第3-3話 エースという男(回想)

「おい、大変だ!! この子が道端に置かれてたぞ!」


 大きな声で勢いよく扉を空ける男が居た。

 上半身に衣服をまとわず、鍛え上げられた屈強な肉体を惜しげもなく晒す。

 丸くはねる癖毛を、手入れすることなく伸ばしていた。

 服を着るのも、髪の手入れするのも面倒だと、男は思っていた。


 入ってきた男にマルコは言った。


「おい、エース! 折角、借金までして宿屋を開いたんだ! お前の馬鹿力で壊れたらどうするつもりだよ。あと、汚れた手で触るな! 痕が付くだろ!」


 マルコは慌てて駆け寄り、扉が傷付いていないか確認した。

 汚れた扉を直ぐに自分のエプロンで拭う。


「そんなことは、今はどうでもいいだろ。それより、この子だ!!」


 扉を掃除する背を、入ってきた男――エースが足でつついた。


「だから、この子、この子ってお前は誰のことを言っているんだ――!!」


 掃除している手を止めて、「この子」と言い続けるエースを見た。

 大の男が小さな毛布に包まれた何かを抱えている。

 そっと、包みの中を覗くと――。


「こ、子供!?」


 まだ、生後まもない赤子がスヤスヤと眠っていた。


「お、お前……。いくら金が無いからって誘拐することはないだろうが! 今すぐ謝りに行くぞ!!」


 身代金目当てに子供を攫ったとマルコは思ったようだ。


「そんな訳ないだろうが! 買い物帰りに落ちてたのを見つけたんだよ!」


「落ちてたってお前。子供だろ! 落ちてるわけ無いだろ! 戻してこい!」


「でも、捨てられたとしか思えなかったんだ!」


「あー、どうすんだよ、これ! お前はいつも思い付きで行動するよな! この宿だってそうだ!」


「宿に関してはお前も乗り気だっただろうがよ!」


 顔を突き付けて言い合う2人。

 その下で「ぎゃー」と「この子」が笑った。

 いや、正確にはまだ、感情を表現できるほど成長していない。ただ、笑ったように見えただけ。

 それでも、2人は笑顔に言い争うのを辞めた。


「と、とにかく、いつまでもお前に抱えられてたらこの子が可哀そうだ」


「お、おう。そうだな……。って、そりゃ、どういうことだよ!」


 文句を言いながらも阿吽の呼吸で赤子の寝床を作っていった。





 エースが「この子」を拾ってから一か月が経過していた。

 宿屋の準備と子供の世話に追われ、あっという間の一か月が過ぎた。

 勿論、親がいないか探すことも忘れていない。

 行きつけの店には、張り紙を置き、「この子」の親が来るのを待った。

 しかし、一向にそれらしい人間は現れない。


「なあ、毎日、働きながらこの子の親を探してるけどよ。もう、親はいないんじゃないか?」


「……急にどうしたんだよ。何が言いたいんだ」


 エースは宿屋の看板を作っていた手を止めて、そっとゆりかごに乗せた「この子」を見た。


「な、なぁに。いつまでも、「この子」「この子」って呼び方は可哀そうだと思うんだ。その……ユエって名前はどうだ?」


「馬鹿。名前なんて付けたら、それこそ愛着が湧いて分かれが辛くなるだけだ。「この子」のままでいいんだよ」


「でもよぉ。それを言ったらもう手遅れなんじゃないか?」


「……」


 マルコは無言だった。エースの言う通り、既にもう「この子」に対して愛情を覚えてしまっているから。

 名前を付けたら、もう、離れられない。

 マルコはそう感じていた。


「この子の親はもう、この村には来ない。だから、名前を付けて俺達で育てようぜ?」


「……馬鹿言うな。この一か月だって生活するのがやっと。安定した収入の見通しも付かない。そんな俺達に育てられるこの子が可哀そうだ」


 この一か月、ミルクを買うのだってギリギリだ。何食か自分たちの食事を削り、ようやく育てられている現状。

 成長するにつれ徐々に生活が苦しくなる。


「そんなもん、俺が働きに出る!! お前と違って俺は料理の腕も特技もねぇ。だから、な、頼むよ!!」


「でも、この子の幸せを考えると――」


 手作りのベッドで眠る「この子」を見る。

 まだ、一か月だというのに、身体が大きくなったのか、少し狭そうだ。

 今後、もっと大きくなる。

 その時、自分たちは満足いく生活を送れているだろうか?

 先の不安を想像するマルコにエースは言った。

 

「……「この子」じゃなくて、ユエだ」


「名前で呼ぶのはまだ早いって」


「お前も一回位呼んでみろよ。そうしてどう思うか決めようぜ? な、一回、一回でいいからさ」


 親友に向けて躊躇いなく地面に座り頭を付ける。

 エースの勢いに負けたマルコは、「この子」に向けて名を呼んだ。


「ユ、ユエ……」


「どうだ?」


 一度、名前を呼ぶと自分の中で何かが花開くのを感じた。

 この子を――ユエを守る。

 ベッドで眠るユエに力強く抱き着いた。


「ユエ、ユエ!!」





「おい、マルコ。見ろ! ユエが、ユエが喋ってるぞ! しかも、俺の名前だ!!」


 ユエが宿屋【マルコ&エース】に来てから一年が経過していた。

 昼間。

 宿の清掃を行っていたエースが、厨房にユエを抱えて飛び込んできた。


「おい。厨房は危ないからユエを連れてくるなっていつも言ってるだろ」


「いいから、ちょっと聞いてろ!!」


 唇に指先を当てて静かにするようマルコに指示する。【火】の属性によって焚かれた炎がパチパチと音を立てている。

 しばらく、その音に聞き入っていると――。


「えーう」


 ユエが言葉を口にした。

 


「な……!!」


「えーう!」


 確かに聞きようによっては「エース」にも聞こえるが、マルコは認めたくなかった。


「た、たまたまだろ。今までも「えー」とか「うー」は言ってたんだからな」


 悔しさを隠すように腕を組み料理を再開するが、手が震えて上手く包丁が持てなかった。

 何度も「えーう」と喋るユエ。

 エースは頬を擦りつける。


「そうか、そうか。やっぱり、俺の方が好きか!!」


「そんなわけあるか! マルコよりエースの方が言いやすいだけだ。そうだよな、ユエ!」


 包丁を投げ捨てユエの顔を覗き込むが、話す言葉はやはり、「えーう」だった。


「はっはっは。まあ、マルコくんももっとユエに好かれるように努力しておくんだな!!」





 ユエがエース達と共に通う様になって六年が経過していた。宿屋【マルコ&エース】も軌道に乗り始め、安定した収入を得られるようになっていたが、ユエをアカデミーに通わせることに手一杯で相変わらずの貧乏生活だった。


 宿が珍しく客で埋まっていたある日のこと。

 エースは朝一番でユエに目隠しをして外へと連れ出していた。


「よーし、ユエ。目を開けて良いぞ~!」


「えっと……これはなに?」


 目隠しを外したユエの前には、何もない地面が広がっていた。

 エースが地面に看板を突き刺す。

【ユエの花畑】

 そう書かれていた。


「ユエ。お前は【土】の属性を持ってる。だから、ここに一緒に花畑を作らないか?」


 愛すべき娘の反応が怖いのか、空を見ながらエースは言った。

 年頃の娘だ。

 もっと他に欲しいものがあるのではないか。

 だが、その心配は杞憂で、


「いいの!?」


 ユエはエースに抱き着いた。

 娘の体温に嬉しくなったのか、力強く抱きしめ返すと、ユエを持ち上げその場で回して見せた。


「勿論だ。一緒にここを辺り一面花ばっかにしようぜ!」


「うん!!お花、一杯に咲くかな?」


「ユエは優しいからな。きっとお花さんも会いたくて咲いてくれるさ」


「咲いてくれたら嬉しいな! そしたら、マルコのご飯持って皆でピクニックしようね!!」


「ああ。そりゃ、いいな。じゃあ、それまでこの場所は俺とユエだけの秘密だな!!」


「うん!!」


「それともう一つ。ちょっとユエに頼みがあるんだ――」


「なになに?」


「ちょっとこれをな。マルコに渡してやって欲しいんだ」


 エースは懐から長方形の木箱を取り出した。


「あいつ、俺からのプレゼントじゃ、素直に受け取らないだろうからさ。」


 ――それから三日後、エースは死んだ。

 朝、家の前で倒れているのをマルコが発見した。


「馬鹿野郎が。こんな大金どうやって稼いだんだよ……。金のために死んでんじゃねぇよ」


 死んだエースの手には札束が握られていた。

 貧乏だった生活を一変させようと、怪しい実験に身体を売ったと噂が流れていた。


「マルコ……これ……」


 ユエが木箱を手渡す。

 その中には包丁と手紙が入っていた。

 小さく折りたたまれた手紙に書かれた小さな文字。


『俺とお前が作った宿だ。下手な料理で潰すんじゃねぇぞ』


「馬鹿が。絶対潰さねぇよ」


 マルコは包丁を胸に抱き、店を守ることを誓うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る