第34話 文化祭に向けて

 県下有数の進学校である誠心学園には、一学年300人ほどの生徒がいる。

 その中の一部と言えども、多数の生徒がひしめき合う廊下……彼ら彼女らが見ているのは先日行われた期末テストの順位表である。

 誠心学園は二期制であり、夏休みが終わった後の9月半ばに期末テストが行われ、その1か月後に文化祭があり秋休みを経て後期が始まる。

 故に、現在学園の中は文化祭に向けて騒がしいのだが、特にこのテストの結果発表の時は余計に騒がしくなる。

 なぜならば、順位表には上位50位の名前以外に、赤点を取った補習受講者の名前まで張り出されるからだ。

 補習受講者は、張り出された翌日から、文化祭の前日までの間、ずっと放課後に補習を受け、さらに文化祭の翌日に行われる追試を受けなければならない。

 しかも、その追試で合格をとれなかった場合、その後10日にわたる秋休みの間、ずっと補修というスペシャルコースが待っている。

 つまり、赤点を取ったが最後、文化祭を楽しむ暇がないという事だった。

 そしてその影響は本人だけでなく、一緒に準備をしているクラスメイトにまで出てくるため、順位表の張り出しは、皆が注目するのだ。


「……って、センパイ、余裕ですね。結果見に行かなくてもいいんですか?」

「大体予想はつくからな。俺は良い方にも悪い方にも名前は載っていない、紅羽はたぶん10位以内に入っている、ってところだろ?というより奈緒こそ見に行かないのか?」

 美味しそうにお弁当を食べている奈緒美にそう声をかける涼斗。

 涼斗は1年の時から、県下有数の進学校で学年60位ぐらいをキープしている。

 特に勉強をしているように見えないのだが、赤点を取るほど悪くない……というか学年60位といえば、十分に全国トップレベルに入り込めるのだが、本人は特に気にした様子もない。

 ゲームや趣味に時間を費やすために、親や周りに文句を言わせない程度の成績をとる……それが浅羽涼斗の学園内におけるスタンスで、その結果上の中辺りの順位をキープしているだった。


「私は後で見に行くよ。それより今はセンパイとお昼の時間なの。はい、あーん。」

「あーん……もぐもぐ……美味いなこれ。」

「ほんと?これはねぇ、下味に一手間加えて……。」

 嬉しそうに料理の解説をする奈緒美。

 傍から見れば、所かまわずイチャつくバカップルそのものであるが、涼斗と奈緒美は付き合っているわけではない。

 それを知っているクラスメイトなどは、「お前らもう、早く付き合っちゃえよ!」と歯がゆい思いで見守っている……というのが最近の涼斗の周りの現状だった。

 なので、最近二人がいる、この中庭の奥まったところに訪れるものは少ないのだが、今日はどうやら違う日らしい。

「あー、やっと見つけたぁ!」

「唯ちゃん、なんでここに?」

「ずっと探してたんだよ。色々な目撃情報を集めて辿り着いたの。……あ、センパイお邪魔しますね。」

 そういって涼斗と奈緒美が腰かけるベンチに腰掛けてくる唯と呼ばれた少女。

 困った表情を見せる奈緒美だが、唯が座りやすいように、座る位置をずらして場所を開けてあげる所を見ると、嫌っているわけではない。

 「あ、センパイの玉子焼き美味しそうですね。一つもらいますね。」

 言うが早いか、涼斗が返事をする間もなく、玉子焼きをつまみ取り口の中に入れる図々しい後輩の少女。


 笠原唯……コミュ障な奈緒美の数少ない友人の一人であり、涼斗に気安く話しかけてくる数少ない後輩の一人だ。

 唯と涼斗が初めて顔を合わせてから1月もたっていないのだが、なぜかこうして懐かれている。

 出会いを考えれば不思議な光景だと涼斗は思うのだ。

 唯を初めてみたのは、例のUSOでの事件から無事帰還した数日後だった。

「私の嫁を誑かした浅羽涼斗って誰っ!」

 唯の第一声はこんな感じだった。

 あろうことか、上級生の教室に堂々とやってくるその度胸は大したものだと、素直に感心した覚えがある。

 その後、後から駆け付けた奈緒美によって羽交い絞めにされ、騒ぎが大きくなるのを嫌がった涼斗が、拉致同然に屋上まで連れて行き、昼休み一杯をかけて説得を試みたところ、ようやく理解してもらえ、それからは学園内で見かけるたびに、こうして声をかけてくるようになったのだった。

 ちなみに、唯が涼斗を認めた原因となったのは、奈緒美の『センパイは私の大事な人なのっ。それが判らない唯ちゃんなんか絶交だよっ!』という一言だったというのは、涼斗の与り知らぬ事である。


「それで唯、奈緒を探していたって言ったが、何かあったのか?」

 涼斗は、美味しそうにモグモグと涼斗と奈緒美の弁当を摘まむ唯に声をかける。

「もぐもぐ……やっぱり奈緒ちゃんのお弁当は最高ですね。さすがは私の嫁……って何ですかセンパイ?」

「いや、だから、何かあって奈緒を探してたんだろ?」

「そうです、それですよセンパイっ!」

 唯は口の中にあった食べ物をゴクンと飲み込んでから、話し出す。

「実はですね、文化祭の出し物について難航してまして……。」

「なんだまだ決まってないのか?もう提出期限過ぎてるだろ?」

 誠心学園では、期末テストが終わった後に開かれる文化祭実行委員会の開催までに各クラスで何をやるかを提出しなければならない決まりになっている。

 この締め切りを破ると、学園が用意したものを強制的にやらされることになるので、各クラスや団体は夏休み中にある程度のことを決めておくのが普通なのだ。

「いえ、一応コスプレメイド喫茶をやることが決まってまして……。」

「だからヤダって言ってるでしょ!」

 それだけで、唯が何を言いたいのか察した奈緒美は、先に拒絶の言葉を吐く。

「そんなこと言わないでよぉ。絶対に似合うからぁ。というより私が見たいっ!」


 この笠原唯という後輩は、数々の言動から察せられるようにオタクである。

 それもかなりディープな域に足を踏み入れているらしいのだが、本人曰く「私は隠れオタなんです。だからセンパイも内緒にしててくださいね。」との事だった。

 後で奈緒美に確認したところ、『隠れオタ』と言ってるのは本人だけで、クラスメイトみんなが知っているとの事。

 まぁ、言動や行動がオタ丸出しだから仕方がないとはいえ、それでも隠れていると思っているところが一番厄介なのかもしれない。

 そんな『自称:隠れオタ』の唯が提案したのが、コスプレメイド喫茶で、意外?なことにクラスメイトがかなり乗り気になり、唯を中心に準備を進めてきたのだが、ここにきて奈緒美がコスプレを嫌がり、その説得のために唯が奔走している、という事らしい。


「そもそも、コスプレも、メイドも文実の許可が下りないだろ?」

「だから、それはぁ、普通の喫茶店ってことで通してるんですよぉ。実際には接客する人たちの衣装がちょっと変わってるだけだから問題ないですよね?」

 唯はそんな風に説明するが、問題は大アリだ。

「いや、問題はあるけど……奈緒は知っていたのか?」

 そう聞くと奈緒美はぶるぶると首を振る。

「知っていたら反対してたよ。去年の事くーちゃんに聞いていたし。」

「だよな……あー、唯、悪いことは言わないからやめておけ。普通の喫茶店にしておいた方がいいぞ。」

「でも、もう衣装もかなり出来上がってるんですよ。今更取りやめるなんて……。」

 なんでもクラスメイトのオタたちが協力し合って、かなりの出来のコスが数着出来上がっているらしい。

 オタクの執念岩をも砕くというように、出来栄えは素晴らしく、それにかけた情熱も時間も予算も無駄にしたくないというのが唯の言い分だった。

「あのな、唯は1年だから知らないと思うけど、去年もメイド喫茶をやろうとしたクラスがあったんだよ。」

 唯に去年の騒動の事を説明する涼斗。


 誠心学園の文化祭では、最終日の全校生徒によるアンケート投票で一番人気だった出し物に対して賞がもらえる。

 去年は副賞として学園の食堂無料券というように、学生にとってはかなり美味しく、賞をゲットするために盛り上がる。

 そして、一番人気を得るためには、と毎年どこかのクラスで同じことを考える奴は出てくるもので、去年も隠れてメイド喫茶を画策したクラスがあった。

 ただ、そのクラスの首謀者は、事前に色々情報を仕入れていたらしく、当日まで徹底して陰に隠れて準備を行ってきた。

 それこそ他のクラスメイトにも内緒で。

 そして迎えた当日、用意された衣装に戸惑うクラスメイトの女子だったが、今更中止に出来ないということもあり、また賞を諦めるのも惜しく、渋々着替えることになる。

 まぁ、始まってしまえば、いつもと違う非日常に、クラスメイト達も他の生徒たちも浮かれてノリもよく、成功のまま終日を迎えるかと思われたのだが……。

「何か問題があったんですか?」

「あぁ。当日になればバレるだろ?でもまぁ、お祭りということで学園も文実も目をつぶることにしていたんだけどな、流石に目を瞑っていられない騒ぎが起きてなぁ……。」

 問題が起きたのは最終日、その騒動のもとになったのは加納紅羽その人である。

 加納紅羽がメイドの格好をしている、という噂は初日に広まり、二日目は紅羽のメイド姿を一目でも見ようと大勢の客が押し掛けてきた。

 そこまでは予測の範囲内だし、そもそも噂をバラまいたのはそのクラスの首謀者で、それで終われば問題なく、彼は文化祭で大成功を収めた立役者と称賛されることは間違いなかった。

 事実、事態は彼の思惑通りに動いていて成功間違いなしではあった……ただ、紅羽の人気を甘く見ていたことが彼の敗因だったという事だけで。

「奴はやり過ぎたんだよ。さらなる集客を目論んで「加納紅羽がメイド姿でご奉仕してくれる」って噂を流してな。」

 嘘じゃないところが、この噂を流した奴の狙い目だった。

 接客といえばご奉仕といえなくもなく、事実本場のメイド喫茶では接客の事を『ご奉仕』ということもあるらしい。

 だが、そんな思惑とは関係なく、ご奉仕しろ!と詰めかける客が多く集まったため、教室内は接客どころじゃない大騒ぎとなり、そのクラスは最終日の終了を待たずに閉鎖を余儀なくされた。

 その上、紅羽をはじめとするクラス女子の盗撮写真が出回り高額で取引されていることが明るみに出たため、関係者及びクラス全員が処分……つまり秋休みを含む1か月間の補習と奉仕活動をする羽目に陥ったのだ。

 そんなことがあっても、今年も涼斗のクラスの出し物は「喫茶店」になったのだから、喉元過ぎれば……ってやつである。


「へぇ、そんなことがあったんですねぇ。」

「あぁ、だからやめておけ。去年の二の舞になるのがオチだ。」

「でも、それって、紅羽先輩がいたからですよね?うちではそんなことが起きるとは思えないんですけど?」

 ただ私が奈緒ちゃんのコスプレを見たいだけなんです、という唯を可哀想な子を見るように眺める涼斗。

 知らないってことはいいことだ……と。

「なんですか、なんでそんな目で見るんですかっ。」

「……ちなみに、奈緒にどんな格好させる気なんだ?」

「それは「ネコミミメイド」一択です。うちのコンセプトは「ケモミミメイド」になってまして、奈緒ちゃんならネコミミだ!ってピンと来たんですよぉ。」

 やっぱりか、とため息を吐く涼斗。

 唯のみる目は見張るものがあるのだが、先を読めないというあたりまだまだだと思う。

「悪いことは言わん、やめておけ。文化祭の後、地獄を見たくなければな。」

「なんでそんなこと言うんですかぁ。センパイだって奈緒ちゃんのネコミミメイドみたいでしょ?」

 涙目になりながら訴えてくる唯。

 実を言えば涼斗も奈緒のネコミミメイドの姿が見たい。

 見たいのだが、唯の計画通りに事が進めば、去年の紅羽以上の騒ぎになることは目に見えている。

 そして、その結果、連帯責任で奈緒美の秋休みが潰れることになっては、涼斗の計画が総崩れになる。

「センパイ、私の事嫌いなんですかぁ?」

 目をウルウルさせながら訴えてくる唯、その背後で険しい顔をしている奈緒。

 これはマズい、と本能的に悟った涼斗は切り札を出すことにする。

「まぁ、言ってもわからないなら実際に見ればわかるだろ。」

 そういって涼斗はスマホを取り出し、ある画像を表示させて唯に見せる。

「ふわっ!なにこれっ!……これって、これって……。」

「わかっただろ。今のお前の反応こそ、俺が反対する理由だ。写真だけでその状態で、本物を見て我慢できるのか?」

 唯に見せたのは、先日マキナさんから譲ってもらった画像だった。

 ネコミミメイド姿で、スヤスヤと寝ている奈緒美の姿。

 涼斗の宝物の一つだあることは奈緒美には内緒である。

「ず……ずるいっ!センパイばっかり奈緒ちゃんのそんな姿を見てっ!断固抗議しますっ!」

 ずるいずるいと泣き喚く後輩を宥めるだけで、その日の涼斗の昼休みは過ぎていった。

 




 

 

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