第35話 ハーブティとお泊まり会

「へぇ、そんなことがあったのね。」

 興味深そうに話を聞く紅羽。

「ウン、だからね、今週末お泊り会をすることになって……。」

 奈緒美が言い淀む。

 帰って来てから気分が優れない理由がこれだった。

 唯の事は好きだけど、いきなりお泊り会と言われても困る。

 唯の家に行っても、ご家族に対して何もしゃべれず挨拶すらできないという光景がまざまざと思い浮かぶ。

 かといってこの部屋に呼ぶのは論外だ。

 ここはくーちゃんの部屋で私の部屋じゃない、と奈緒美は頑なに考えていた。

 そんな奈緒美の気持ちが手に取るようにわかる紅羽は一つの提案をする。

「だったらあなたの部屋に呼べばいいじゃない?」

「へっ?」

「忘れたの?この下のフロアはあなたの為の部屋になってるのよ?」

 確かにそう言われたことは覚えているが、だからと言って自分の部屋だという感覚は一切なかった。

「マキナがちゃんと毎日手入れしているから、すぐにでも生活できるようになってるわよ。何なら今から行ってみる?」

「あ……うん……明日……。」

「明日?」

「ウン、明日センパイを誘って……行ってみる。」

 奈緒美のその言葉を聞き、複雑な思いを抱える紅羽だった。


 ◇


「で、何でこんな事に?」

「あはは……何でだろうね?」

 憮然とする涼斗に苦笑しながら答える紅羽。

「もぅ、くーちゃんもセンパイも「困ったことがあればいつでも力になる」って言ってくれたじゃない。」

 奈緒美が飲み物を用意しながら言う。

「確かに言ったが……。」

 ピンポーン。

「あ、来たかな?……ハーイ。」

 涼斗の言葉を遮るようにチャイムが鳴り、来客者を出迎えるために奈緒美が玄関に向かう。


「こんにちわ……お邪魔……します……。」

 奈緒美につれられて、怖ず怖ずと部屋に入ってきたのは、大きな荷物を抱えた唯だった。

「いらっしゃい。……どうした?まさか緊張してるとか?」

 今日はかねてからの約束通り、唯と奈緒美が「お泊まり会」をする事になっている。

「当たり前ですよぉ!私、初めてなんですよ……その……男の人の家に泊まるの。」

 頬を赤く染め、もじもじしながらそう呟く唯を見ていると、涼斗も何となく落ち着きがなくなってくる。

 唯の言うとおり、ここは涼斗の家だった。

 奈緒美がお泊まり会をするから涼斗の家に集合、と言ったのが昨日のこと。

 女子会なのだから唯の家か奈緒美の家、もしくは紅羽の部屋でやればいいじゃないかと、ごく真っ当な意見は「センパイのせいでお泊まり会するハメになったんだから責任とってよ!」と言う奈緒美の言葉により却下された。

 後で、紅羽から聞いた話では、紅羽の下の階に用意されている奈緒美の部屋を使えば、とすすめたらしいのだが、気乗りしない様子だったそうだ。

 現在、涼斗の父親は単身赴任、母親は盆明けから長期出張で年末まで帰ってこず、妹は夏休み前から父親の単身赴任先へ行ったまま帰ってこない、と言うことで、別に誰に遠慮することなく、人を泊める事が出来るので問題はない……が、だからと言って、何も涼斗の家でやらなくても、と言う意見は先程の「責任」発言により却下されている。

 因みに、マキナさんが「先程の奈緒美様の『センパイ、責任とってね。』と言う言葉をしっかりと録音いたしました。つきましてはこの音声データを旦那様に送ってもよろしいでしょうか?」と言う一言で、涼斗は完全敗北を悟り無条件降伏をしたのだった。


「初めてを涼斗様が奪ったのですね。」

「言い方っ!」

 食事の下拵えをしていたマキナさんが、キッチンから顔を出して、いつものようなギリギリの表現をしてくるので、涼斗は手近にあった布巾を投げつけて黙らせる。

 マキナさんには、強くツッコミを入れないと流されるだけだと言うことを学習した涼斗は、最近では容赦なくやり返すことにしている。

 因みにマキナさんがここにいる理由は、表向き「お嬢様のお世話をするため」だが、小声で、「美少女のお泊まり会!チャンスですね。」と呟いていたので、きっと別の目的があるのだと思う……。 思うのだが、涼斗にはそれを止める事は出来ない。

 画像データ、音声データなど、マキナさんには数々のお世話になり、同時に諸々の弱みを握られているからだ。


「あの……。」

「ん?」

 唯がモジモジしながら声をかけてくる。

「初めてなので、その……優しくしてくださいね?」

「なにをっ!」

 思わず、手近にあったハリセンで唯をはたく………このハリセンどこから出てきたんだろう?

「ア……ンッ……リョウ先輩、激しすぎますぅ。」

「いい加減にしなさいっ!」

 パカーンッ!

 飲み物を持ってきた奈緒美が、手にしたトレイで唯の頭をはたく。

「マジ痛いっす……奈緒ちゃん酷いよぉ。これ以上バカになったらどうするんですか?」

「自業自得!」

 そう言って、奈緒美は涼斗の横に座り、腕を絡めてくる。

 涼斗は振り払いかけたが、その身体が小刻みに震えているのに気づいて、そのまま好きにさせる事にした。


 ◇


「……それでそのままスライムに溶かされちゃったと?」

「そうなんですよぉ。酷いと思いませんかっ。他にもですねぇ……。」

 唯が紅羽に対し熱弁を振るっているのは、SLOで受けたという名の悪魔の所業の数々。

 曰わく、大規模イベント中にモンスター毎吹っ飛ばされた。

 曰わく、町中で声をかけたら、虫系モンスターの巣穴に強制転移させられた。

 曰わく、スライムをトレインしていったら、逆にスライム地獄に落とされた等々……。

(センパイ、恨まれてるねぇ。)

(っていわれてもなぁ、全く覚えがない。)

(酷っ!あれだけの事しておいて覚えがないなんて。)

(いや、唯が言ってる事って、日常茶飯事だったからなぁ、どれのことかサッパリわからん。)

 唯の愚痴?を聞きながら、涼斗と奈緒美は小声で話す。

 リオンの正体が涼斗だったという事が、バレるわけにもいけないので、自然と内緒話をする形になってしまう。

 そもそも、何でSLOの話になったかというと、唯が「お宝さがし」と言う名目で家探しをし始めたのが切っ掛けだった。

 勿論、涼斗もその行動は予測していたので、ヤバいものは厳重に封印して処理してあったのだが、唯一見落としていた、PCのスクリーンセイバーにリオンの画像が残っていたことから、涼斗や奈緒美がSLOユーザーだったことを告げると、実は唯もSLOユーザーだったことが判明したのだった。

 因みに、スクリーンセイバーがリオンだった件は、涼斗がリオンのファンだったと言うとあっさりと納得してくれて、それ以上ツッコまれることがなかった。

 代わりに、リオンは見かけは可愛くても実は酷いと言うことを語り出して今に至るのだった。


「ちょっとぉ、二人でコソコソ内緒話してぇ、ちゃんと聞いてます?」

 唯がプンスカしながら話を振ってくる。

「聞いてる、聞いてる。でもなぁ、あのリオンのことだから悪気はなかったんじゃないか?」

 唯の話を聞いていて、当時のことを何となく思い出すが、悪意を持ってやったことは一つもない………まぁ、やり過ぎた感はあるが。

 そもそも唯の言う、イベント中の吹っ飛ばしは、ひたすら湧いてくるmobが鬱陶しくて、極大化させた広範囲魔法で一掃したときのことだと思うが、あのときは敵味方関係なく吹っ飛ばしているので、特に唯に向けて、と言うわけではない。

 現に、奈緒美扮する「ナオト」を始めとしたギルドの連中も巻き込まれていたし。

 まぁ、その後キレたギルメンが、更に広範囲魔法や技を繰り出して、阿鼻叫喚の地獄絵図になるまでがデフォであり、戦闘系のイベントではほぼ毎回同じ事が起きていた。

 他にも、街中でいきなり声をかけてくるような、ナンパ目的の見知らぬキャラは、洩れなく地獄へ案内するのは基本だし………と言うか、一時期本当に鬱陶しい状況が続いたので、知らない人から声をかけられたら基本無視、それでも声をかけてきた奴は、ダンジョンGの巣穴へ強制的に御案内していたのだ。

 暫くして噂が広まると、不用意に声をかけてくる輩が減ったので間違ってなかったと思う。

 そして、スライムの件については、明らかに自業自得だろう。

 そもそも、足の遅いスライムをトレインしようとしたところに問題があると思うのだが。


「男の人はこれだからっ。みんなあの見た目に騙されているんですよっ。スライムの時なんか、本当に酷かったんですよ。着ていた装備全部溶かされてアンダーウェアのみにされたんですから。……まぁ、当時は2Dですからね、それほど問題はないんですけど、今流行りのVRだったら、お嫁にいけなくなるところですよ。」

 唯に言われて想像してみる。

 スライムに襲われ、徐々に衣類を溶かされるニャオとクレア……。

「……って、痛っ!」

 気付くと、奈緒美と紅羽の二人に抓られている。

「きゃはっ、リョウ先輩はぁ、何を想像してたんですかぁ?」

 唯がからかうように聞いてくる。

「べっ、別に。なにも。………。」

「センパイのエッチ………。」

 否定するもののバレバレのようだった。


「あっ、奈緒ちゃんもリョウ先輩もSLOユーザーだったなら、もしかしてUSOやってます?」

 唐突に唯がそう聞いてくるので、涼斗達は思わず顔を見合わせ笑い出す。

「えっ、えっ……どうしたんですか?」

 訳がわからず、狼狽え始める唯に、奈緒美が笑いながら説明する。

「アハっ、ごめんね。まさかこんな身近にお仲間がいると思っていなくて。でも唯ちゃんオタだもんね。USOに手を出しててもおかしくないよね。」

「しぃー!しぃーっ!私は隠れオタなのが、くーちゃん先輩にバレちゃうでしょ!」

 唯が必死になって奈緒美を制止しているのを見て、紅羽が小さな声で囁いてくる。

(ねぇ、隠れオタってなぁに?)

(オタクだって事を隠してる人種のこと。)

(隠れてる??………隠れてた?)

(本人は隠れて、擬態も完璧……だと思っているらしいよ。)

(……、そうなのね。)

 唯を見る紅羽の目が、どこか可哀想な子を見るものになったのは仕方がない、と涼斗は思った。


「あーあ、奈緒ちゃん達がUSOやってるって知っていたら、VRギア持ってきたのになぁ。」

 食後のデザートを頬張りながら、唯が今日何度目かの呟きを口にする。

 給仕を終えたマキナさんが紅羽を見ると、紅羽は苦笑しながらも頷く。

 それを確認してからマキナさんはそっと、部屋を出ていった。



「涼斗クン、お先にありがとうね。」

 風呂から上がった紅羽が、髪を拭きながらリビングに入ってくる。

「おぅ、しかし本当に3人で入るとは……狭かっただろ?」

 涼斗は用意していたティーカップにお茶を注いで紅羽に差し出しながら言う。

「ありがと。」

 紅羽は苦笑するだけでは狭さには言及せず、受け取ったお茶を眺めてから、口を付ける。

「これは初めて飲むわ。綺麗な色ね……なんてお茶?」

「マロウブルーって聞いたことある?」

 ハーブティの名前を告げると、紅羽はゆっくりと首を振る。

「いいえ初めて聞くわ……あらっ?」

「ん、どうした?」

 涼斗は口がニヤケてくるのを必死に堪えながら、平静を装って訊ねる。

 紅羽はじっとハーブティを見つめている。

 最初は水色だったお茶が段々紫へと変化していく様は、いつ見ても飽きない。

 初めて見るなら尚更だろう。

 紫色に変わりきったところでレモンポーションを渡し、入れてみるように告げる。

 紅羽は言う通りにレモンポーションをハーブティに注ぐと、あっ、と声を上げる。

 紫だったお茶が見る見ると赤く染まっていったからだ。

「マロウブルーは夜明けのハーブティーとも言われていて、水色から紫、そして赤色へと3色に変化するのが特徴のハーブティなんだよ。こういうインパクトがあって健康にもいいと言ううたい文句があれば、クラスの奴らも説得できるだろ?」

「はぁ……そういう事ね。お見事だわ。それに『夜明けのハーブティ』なんてロマンチックだわ。」

 涼斗達のクラスでは喫茶店をやることだけは決まっていたが、それ以外はコンセプトも何も決まっていないにも拘わらずとにかく優秀賞を取りたいという意気込みだけが、から周りしていた。

 そうなると、当然安易な方向に走りたがる者はいるわけで、紅羽人気に乗っかってメイド喫茶もどきをやろうと言い出す者が出始めたのだ。

 クラスメイトの大半は去年のことを経験しているため、難色を示してはいるが、覆せるほどの妙案も浮かばずに難儀しているのだった。

 涼斗としては、昨年の反省を踏まえて、口も手も出す気は無かったのだが、事ある度に紅羽が視線で訴えてくるため、仕方がなく考えたのがハーブティ専門のカフェだ。

 ハーブティには色々な効能もあるので、その解説を張り出して展示すれば教師受けもいいし、単純に喫茶店としても楽しめる。

 そして、今紅羽が体験したように、インパクトのあるところを見せれば人気も出ると涼斗は踏んでいる。

「色が変わるハーブティは、ローズヒップなど他にもあるし、予めレモンポーションを入れておいたグラスにこうして注げば……。」

 涼斗が手にしたティーポットはガラス製で鮮やかな水色のお茶が入っているのが一目でわかる。

 そして、やはり透明なグラスに注いでいくと、赤色に変化したお茶に変わる。

「一目瞭然だからパフォーマンスとしても最適だろ?」

「そうね、コレならみんな納得してくれるわ。」

「ならよかった。じゃぁ後は任せる。」

「ちょ、ちょっと、任せるって……涼斗クンが説明してくれないの?」

「やだよ。それにこう言うのは、いかにもお嬢様の趣味って感じだろ?だから紅羽が説明した方が説得力あるんだってば。」

 涼斗がハーブに詳しいのは、ハーブティに凝っていると言えば、お嬢様っぽいと考えていたからだ。

 だからリオンの設定の中に「趣味は自家製のハーブでハーブティを嗜むこと」を入れて、リアリティを持たせるために、色々調べたのだ。

 実際、庭には何種類かのハーブが植えてあり、何種類かのブレンドは検証済みだったりする。

 すべては、ネカマとバレないための涙ぐましい努力である。

「それに、女の子っぽい趣味があるなんて噂が流れたら、今度こそ引きこもるぞ。」

「……はぁ、何となく奈緒が言ってた意味が理解できた気がするわ。」

「何のことだ?」

「こっちの話よ。それより私じゃ、詳しいこと聞かれても答えられないのよ。だからあなたの協力が必要なの。」

 目の前まで迫ってくる紅羽から逃れようと後退る涼斗だが、ソファーに座っていてはそれも出来ない。

「くーちゃんがセンパイを誘惑してる。」

 突然聞こえた声の方をみる紅羽と涼斗。

「センパイもヤッパリおっぱい大きい方がいいんだね。」

「違うぞ、何か分からんが、きっと誤解してるぞ。」

「その格好でいっても説得力無いよ?」

 奈緒美が冷ややかな声でそういう。

 ソファーにもたれ掛かる涼斗の上から覆い被さっている紅羽。

 その胸は密着し、顔も触れるか触れないかと言うところまで近付いている。

 そのことに気づいた紅羽は、慌てて飛び退き、真っ赤になっている顔を両手で覆い隠しながら部屋を飛びだしていく。

「あっ!」

「ここは私が……。涼斗様はあちらのお相手がございますでしょ?」

 どこからともなく現れたマキナさんがカメラを涼斗に渡し、紅羽の後を追いかけていく。

「じゃぁセンパイ、ゆっくりお話ししようねぇ。大丈夫よ、夜は長いからねぇ。」

 笑顔なのに目が笑ってない奈緒美。

 その横にいる唯に視線で助けを求めるが、彼女は首を振って胸の前で両腕をクロス……×を作ってみせる。

「な、奈緒、落ち着け、落ち着こう………そうだ、リラックスできるハーブティを入れてやるよ。 涼斗はそう言ってキッチンへとエスケープする。


 ……1時間後、ようやく落ち着いた紅羽が、マキナと共に戻ってきて目にしたのは、土下座して赦しを乞うている涼斗の姿だった。



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