第52話 逃避行

 アルバ砦……。クライン領とマクスウェル領の境にある、地域防衛を目的とした砦である。

 小高い丘の上に作られ、地形的にも、攻めるは難く、守りは易いとなっていた。

 その上、この数日は小競り合いも起きておらず、敵は遠巻きに眺めているだけなので、見張りの気がゆるむのも仕方のないことだった。

 アルバ砦に攻め入った兵の数は約3万。

 元々いたクライン領の常駐兵3千に対して10倍であり、物量にモノを言わせ、力尽くで無理矢理押し切ったのだった。

 開戦当初は、戦の興奮もあり、また勝者の当然の権利として、近隣の町や村を略奪して回り、浮かれきっていた兵達ではあったが、元々此度の戦のために徴兵された農民が大半を占めているため、勝利の興奮の波が去った後は、早く故郷に戻りたいと願うばかりで、士気の低下は否めなかった。


「………とまぁ、こんな状況だから、兵力の差はあっても、やりようによっては互角以上に戦える筈なんだけどな。」

「意見、無視されたのよね。」

「あぁ、余程俺のことが気にくわないらしい。」

 リョウは、昨日ここの司令官にあったときのことを思い出す………。


「貴公が、リョウか?お館様より何を言われているか知らんが、ここにいる間は、儂の命令に従って貰うぞ。どうやってお館様に取り入ったか知らないが、儂はそう甘くはないと心得よ!」

 司令官は、「平民風情が!」と吐き捨ててその場を去っていく。

 その場には、呆然と立ちすくむリョウの姿があった………。


「ん?リョウどうしたの?ボーッとしちゃって。」

「いや、昨日の司令官の言葉を思い出していた。」

 リョウは、心配そうにのぞき込んでくるニャオに笑顔で応える。

「色々言われたんだっけ?」

「あぁ、何か知らんが、どうやら俺が「領主に取り入って、手柄を横取りしようとしている小賢しい平民」に見えるみたいだ。」

「本当のこと言っても信じて貰えないのが辛いわね。」

「まぁ、「なにもするな」って言われるから、大人しくしていよう……って、ゆいゆい何脱いでるんだ?」

 リョウは、いそいそと上着を脱ぎ、インナーに手をかけているゆいゆいに声をかける。

「えっ、この後ご休憩なんですよね?だからご奉仕しようと……。」

「………、ニャオ。」

「ん、わかった。」

 リョウはこめかみを押さえつつ、ニャオに後を一任する。

 ニャオはゆいゆいを縛り上げて説教を始める。

 途中、正妻がどうとか、愛人の立場が、とか聞こえてくるが、気付かないふりをする。というか何も聞こえない。聞こえないと言ったら聞こえないのだ。

「クレア………ラビちゃんを貸してくれ。俺も癒されたい。」

 我関せずと、召喚獣達をモフっていたクレアに声をかける。

 アルやひよちゃんも中々ではあるが、やはり毛触りという点では、ラビちゃんは他の追随を許さない。

 難点をあげるとするならば、例の模擬戦以来、ラビちゃんの態度がつれなくなり、今みたいに「クレアにお願い」しないと近寄ってきてくれなくなった、と言うことぐらいだろうか。

 

「オウ、邪魔するぜ……アンタがリョウか?」

 ラビちゃんをモフっていると、厳つい体つきの男が寄ってくる。

「そうだけど、アンタは?」

「俺は、傭兵団『暁の翼』の副団長のゲイルだ。今回団長不在のため俺が取り仕切っている。」

「……それで、その副団長さんが、俺になんの用だ?」

「あぁ、アベルの旦那から、よろしく頼むって言われていてな、あの旦那が頭を下げるほどの男が、どんな野郎か面を拝みにきたのさ。」

「こんなの面で良ければ、いくらでも拝むといい。」

 リョウが言うと、クレアもニャオも、ゆいゆいまでもが複雑な表情で顔を背ける。

 いや、そこはツッコむか、せめて笑ってよ……。

「お、オウ……ところでアンタ、さっきご立派な司令官の処に行ってきたみたいだが、この後の行動に何か変更はあるのかい?」

 ゲイルも先程のリョウの言動は流すことに決めたらしい。顔の造作にはふれず話題を変えてくる。

「いや、司令官殿は何かお考えがあるらしく、何もするな!と仰られたよ。」

「……そうか。」

 ゲイルは一言そう言うと、何かを考えていたが、すぐに顔をリョウに向ける。

「わかった。お互い、な上司を持つと苦労するな。」

 ニヤリと笑ってみせるゲイル。

「本当にな。……用はそれだけか?」

「あぁ、それだけだ。アンタはこの後お楽しみなんだろ。」

 上着をはだけているゆいゆいに目をやり、ゲイルがそう言う。

「邪魔して悪かったな。ただこんな綺麗どころを戦場に連れてきてアンタも好きだねぇ……。俺たちにも回して……っ!」

 ゲイルが言い終わらないうちにリョウが喉元に剣を突きつける。

 熟練の戦士であるゲイルでさえ見切れなかったほどの早業だった。

「彼女達は俺の大事な仲間だ。侮辱は許さない。……あんたはアリスの兄と懇意らしいから、今回は警告で済ませてやる。……が2度目はないとお思え!」

「あ、あぁ、悪かった。軽いジョークだ。嬢ちゃん達も済まないな。」

 ゲイルは顔をひきつらせたまま謝罪すると、その場から去っていった。


 ◇


「クソッ、なんてスピードだ。この俺が反応できないなんて。しかもあの殺気……アベルの旦那の目は節穴じゃ無いって事かよ。」

 リョウ達の姿が見えないところまで移動してから、ゲイルは大きく息を吐いた。

 アベルから「賢者殿を送るからサポートを頼む。」と連絡があったときは、どうせ頭でっかちの現場のことを理解しようともしない輩を送り込んでくるのだろうと思った。

 更には「くれぐれも怒らせないように」と言われたときには、何か弱みを握られているのだろうと思ったものだった。

 念の為に、街に残してきた部下達に探らせると、アベルの妹御のお気に入りだという情報が入ってきたので、領主一族に取り入ろうとしている、くだらない奴なのだろうと認識した。

 そしてやってきたリョウを見て、その思いは確信に変わる。

 戦場に女連れで来るような、物見遊山の気でいる世間知らずに、一言言ってやろうと思ったのがリョウの処に行った理由だった。

 勿論それだけではなく、状況によっては傍の女共を借りようと言う下心もあった。どうせ少し脅せば、女を差し出すだろうと……。

 最も、その考えが間違いだったことに気づかされたのだが。

「まぁ、俺が間違っていたことは認めよう。ただ、それと、この戦局が覆るかどうかは、また別の話か。」

 ゲイルは、周りに人がいないことを確認してから、そう独り言を呟く。

 無能な司令官ソドムは、上からの「三日後までにアルバ砦を攻撃せよ。攻め落とせない場合、最低二日は戦局を維持せよ。」と言う命令に対し、何の策ももっておらず、ただ喚き散らすのみだった。

 アベルの言葉を信じるのであれば、リョウが戦局を打破する策を授けてくれるとのことだが、先ほどの様子では、ソドムに聞き入れてもらえなかったらしい。

 このままでは、数時間後には何の策もなく、正面からの消耗戦に突入する事になり、その時最前線に立たされるのは、傭兵であるゲイルとその部下達であることは間違いない。

 戦場にて、最前線で戦うことに臆する事はないが、無策無謀で無駄に部下の命を散らすことは我慢ならず、場合によっては、アベルを裏切ることになろうとも、部下達の命を最優先にすることも考えていたのだが……。

「取り敢えずは、アベルの旦那に『賢者』と言わしめたお人のお手並み拝見させて貰うとしますか。」

 それを見定めてから動いても遅くはないだろう、と一人ごちると、ゲイルは悠々とした足取りで部下達の元へ戻るのだった。


 ◇


「リョウ、格好良かったよ!でも良かったの?」

「庇ってくれたのは嬉しいけど、もう少し後先考えないと……。」

「リョウ先輩、私のために……ありがとうございます。」

 ニャオ達が口々にリョウに言葉をかけながら近づいてくる。

「リョウどうしたの……ってリオン?」

「に、ニャオぉ、クレアぁ、どうしよぉ。あんな怖そうな人に喧嘩売っちゃったよぉ。」

 ボスンっと、近づいてきたクレアの胸に顔を埋めるリョウ。

「はいはい、泣かないの。でもいきなり、何でリオンに変わっちゃったの?」

「わかんない。……でもどうしよぅ。」

「うぅ、リオンちゃんを慰める役をクー姉に取られたぁ。」

「仕方がないですよ。リョウ先輩はおっぱい大好きですから。」

 落ち込むニャオの神経を逆撫でするように告げるゆいゆい。本人は慰めているつもりなのだ。

「くぅ、これが勝者の余裕って奴ですかぁ!」

「ちょ、ちょっと……ニャオちゃん、やめて、揉まないで……。」

 そんな二人のやりとりを無視して、暫くクレアの胸に顔を埋めていたリオン(リョウ)だったが、やがて顔を上げるとまじめな顔でみ皆に告げる。

「みんな、準備して。逃げるわよ!」


「えっと、逃げるの?」

 リオン(リョウ)が何を言っているか理解できずに呆然としていたニャオ達。

 最初に我に返ったクレアが聞き返す。

「そう、逃げるの。大体、よく考えたら私達がこの戦いに付き合う、義理も必要も無いよね?」

「それはそうね。」

リオンの言葉に頷くクレア。

「でしょ?このままだと策もなく全面攻撃するだけだし、あんな怖い人に喧嘩売ったから、後ろから刺されかねないし。だから今の内に逃げるのよ。」

「逃げるのはいいけどどこへ?周り兵士が一杯だから誰にも見られずって言うのは難しいよ。」

 ニャオが疑問を口にするが、その答えはすでにリョウの中にあった。

「大丈夫、それについてはすでに考えてあるわ。強行偵察をしに行くって言えばいいのよ。」

「きょーこーてーさつ?」

「ゆいゆい、そうやってのばすと、アホの子に見えるから気をつけてね。」

 まぁ、可愛さアピールのために計算でやる女の子もいるけど……と言うか、以前よくやってたけど……ゆいゆいは天然なんだろうなぁと、リオンは思う。

 ただ、天然のくせに、可愛いというより、残念が先に来る辺り、可哀想と言う気がしなくもない。

「強行偵察って言うのは、簡単に言えば戦闘も視野に入れた情報収集の事よ。だから戦闘装備でもおかしくないってわけ。」

「成る程です。」

「と言うわけで、ゆいゆいは向こうでこっちをチラチラ見ている兵士に伝えてきてね。」

「何で私?」

「だって私こんなだし、近付いたら厄介なことになるよ?」

 いぶかしむゆいゆいにそう伝えると、納得したのか、兵士の方へ伝えにいく。

 ゆいゆいから話を聞いた兵士がこっちを見ているので、軽く頭を下げてから移動し始める。

 下手に騒がれる前にさっさと移動した方がいい。

「何で置いていくんですかぁ!」

 慌てて走ってくるゆいゆい。

「なんか、私の扱いが雑になってる気がしますぅ。」

「気のせいじゃない?」

「気のせいだよ。」

「気のせい……だと思うわ。」

「みんなの声が揃ってるところが怪しいですっ!。しかもクーちゃん先輩、目を逸らしましたよね?」

「逸らして……ないわ。」

「思いっきり逸らしてるじゃないですかぁ!」

「気のせいよ。そんなことよりどこに向かうの?」

「そんな事……そんな事って言ったよぉ。」

 シクシクと泣くゆいゆいを、ニャオが引きずる。

 結構扱いが酷かったりするのは、ゆいゆいの気のせいとばかりは言えないらしい。

 その様子を苦笑しながら見つつ、リオン(リョウ)は行き先を告げる。


「私達が目指すのは、アルバ砦よ。」


 



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