第3-6話 イヌの【獣人】

 轟音の正体。

 それは、宿屋【マルコ&エース】が瓦礫となった音だった。壁は崩れ、支柱がむき出しになっていた。


「……そんな」


 マルコさんが危険な目に遭ってでも守りたいと語っていた宝物が、いとも簡単に壊されていた。

 壊した相手はたった一人。

 宿屋の前でニヤリと笑う【獣人】だった。


「な~に、約束破ってくれてんだよ。ええ? これはアレか? オレが悪いのか、なあ、どうなんだ?」


 巨大な体躯に頬が垂れた顔。

 頭には耳が付いていた。

 イヌにこんな顔をした種類がいた気がする。

 相手は――【イヌの獣人】か。


 瓦礫に向け、相手を侮辱するように高笑いを上げる。


「俺が聞いてんだから、答えろよ!! って、答えられるわけないか~。今頃、ぺしゃんこになってんだもんなぁ!」


 【獣人】は、そう言って手に握っていた鎖を、グイッと引いた。

 鎖の先に付いているのは首輪で、輪の中に首を通しているのは――


「ユエさん!」


 4足で歩かされている少女――ユエさんだった。

 花畑で戦闘があったのだろう。服は破け、少女の棒のような体が露になる。頬には何度も涙を流したのか、屈辱の跡がくっきりと残っていた。


 叫んだ僕に【獣人】が気付いたのか、フルムさんの背に足を乗せて言う。


「あ~ん。なんだ、あいつ。お前の知り合いか?」


「……」


 無言で僕に助けを求める。

 だが、【獣人】は、


「お前は生きてるんだから、俺の質問に答えられるでしょーが!!」


 ダンッ!!


 大きく足を振り上げユエさんの背中に振り下ろした。

 衝撃で身体を支えられなくなった少女は、胸を地面に打ち付ける。苦しさと痛みに地面に這うユエさんの右手を踏みつぶす。


「やめろ!!」


 僕は【放出】の力を使おうとするが、それよりも早く、瓦礫が吹き飛び、中からマルコさんが飛び出した。

 手には包丁が握られていた。


「うおおおお!! よくも、ユエを――俺達の宿を!!」


 鋭く磨かれた刃先には炎が纏っていた。

 これは【ファイア付与エンチャント】。

 物体に属性を纏わせる【魔法】。

 武器に付与された属性が攻撃の威力を高めるんだ!!


「お前だけは絶対に許さない!!」


 手にした包丁を全身で突き刺すように駆ける。 


「あ~ん?」


 だが、大きく突き出したマルコさんの包丁は、【獣人】に当たることなく空を切った。

 【獣人】は、巨体からは想像も出来ぬ速度で攻撃を躱して見せたのだ。その動きはまるで獣そのもの。

 目で追うことすら出来なかった。


 それはマルコさんも同じようで、周囲に視線を巡らせる。


「探してるのは俺かな~?」


 マルコさんを弄ぶように、悠々と背中からマルコさんの胸を貫いた。

 そこで初めて、僕は何が起きたのかを把握することが出来た。


「マ、マルコぉ!!」


 ユエさんが、2足で立ち上がってマルコさんの元へ駆け寄ろうとする。

 だが、鎖は繋がれたまま。


 ガン! ガン!


 鎖に引っ張られるように動きを止め、苦しそうに首輪に手を伸ばした。


「ばぁ~かが!! ペットはご主人様の許可なく自由に動けないんだよ!!」 


 握る鎖に力を込めると、ユアさんの小柄な身体が宙を舞い、【獣人】の腕に頬を掴まれる。


「あ~あ。約束破った挙句、襲ってくるたぁ~何事だ。大人しくお前らだけ反省すれば、他の村人たちに手は出さないつもりだったんだけどなぁ~。こうなったら、村全体の連帯責任だな」


 イヌのようにザラついた舌を垂らして、唇を舐める。

 最初から、こうなることが分かっていたくせに、なんて白々しいんだ。


 フルムさんは、最後の抵抗のつもりだろうか。

 頬を掴まれた状態で無理矢理、声を出す。

 口内が歯にぶつかり、血が流れていく。


「……お、お前が花畑を消そうとしたんだ。約束を先に破ったのは……お前だ!!」


「はぁ~? なに言ってんだ、お前? オレは宿には手を出さないって約束はした。が、花畑は対象に含まれてねぇ~よな。なら、そこをどうするかは、オレの勝手ってもんじゃねぇのか?」


「お前~!! 【アースピラー】」


 ユエさんが【魔法】を詠唱する。

 地面から一本の岩が突き上がるように伸びる。先端が鋭く尖った岩石が【獣人】を狙うが、


 ヒュン。


 一瞬でその場から姿を消した。いくら【魔法】を使っても、当たらなければ意味はない。

 ユエさんの背後に回った【獣人】が、無力な背に笑う。

 

「おお、怖い怖い。こりゃ、他の奴らも何するか分からねぇからな。全員、殺しておくか。折角、穏便に済ませようと思ったのによ」


 動きが止まった。

 その背に僕は無言で【バレット】を放つ。詠唱のない攻撃に気付くのが遅れた【獣人】。

 僕の【放出】が、腹部を捕えたかと思ったが、紙一重のところで躱されてしまった。

 反応の遅れをカバーする身体能力。


 僕の攻撃を避けた獣人は、崩れた瓦礫の一角に座り、値踏みをするように僕を見る。


「お前……。この匂いは初めて嗅ぐな。うん? あと、もう一人。滅茶苦茶良い匂いするじゃねぇか。これも嗅いだことねぇ匂いだ」


 鼻を細かく動かし、匂いを判別しているようだ。

 イヌの持つしなやかな脚力に意識を奪われていたが、何も特徴的なのは筋力だけではない。嗅覚も優れているのだ。


「……よくも、ユエさんを!!」


「お前、何言ってんだ? 約束を取り付けてきたのは、お前らで、その約束を破ったのもお前ら。これくらい当然の報いだろ?」


【獣人】は言い終わらぬうちに、僕の背後に回った。

 無防備な背に爪を突き立てようとする。


 駄目だ、反応が遅れた。

 防御が間に合わない――。

 僕は【獣人】と違い、反応の遅れをカバーする術はない。

 だが――。


「そんなに良い匂いなら好きなだけ嗅がせて挙げるわよ。その代わり、あんたの鼻を魔除け代わりに剥ぎ取らせてもらうわね」


 一陣の風が吹き荒れた。



【魔法】を使った人間は、瓦礫の下に埋もれていたのか。

 怒髪天を付くように空へと瓦礫が風で浮かび上がる。


「フルムさん!!」


 宿の瓦礫ごと吹き飛ばし、姿を見せたのはフルムさんだった。

 どうやら、今まで瓦礫の下で寝ていたらしい。

 ……。

 姿を見せないから、どこか別のところに行ってるのかと思ってたんだけども。でも、とにかく、フルムさんの存在は頼もしい。


 風の波に吹き飛ばされるが、最初から僕への攻撃は様子見だったのだろう。

【獣人】は、自ら後方に飛び威力を殺した。


「あら……。意外にやるじゃない。でも、私――寝起きは凄い悪いのよね。こんな最悪な起こし方されたのは久しぶりよ? その責任、取ってくれるんでしょうね?」


 ギロリ。


 フルムさんが【獣人】を睨む。

 僕はフルムさんの横に移動し、地面に蹲るマルコさんを示した。


「フルムさん! マルコさんをお願いします!!」


 身体が貫かれているのだ。

 まだ、息をしているのが奇跡としか言いようがない。

 重傷を負っても戦う気力は尽きていないのか、武器は握ったまま。その思いがどれほど親友を、ユエさんを思っているのか物語っていた。


 その姿にフルムさんは深く頷く。


「しょうがないわね。あの人は私に任せなさい。その代わり、しばらく【獣人】は任せたわ」


 フルムさんは、マルコさんの元に移動すると、胸に手を当て【回復キュア】を唱えた。

 オレンジの光と共に傷が徐々に塞がっていく。


「が、っがぁ……」

 

 口から溜まった血を吐き出すマルコさん。

 そして、残された力で、フルムさんに手を伸ばした。


「あ、あいつは俺が……。あいつだけは俺が倒すんだ――!!」


 回復した身体で立ち上がろうとした。

 だが、まだ傷は表面だけの治療だ。仮に全快まで治療が終わっても強さの差は埋まらない。

 そのことを――フルムさんは迷わず口にする。


「残念ね。あなたには無理よ」


「な……なにが無理なものか! 俺は、俺はあいつを――」


「例え倒せるとしても、ここは私に譲りなさい。あなたの恨みよりも、私の睡眠を妨害した罪は遥かにでかいのよ?」


「……」


 フルムさんはこの宿が、かつて親友と作り上げたことを――知らない。

 少なくとも睡眠よりも重いと思うのだけど。

 フルムさんらしい言葉に、僕は思わず笑ってしまった。


「なによ、こんな状況で笑うなんて、遂に頭おかしくなったのかしら? でも、それは元からだった気もするわね」


「……いえ、なんでもありません」


「そう。だったら、私が彼を治す間、しっかりとあのワンちゃんの面倒を見て上げなさい。イヌはランク付するっていうじゃないの。どっちが上か直ぐに教えてあげるわ」


 フルムさんは【獣人】を指差す。

 どうやら、相手は僕の【放出】とフルムさんの【陽】属性を完全に警戒したようだ。確認する対象が一人増えたことで、警戒心を強め、襲い掛かることもしない。


「あ~ん? なんだ、お前らの力? 初めて見る【魔法】だなぁ。どうするかなぁ~」


 しかし、すぐにフルムさんは、回復が終えるまで動けないと見抜いたのか。

 手にしていたユエさんを放り投げる、獣の脚力によって、再び姿を消した。


 また、高速移動か――。

 どこに現れる?

 僕は投げられ地面に倒れたユエさんの元へ駆け寄り、両手を広げて前に立つ。自分の身を犠牲にユエさんは守るつもりだが、僕の身体じゃ盾にもならないだろう。


 ヒュッ――ザザ。


 ヒュッ――ガガ。


 風を切る音と、爪で辺りを引き裂く音が無抵抗な僕たちを嘲笑うかのように聞こえてくる。


「……ッ!!」


【獣人】が、次に姿を現わしたのは、フルムさんたちの真横だった。【放出】よりも目に見えて行われている回復の方が危険度が低いと考えたのか。

 更にはフルムさんは傷付いたマルコさんを抱えている。

 人を殺すに当たり、合理的で非道な選択を躊躇なく実行に移した。


 その爪がフルムさんの顔に迫るが――。


「あなたみたいな下種の人間が考えることなんて、お見通しよ。本当は見たくも考えたくも無いんだけどね――【エアーボルテクス】」


 フルムさんの周囲に【風】が巻き起こる。

 竜巻とも呼べる風が壁となり、【獣人】を吹き飛ばした。

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