第18話 奈緒美と紅羽

「やめなさいっ!ニャオ……奈緒っ!私が判らないのっ!?」

「わかってるよ。くーちゃんだってことくらいっ!」

「だったら、なぜっ!」

 リョウの眼前では、先程の悪夢の再来かと思うような光景が広がっていた。

 ニャオとクレアが戦っている……正確にはニャオが一方的にクレアに襲い掛かり、クレアはそれを躱し、凌いでいる。

「くーちゃんは……お姉ちゃんは、いつも、いつも私の欲しいものを持っていくんだ。」

「そんなことないでしょっ!」

「あるよっ!お洋服だってぬいぐるみだって……。お姉ちゃんは何もしなくてもなんでももらえる、誰もが可愛がってくれるっ!」

「そんなことないっ!それに私がもらったものでも奈緒に分けてあげたじゃないのっ!」

 クレアの叫び声に、ニャオは暗い嗤いを見せる。

「お姉ちゃんはいいよね。そうやって上から目線で私に施しを与えて。私を可愛がる振りをして。そうだよね、可哀そうな私に優しくして施しを与える優しいお姉ちゃんってみんなが褒めてるもんね。その度に私がどんな思いをしてきたかなんてわからないでしょっ!」

「奈緒っ!それは誤解よっ!」

「誤解でもなんでもいいよっ!お姉ちゃんは私が欲しいものをすべて持っていて、それでもまだ持っていく!それが事実だよ!お父さんだって!……センパイだってっ!」

「そ、それは……。」

 ニャオの言葉に動転したクレアの隙を逃さず、ニャオは双剣を振り下ろす。

 

ガシッ!


「間に合ったかっ!」

 クレアを切り裂く寸前、間に割り込んだリョウの剣が、ニャオの剣戟を受け止める。

「リョウっ!」

「いいからさがれっ!」

 クレアに声をかけて背後へと下がらせる。

「気を付けてっ!今の奈緒はいつもの奈緒じゃないわっ!」

「あぁ、分かってる。大丈夫だっ!」

 双剣を弾き返しながら間合いを取り、ニャオの隙を伺う。

「やっぱり、センパイもお姉ちゃんのほうがいいんだ。そうなんだっ!」

 ニャオは双剣を下ろすと、ゆっくりと近づいてくる。

「そりゃあね、おっぱいもお姉ちゃんのほうが大きいよ、90あるしね。」

「そうなのか?」

 思わず振り返ってクレアの胸元を見るリョウ。

「ば、ばかっ!今はそれどころじゃないでしょっ!」

 両腕で胸元を隠し、真っ赤になりながら叫ぶクレア。

「そうだったっ、つい……。あ、ほら、でもニャオだってそれなりに大き……い……。」

 慌ててニャオの方に視線を戻し、フォローをいれようとするリョウ。

 その視線は当然の事ながら胸元に行ってしまうのだが、ニャオのジト目に耐えきれず視線を逸らしてしまう。

「いいよ。自分でも分かってるし。今、センパイがお姉ちゃんの胸見た時点で答え出てるよね?」

「イヤ、それは……男なら誰だって……。」

「うん、分かってる。仕方がないよね。」

「分かってくれて嬉しいよ。」

 リョウはホッと胸を撫で下ろす……が、それはまだ早かったようだ。

「うん、だから元凶を絶つの。お姉ちゃんがいなくなればセンパイは私を見てくれるよね?」

 リョウの頭の中に「ヤンデレ」と言う単語が浮かび上がる。


「待て待てっ!早まるなっ!」

 リョウは慌ててクレアを庇うように立ち塞がる。

「センパイ、どいて!ソイツ殺せない!」

「殺すなよ!ってかそのネタかなり古いぞ。」

「やっぱり、センパイはお姉ちゃんの方がいいんだっ!そんなにおっぱいおおきいほうがいいのっ!どうせ私がいないところで、あんなことやこんなこと、色々するんでしょ!エロ同人みたいにっ!!」

「そのネタも……ってか色々混じっててわけわからんぞ!」

「私を守るって言ったくせにぃ!」

 ニャオが激しく切りかかってくるのを、リョウはかろうじて受け止める。

「お、俺は奈緒を守る……その言葉は嘘じゃないっ!」

「嘘だっ!みんな口ではそんな事言ってるけど、本心は違うって知ってるんだよ!」

 何とか宥めようとするが、双剣をめちゃくちゃに振り回しているために近付けない。

 それに、ニャオの「人は本心を隠して違うことを口にする」というのはリョウ自身が散々体験して辛酸をなめてきた事なので、何と言っていいか分からず、制止する手が鈍る。


「ふふふ……そうだよ……なんで思いつかなかったんだろう……………。」

 リョウから離れて距離を取ったニャオが呟きながら双剣を構える。

 その姿から殺気を感じたリョウは知らずのうちに剣を構える。

「そうだよ、センパイを殺せば誰にも取られないんだよね。」

 ジリ、ジリッっと間合いを詰めるためにじり寄るニャオ。

「クレアっ!ラビちゃんとアルをっ………。」

 召喚してくれと言うまもなく、ニャオが飛びかかってくる。

「クッ!速い!」

 右へ左へと揺さぶりをかけてくるニャオを、目で追うのがやっとで身体の反応が追い付かない。


 キィンっ!


 右から迫る刃を辛うじてかわし、左からくる刃をギリギリで受け止める。

「クッ!風の加護を!疾風の如き速さを我にっ!エア・ブースト!」

 リョウは力ある言葉を唱え、自身の反応速度を底上げする。

 キィンッ!キィンッ!キィンッ!

「無駄無駄無駄ぁ!早く諦めてよ、センパイ。大丈夫、痛いのは最初だけだからね。直ぐにイカセてアゲルから、ね。」

「別のシチュエーションで聞きたかったセリフだぜ。今言われても嬉しくねぇー!」

 風の加護を受けても、ニャオと切り結ぶのが精一杯で、その動きについていけない。


 ニャオはいつの間にこんなに強くなったのだろうか。

『護られてるばかりのお姫様じゃないよ』

 いつだったか、ニャオが言っていた言葉が頭の中で鳴り響く。

『本当は分かってるんだろ?お前は必要じゃないって。』

 同時に、あの男の声も聞こえてくる。

『お前なんかいなくても奈緒は十分戦える。お前よりも強いんだ。奈緒より弱いお前は必要ないのは当たり前だろ?』

 畳み掛けるように響く男の声。

『楽になろうぜ。惚れたオンナの手で逝かせて貰えるんだ。最高だろ?』

『力を抜けばいい。簡単だろ?』

 男の声に従って剣を降ろしそうになるリョウ。

『守るって物理的な事だけじゃないよね?』

 ふとそんな声が聞こえた気がする。

『センパイは、いつでもどんな時でも私を信じてくれる。それだけで私は何でも出来る気がするの。コレってセンパイが私の心を守ってくれてるって事だよね?』

 いつかの他愛のない会話が蘇ってくる。

 そうだ、こんな俺でも必要だと奈緒は言ったんだ……。

 リョウは迫る双剣を弾き返し、跳び退さって間合いを取る。


「まだやるの?センパイの剣術じゃ私に勝てないって分からない?」

 ニャオがおもしろくなさそうに言う。

「私も一緒に逝ってあげるから、ね、一緒にイこ?」

 可愛い声とは裏腹に激しく切りかかってくるニャオ。

「確かに剣の腕ではニャオに劣るかも知れないっ、だけどっ!」

 リョウはニャオの剣戟を受け止め、思いっ切り弾く。

「奈緒が必要だと言ってくれる限り、いや必要無いって言われてもっ!俺は奈緒のそばで奈緒を護るんだぁっ!」

「くふっ、それストーカー発言?嬉しいけど、もう遅いかなぁ。」

 直ぐに体勢を立て直し、背後へ回り込むニャオ。

 その速度にリョウの反応が追いつかない。

「風の精霊シルフに願う!古の盟約に従い我に力を……アクセルっ!」

 斬られる寸前にあり得ない反応速度で身をかわすリョウ。

 そのあまりにもな速度に驚き、一瞬硬直するニャオ。

 今のリョウにはその一瞬があれば十分だった。

「俺を信じろっ、奈緒っ!」

 双剣をたたき落とし、逃れようとするニャオの身体を抱き締めて叫ぶ。

「ラビっ、アルっ!」

「ちゅぃ!」

「きゅぴぃ!」

 クレイラットのアルが放つアクアスプラッシュによって、リョウとニャオを中心とした辺り一面が水浸しになる。

 そして、ラビちゃんのスタンボルトが放たれ、リョウとニャオは身体全体が麻痺し、抱き合ったままその場に倒れ込む。

 そして、動けなくなったニャオの身体から、小さなガス状の何かが出てきてその場から逃れようとする。


「クレアっ!ソレがスピリットテイラーだ!」

 辛うじて動く口と舌を総動員して、クレアに元凶を討つように頼む。

「あっ、えっ、どうしたら……。」

 クレアが慌てて弓矢で狙うが、通常の矢ではスピリットテイラーにダメージを与えることは出来ない。

「きゅぴぃ!」

「ちゅぃ!」

 ラビちゃんのエナジーボルトが、アルのアクアレーザーが、加速して逃走を図るスピリットテイラーの身体を貫き四散させる。

 何も言えず、呆然と成り行きを見守っていた3人だったが、カランっと魔種が転がる音で我に返る。


「……えっと、センパイ、くーちゃんゴメンナサイ。」

 しばらくして、正気に返ったニャオが口を開く。

「ニャオ、大丈夫か?」

「うん、身体は全く動かないけど。」

「あぁ、ソレは俺も一緒だ。麻痺が解けるまでしばらくこのままだけど我慢してくれ。」

「ちぇ~、折角先輩の顔が目の前にあるのに、キスも出来ないよぉ。」

「だから、そうやってからかうのは止めてくれ。勘違いしちゃうだろうがっ!」

 リョウは恥ずかしさで視線を逸らしたいが、身動きがとれないので出来ずに困ってしまう。

「本気だよ、……って言ったらどうする?」

 目の前の美少女の頬は赤く染まり、瞳を潤ませながらもじっとリョウを見つめている。

 心臓の鼓動が早鐘の如く打ち鳴らし、自分のものなのか、それとも相手のものなのか、それすらも分からず互いの境界が曖昧になっていく感じがする。

 少しでも身体が動けば、そのまま唇を触れ合わせたであろうが、それも出来ないもどかしさが益々感情を高ぶらせる。

「お、俺は……。」

「ハイ、そこまでー。」

 感情にまかせたまま、致命的な言葉を言いそうになったところで、クレアから制止の言葉がかかる。

「二人の世界作っちゃって……私の存在忘れて無いでしょうね?」

「「えっ?」」

「ちょ、ちょっと、まさか本気で忘れられてた?」

「「ソンナコトハ……ナイヨ?」」

「なぜ棒読み!しかも目線そらしてっ!」

 うろたえるクレアを見て、リョウとニャオは同時に噴き出す。

「大丈夫だよ。私が大好きなお姉ちゃんのこと忘れるはずがないでしょ。」

「奈緒……あなた……。」

「えっとね、取り憑かれていた時のことは、何ていうのかな本心ではあるけど、それだけじゃないっていうか……ほんの少し思っていたことのマイナス面だけを増大して吐き出されたというか……そんな感じ?お姉ちゃんの事そういう風に思ったこともあるけど、それ以上に私はお姉ちゃんが好きだよ。これは間違いなく私の本心だから信じてほしいな。」

 笑顔で明るく言っているが、抱きしめているリョウにはその体が小さく震えているのが分かる。


 クレアに色々思う所があっても、それでも大好きだというのは紛れもない本心なんだろうが、あんなことがあった後でも信じてもらえるのかと不安なんだろう。

 だからリョウは安心させるように、抱きしめている腕にそっと力を込める。

 麻痺のせいで殆ど力が入っていないが意図は伝わったはず、とリョウは思う。

 ニャオは一瞬びくっと体を強張らせるが、すぐに安心したように体の力を抜き、身を委ねてくる。

「私も奈緒のことが好きよ。世界中の誰よりも大事なのよ。たった一人の妹なんだもの、当たり前じゃない。」

 そう言いながらリョウ毎ニャオを抱きしめるクレア。

「最近、妹が出来たって聞いてるよ?」

 ニャオは淡々とした声で言う。

「それはそれ、これはこれよ。」

 クレアは悪戯っぽい表情を見せて更に抱きしめる力を込める。

「それはいいんだが、クレアそろそろ麻痺を解いてくれないか?」

 二人の柔らかな肌に包まれたリョウは色々と限界だった。

 そんなリョウを見て、ニャオとクレアの二人は顔を見合わせた後声をそろえて言う。

「「何のことかなぁ?」」

 結局、麻痺が自然に解けるまでの約30分の間、二人の柔らかさと甘い香りに包まれて悶々とした時間を過ごしたのだった。


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