第7話 吐く女②

 二十代のころ、私は毎日嘔吐していた。

 母の神経発達症、とりわけ自閉スペクトラム症の意志疎通の図れなさからストレスフルになり、学習性無力感に陥り、今で言うカサンドラ症候群を患っていた。

 母にまったく自覚がなかったのも私を苦しめた。

 カサンドラ症候群の症状は私が小学生のころより見知できた。

 五年生で氷しか食さない、今で言う氷食症を発症した。

 父が家を出て、母が愛人生活を始めたころだ。

 愛情希薄な家庭で育った子どもは、失われた子ども時代を取りもどすまで、大人になるのを拒むという。

 私の氷食症は拒食症でもあったが、それには体の成長を止めて子どもでいることで“親(養育者)からの愛され待ち”をしている一面もあった。


 中学生になると、朝礼や部活動の最中にブラックアウトした。

 学校の健康診断を切っかけに、鉄欠乏性貧血の病名を授かり、治療にあたった。

 動悸息切れがひどかったため、小学生のころより続けてきた運動部を辞めて転部し、日ごと油絵を描いた。

 母のネグレクトは私の病を長いこと潜伏させた。


 初めて過食嘔吐したのは十九歳。

 高校を卒業して水商売に従事して間もないころだ。

 デブは罪悪!という価値観の世界で、経験も知性も人柄も根拠なき自信も何もかもなかった私は、痩せていることに執着した。

 それが、当時の私が客に明示できる唯一のセールスポイントだったからだ。

 たいした美貌もないのに、痩せているだけで美女扱いされる“キャバ嬢マジック”を大いに利用した。

 不慣れな仕事のストレスから食欲と痩身欲がせめぎ合う。

 水かけ論になるとわかっていながら母と膝を突きあわせてしまう。

 そのたび、私は過食嘔吐をくり返した。

 エンゲル係数は恐ろしく高かったが、幸か不幸か、そのころの私は高給取りだった。

 生命を無下にしている罪悪感、飢餓に苦しむ発展途上国の人々……。

 それらを思いながらも私は嘔吐した。

 嘔吐すると、一瞬だが、内外の毒から解放されるような気がした。

 嘔吐も慣れてくると便器に屈むだけでオートマティックだ。

 ○ーライオンのようにピューッと。

 手の甲に吐きダコはない。

 胃酸を上げないテクニックを覚えたので歯のエナメル質も健在だ。

 誰も私が摂食障がいだと気づかなかった。

 みずから心療内科を訪ねることもなかった。

 私は私を粗末にして生きていた。


 私が二十代の終わり、母が不祥事を起こして蒸発したことで、二人の同居生活は解消された。

 パートナーとの邂逅もあった禍福の最中、私は少しずつ過食嘔吐から解放されていった。

 

 

 

 

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