第2話『腰の低い、感じの良い人物だった』
「たまには贅沢したら?」
母がよく聞いてきた。
「お金は使うと減っちゃうでしょ」
と答えた。僕は物欲が薄く、貯金額が減らず徐々に増えていくことに幸せを感じるのだと思う。
母が、たくさんの衣類や食料を残してくれた。赤いきつねと緑のたぬきは、それぞれ一年分。一年分とは、平均的な年間消費量。赤と緑を交互に毎日食べる。肉や野菜などは、スーパーに買いに行った。
子どもの夢のようだけど、一気に十杯食べようと思った。でも、もう大人だから、無理ない範囲で三杯ほど一気食い。なんとも言えない満足感があった。
毎日食べるので、アレンジもした。トッピングを楽しむ。大根おろしを加えると、健康食のような気がしたし、カットわかめをめちゃくちゃ足すと、乱暴なわかめ蕎麦になった。胡椒やタバスコも合う。お酒を飲んだ時なんかは、作った人に怒られるような出鱈目な食べ方をしたりした。マヨネーズ。
赤も緑も、そのまま食べるのが一番だと思った。
食事の手間が減ったので、退職後に趣味で始めた書き物がよく捗った。一年と少しした頃に、残り二食となった。最後は、赤か緑か迷ったが、二つを一緒に作って、交互に食べた。特に意味はないのだけど、最後は、うどんとそばを混ぜて食べた。
空きダンボールは、それも母が遺した物と思えて、捨てられずに部屋の隅に積んでいた。しかし、SDGsが叫ばれる昨今、廃品回収に出すべきなのだろう。
そんな頃に、相続代理人がやってきた。来訪のタイミングも、母の依頼だったらしい。書類に署名と捺印をする。母は、株式を遺してくれていた。東洋水産株式会社の株だった。
母は生前に、父の遺産を運用していたようだが、私の好きな食べ物の会社の株も、選んでくれていたようだ。
株主優待として、毎月、自社製品が送られて来た。後から知ったことだが、株主優待が毎月届くのは特例で、かなりの大株主だったようだ。配当金は、年に二回、三月と九月に振り込まれた。
株主総会には参加したことはないが、東洋水産の社長さんは、何度か家に来てくれた。「いつも、美味しく食べています」と言うと、「今後ともよろしくお願いします」と言っていた。
社長は、少し年上のようだったが、腰の低い、感じの良い人物だった。さすが大会社だな、と思った。
配当金もあり、貯金額は徐々に増えた。けっこうな金額で、独身であることがもったいなく思えた。私が、居間で独りで死んだなら、誰にも相続されない。少し悲しくなった。
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