第16話 ESCAPE

 廬の体調は一晩経てば良くなり瑠美奈が心配するほどではなかった。何も人魚姫の歌を聴いたからと言うのはこじつけが過ぎるとその時になって思った。

 怒涛の日々に疲れていたのだろうと結論付けた。

 ただの歌で体調が悪くなっていたら日本中の人間が体調が不良で人魚姫は引退してしまう。人魚姫と体調不良の因果関係は白紙だ。


 そして一週間後。

 イベント会場には人魚姫をひと目見ようと多くのファンが御代志町に来ていた。

 流石の真弥も駅員の仕事をサボっていられないようで廬と瑠美奈の二人でイベントに参加する事になった。

 棉葉から与えられた情報では人魚姫に会う方法は二つ。一つはスタッフとして紛れる。だがこの場合、人魚姫側に研究所の人間がいた際即バレする。もう一つは何とか好機を窺う。正直どれも現実的じゃない。人気だと言うのならファンが殺到するに決まっている。それに向こうは善意でイベントを開催しているのだ。それをお釈迦にしてしまうわけにはいかない。御代志町を良くしたいのは町の人々の総意だ。

 機嫌を損ねてイベント中止なんて事になったらこの先動きづらくなる。



『海の中で暮らす私に会いに来てくれてありがとう!!』


 スピーカーから上がれる女性の声、ステージに出て来たのは青く煌びやかな衣装に身を包んだ人魚姫。

 彼女の登場にファンは大喝采。廬は目を疑った。

 彼女は、人魚姫は水穏佐那だったのだ。

 髪型やその衣装で見間違いかと思ったが声質は佐那その物だと思った。勘違いじゃないと役所まで送った少女が人魚姫だと誰が思うだろうか。ファンでもない廬が気が付くわけもない。

 人魚姫が歌を歌う。魅了されるようにファンは静かに耳を澄ましている。曲によっては合いの手を入れて盛り上げている。会場前で売っていたサイリウムを持つファンが曲に合わせて色を変えている。テレビで見た有名人のライブ会場でも振られていたのを知っていた。間近でその光景を見てしまうと圧巻と思うのは必然だった。

 廬はテレビで見た時のような苦しみは感じなかった。 


 同時に違和感を感じた。人魚姫の歌はこの程度じゃない。もっと力が何かあるはずだった。誰もその事に気が付いていない。違和感は増すばかりだった。歌が終わりその次が来る。それでもその色は褪せる。


「この町で生まれて、この町を出た時、私は一人だった。海のある街で暮らして、海と共に歌を歌った。たくさん歌っていろんなスポンサーさんが手伝って、この町に多くの人と帰って来た。本当にありがとう!! この町の為に集まってくれて!」


 うぉーと男たちの雄叫びに似た声。ファンサービスをする人魚姫。


「私、昔はスゴく暗くて世間でいうところの根暗ちゃんだったんです。だけど、無理にでも変わる事で変えられるって気が付いた。私一人が変わっても世界は変わらないけど、私が変わることで私の世界は無限に広がる。みんなが望む世界に私が連れて行くよ!!」


 そう言った瞬間、廬の視界が一変した。

 先ほどまでライブ会場にいたのに廬は別の場所にいた。

 夢の中で見たような賑やかなパーティ会場。小さな部屋で顔のない子供達が楽し気に誰かを祝う景色。


「これが貴方の望んでいる世界?」

「……佐那!?」


 声がした方には部屋の奥で後ろで手を組んだ人魚姫。驚いてその名前を呼ぶと「佐那ってだれ?」と首を傾げて可愛らしく微笑んでいる。一体どうなっているんだと廬は周囲を見回す。隣にいたはずの瑠美奈の姿もない。


「貴方の望んでいる世界は此処なんだね! どんなお話が広がっているのかな? 私に聞かせて?」


 滑るように近づいて来る人魚姫にこの現象は何なのか尋ねれば「皆の夢だよ」と答えた。

 誰かが求めた夢、そして廬が見ているのは廬が求めている夢。歌に乗せた幻。


「ッ……やめろ」

「え?」

「いますぐやめろ。不愉快だ」

「で、でもこれが貴方の見たい」

「俺は一度だって見たいなんて思ったことはない。今すぐやめるか、消えろ」


 誕生日。その夢は蝋燭の火が呆気なく消える。

 その瞬間が廬にとって苦痛を感じさせた。それを見たいなど思うわけがない。


「っ!? 酷いよ」


 人魚姫は目に涙を溜めて背を向けた。

 そして、暫くすると視界が暗くなりライブ会場に戻って来た。わーと歓声が聞こえる。数秒呆然としてすぐに横にいるはずの瑠美奈を見ると目を疑った。泣いていたのだ。

 先ほどの光景は誰かが見たい夢。歌に乗せた夢。その歌を聴いて宝玉の力で意識を奪う。瑠美奈もその力に囚われているのだろう。

 焦がれる程の夢を見て泣いている。


「……」


 三分ほどでその歌は終わりを告げる。だが夢に囚われた者はそのまま幸せな夢を見ている。



 ライブを終えると疎らに人が会場から出て行くが夢に囚われた者は椅子に座ったままだった。一体どうするつもりなのか動かない瑠美奈と共に座っていると白装束の連中が現れた。それは研究所で廬たちを襲って来たホワイトだ。

 流石に此処でホワイトに気が付かれてはたまらないと廬は瑠美奈を抱き上げて物陰に隠れた。すると人魚姫がステージに立っている事に気が付いた。そして、憐も。

 夢を見ている瑠美奈は目を閉ざして完全に眠っている。この状態で憐にも見つかってはいけないとなればかなり厳しいのではと廬は汗を流す。

 二人の会話も気になるが、今は瑠美奈を守らなければと息を潜める。


「進捗報告」

「見ての通りよ。被験者はざっと十人かしら。あたしの歌で幸せになってくれている人がこんなにたくさんいる」

「歌で幸せに? 冗談はやめにしようって話っすよ。あんたが幸せにするのは自分自身っしょ? 誰かに夢を押し付けてその幸福を喰う。お魚ちゃんは人食い魚じゃないっすか。それに幸せにしているのは宝玉の力であんたの力じゃない」

「……」

「それになぁにお仲間みたいに気安く話かけてるんすか? あんたを仲間だと思ったことは一度だってねえんすよ。中途半端な奴が気安く俺たちと同じになろうとするな」

「……ごめんなさい」


 人魚姫は顔を逸らしてホワイトたちが夢を見ているファンを連れて行くのを見る。


「彼らはどうなるんですか?」

「血液検査したあと、どっかの親の血を混ぜて身体異常の観察。その後、適正が認められたら宝玉を近づけて一メートル維持が出来たら訓練っすかね。まああんたが捕らえた奴らでまともな奴らはいなかったけど……研究所が近いこの町なら万が一にも気に当たって適正が付いた奴もいるかもしれねえし、一応は連れて行くっすよ。ダメなら親父たちの飯になるだけっす。俺は引き上げるんで、お嬢と例の男がいたら宝玉の力で動きを止めて置いてほしいっす」

「わかりました」


 憐が姿を消したのを一瞥した人魚姫は「Bブロックはまだ夢が浅いので触れないでください」と口にするとホワイトたちは返事をする事もなくBブロックと思われる場所から離れた。

 Bブロックには夢の中に誘われている女性が一人。そして、廬たちがいた。運が良かったと安堵するも人魚姫が近づいて来る。ホワイトがいなくなると人魚姫は女性に何かを言った。女性は立ち上がり会場を出て行ってしまう。「ふぅ」と息を吐いた後、「出て来ていいよ」と言った。それが廬に言われているのはすぐに理解した。バレていないわけがないと瑠美奈を隠して廬だけが立ち上がる。


「一週間ぶりだよね。糸識さん」

「お前が人魚姫か」

「うん、そうだよ。驚いた? 普通ならあたしの声を聴いただけで人魚姫だって気が付かれるんだけどね。廬さん案外世間知らずなのかなって思っちゃった」


 それは一週間前に会った佐那より幼い言葉だった。それが素なのだろう。


「俺たちをどうするつもりだ?」

「どうして欲しい?」

「正直に言えば、宝玉を持っているなら渡して欲しい」

「案外率直に言うんだね。驚いた」


 本当に驚いているようでもっと遠回しに関係を縮めてから言って来るのかと思えばド直球に言って来る廬に目を見開いた。


「だけど残念、そう簡単に渡せないよ」

「だろうな。……ならどうしてほしいんだ?」

「……助けて欲しいかな」

「助け?」


 どう言う意味なのかいまいち理解出来ないまま、思考を巡らせる前に廬は聞き返していた。廬の反応は尤もなものだ。助ける必要のない相手が助けを乞うという現象に戸惑わないわけがない。

 人魚姫として活動している佐那は廬や瑠美奈からしたら敵対する立場にある。それなのに敵に対して助けて欲しいと懇願するのは道理にかなわない。

 疑問を受けて佐那は「別の場所で話そう?」と踵を返した。

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