第17話 ESCAPE
ライブ会場の外は人魚姫のファンがライブの熱が冷めきらないうちにとワイワイ話をしていたり、町の発展を貢献する為にグッズを買っていた。
マリンキャップを被る佐那はひと目を避けて道を進む。
アイドルとも揶揄されている人魚姫が大勢の人をかき分けて歩いているなんてファンが知ったら卒倒するだろうなと廬は横目で眺める。
「……」
佐那は人気のない喫茶店に来た。
多分老舗と呼べるほど古くからある喫茶店だ。木の柱は苔が生えそこから蔦が巻き付いている。それがまた趣を出している。佐那は「ここ、昔お世話になったんだよ」と紹介してくれる。
入店すると店員と思しき老婆が「いらっしゃい」と嗄れ声で言った。店の中には休憩中なのかサラリーマンが珈琲を飲みながらノートパソコンを開いている。耳にイヤホンを付けている当たり静かな所で作業したかったから此処を選んだと気が付く。廬にもその気持ちは理解出来る為、少しだけ安堵していた。
「イチゴのパンケーキ。糸識さんは?」
「ホット珈琲を」
瑠美奈を窓際に座らせて廬にもたれ掛かるように傾けた。
その光景に佐那はクスクスと笑い「兄妹みたい」と言った。
「さて、何から話してほしい?」
「……宝玉に適合したのはどうしてだ? やはり意思が同調したからなのか」
今現在で瑠美奈以外は宝玉を持つことは出来ない。
それなのに佐那は宝玉を持っている。それはどう言う原理なのか知りたかった。
「あたしが持っているのは、比較的人間に好意的な宝玉なの。あたしが持つ赤の宝玉は、博愛。だから誰にでも持てて誰にも持てない」
言っている意味が分からないと廬は困った顔をする。
誰にでも持てるものが誰にも持てない。目に見えた矛盾に困惑するのは当然。
「博愛と言う名の偏愛。あたしは誰彼に嫌われているから宝玉を持てるの。人魚姫をしているのにどうして嫌われていると言えるのかと糾弾されても仕方ないけど、あたしは嫌われているんだよ」
佐那が人魚姫として愛されているのは一重に宝玉の力だと言う。
宝玉が佐那を愛する象徴として作り替えている。
ひとりが全てを愛するのではなく、全てがひとりを愛するそれが宝玉の力。
持ち主が好意の相手がいる場合、そして、その好意の相手がこちらに決して振り向くことがないとわかりきっていて、周囲の環境に極限まで嫌われている。所属したい場所に排除される。叶わない愛を宿すものに宝玉は応えてくれる。
博愛にして偏愛。
偏愛にして博愛。
それが赤の宝玉。
「あたしが望むものが、あたしを弾いて……あたしが望まない所で愛される。それが条件。それが、あたしが受け入れた罪」
「……」
相手は決してこちらを見てはくれない。宝玉の力を使っても真に愛してはくれない。宝玉の力を持つ人魚姫を愛してくれても、水穏佐那を愛してくれるわけがない。
どれだけ貢いでもきっと振り向いてくれない。意中の相手がいるからなのかは分からない。相手がなにを考えているか分からない。それでも佐那はその人だけに愛されたい。揺るがない愛が欲しい。
そして、現実に戻って来る。
決して無理だと人魚姫として人々を幸せにしてその幸せを喰らう。
「……研究所の連中に何を頼まれているんだ。会場の眠っていた人たちはどうなる」
「人魚姫の歌を聴いたらその事しか考えられなくなって廃人になる。そうして研究所の運営資金になる。政府がどれだけ嫌がっても金は支払われるけど、やっぱり非合法な事をしている事も事実で、その金が政府から出ている事がバレたらバッシングを受ける。だから、秘密裏に資金を調達するように言われた。そこであたしの出番。ネット上で宝玉の力を使って人気になって、多くの人を魅了する。一年くらい前から夢を落とした人を回収して実験に使ってるって聞いた」
研究所に置いて佐那は、人魚姫はただの資金調達の道具でしかない。
憐ほどの地位もなければホワイトと話が出来る程価値があるわけでもない。
人魚姫も所詮側だけが愛されて、中にいる佐那は愛されない。
「助けて欲しいって言うのは、研究所から逃げ出したいってことか?」
「そう、なのかな。その度胸なんてない。だって怖いからね。瑠美奈みたいにあたしはあいつらに抵抗できるほどの足は持ってない」
恐怖で支配する。
愛されないのに恐怖する。
「俺が何とかする」
「出来る?」
「分からないけど、俺が何とかするしかない」
人魚姫から佐那を奪うことくらい簡単だ。方法なんて分からない。
研究所に殴り込みにでも行けばいいのか。それとも他に何か方法があるのか。
宝玉を失えば、研究所に不審に思われるのは必然で佐那は何処にも行けない。
(何も出来ない癖に俺はなにを言ってるんだ)
廬は気が付いている。佐那の視線がずっと瑠美奈を見ていたことを。
佐那の好意の相手は瑠美奈であることを気が付いていた。同性同士の恋は叶わない。瑠美奈にその気はない。決して叶うことのない愛。瑠美奈は気が付いていない。
宝玉さえあれば良い。佐那を満足させる事なんて出来ない。
それなら、当初の目的を遂げるだけだと廬は一度目を閉ざして開いた。
「佐那、俺と付き合おう」
「えっ」
ヴェルギンロックにて。
棉葉はノートにその日の事を書き込んでいる。事細かに今日何が合ったのかを書き込む。本来棉葉が知るはずのない事が書き綴られている。
「同族嫌悪とはよく言ったものだね~。愛に飢えているのは誰も彼女だけじゃない。愛に飢えて感情に飢えている。何も感じていない癖に、何かを感じたふりをする。本当によくできたお人形さんだ。糸識廬って奴は」
クククと肩を震わせて笑う棉葉に店主は何も言わずにグラスを磨いている。
「……鬼のしもべにしては不出来だが、だからこそ美しいんだろうね~。ねえ! マスター、金で買えないものってなんだと思う?」
椅子を傾けて器用に後ろにいる店主に尋ねるが店主は口を開かなかった。愛想がない事に苦笑いをしながら座り直し答えを言った。
「家族だよ。生みの親はどう頑張っても金では買えない。義理の親と違って繋がりって奴は金で解決できるほど安価じゃないって事さ」
サーっとペンを走らせる。
瑠美奈に関する事、廬に関する事、真弥に関する事、佐那に関する事。
知り得ないはずの情報がそこに書き綴られていく。
「子供にとって親がこの世の全てだ。だがその親がいなければその子供と言うのは一体どうなってしまうんだろうね。死ぬのか、生きるのか。それとも……死んだまま生き続けるのか」
パキっとペンの芯が歪んだ。インクが漏れノートを台無しにする。
黒いインクがノートを染めて折角多く書いたのに、その時間が無駄になる。
べたりと手に付いたインクをハンカチで拭いてノートを閉じる。もう使い物にならないと判断したノートをゴミ箱に運び呆気なく捨てた。
「どちらにしても死んでいるんだから彼は何も感じずに愛する事もなく愛されることもなくゾンビよろしくそこにいるだけ……。さてはて、結局の所本当に死んでいるのはどっちだろうね」
ゴミ箱の中は水で満ちていたが、インクで黒く濁り汚れた。
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