もあった。
それからウン十年。
私は彼女の歌を聴きつづけている。
ジャズからスタートした彼女の輝かしいキャリアは、今ではノンセクションだ。
ブルースでもR&Bでもロックでもフォークでもカントリーでもクラシックでもポップスでも……彼女が歌えば皆、ソウルフルだ。
いつまでも私の心と体の芯を捉えて離さない。
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