ぬくもれ人類

羊蔵

ぬくもれ人類


 ***


 吾が輩はシロである。赤でも緑でもない。

 チビは元チビである。吾が輩が面倒を見てやっている子ニンゲンである。

 この家に来たときには、吾が輩もまだ仔イヌだったが、チビはもっとチビチビしていた。

 こいつは吾が輩が守ってやらねばならぬ、と吾が輩、仔イヌながらに決意したものだった。


 あれからどれくらい時がたったか。

 チビはでかいちびになり、ジュケンとやらをするネンレイに達した。

 ジュケンとは何か、それはよくは分からぬ。おそらくは禅のようなものだ。

 チビは大好きなサンポも、ピコピコも、ガマンしてオスワリし続けている。

 吾が輩もクッションに丸くなってつきあってやる。ジュケン=ベンキョウとはそういうものだ。

 チビが精神をクラッシュさせることもあった。 

 やおら立ち上がり、蛍光灯のヒモ相手にカンフーをはじめたり、三点倒立をしつつ奇声を上げたり、という症状をおこしたりした。

 また別の時にはヒトリ静かに泣いていた。

 が、それは特別な事で、たいていはオスワリばかりの夜がカリカリ続くのだった。

 時には吾が輩も退屈して、チビの背中へむかって、ふりむけ。こっちを振り向け、と念じてみたりもするのだが、チビは集中して気付かぬのだった。

 ジュケンの日々とはそういうものだ。


 今、チビはツクエにつっぷして寝息を立てている。

 ときおり寒そうに足をゆする。

 吾が輩の鼻がツンとした。外は雪の気配である。

 チビは寒さにめっぽう弱い。

 なんとかぬくもらせてやらねばならぬ。

 吾が輩バチクソ考えた。

 すると、吾が輩の灰色ののノウズイのなかに「ヤショクでは?」という言葉がひらめいた。

 チビをぬくもらせるために夜食を用意してやろう。

 あの湯を注ぐ、赤とか緑のヤツがいい。


 ***


 チビの部屋には「赤とか緑のヤツ用タイマー」がある。昔、チビとチビの姉ニンゲンで工作したものだ。

 かようにチビは赤とか緑のヤツが好きだった。

 そしてこのタイマーをスタンと押すのは吾が輩の役目。

 吾が輩がタイマーのボタンをスタンと押すたび、チビは声を上げて喜んだものだ。

 てや。だっ。

 吾が輩、決意してチビの部屋をあとにした。振り返って確かめるとチビはまだ眠っていた。

 待っておれ。

 スタンするから待っておれ。


 チビは大きくなった。いっぽう吾が輩の毛並みはむしろ縮んだ。

 最近は足がガタピシするようになった。

 目指すダイドコロは一階にある。

 つまりはガタピシで階段を下らねばならぬ。

 だが心配はご無用。吾が輩にはふかふかクッションがある。

 ほかならぬチビからの誕プレだ。ふかふかのうえに軽い、サイシンゾザイだ。

 使わせてもらう。

 吾が輩、クッションを階段へむかって咥え投げた。

 クッションは階段をソリのようにすべりはじめる。

 にやり。でやあ。

 すかさず吾が輩、後を追った。ふかふかのクッションに飛び乗ったのだ。

 この急な階段、ガタピシの足では少々こころもとない。時間もかかる。

 だがクッションがあればこうだ。

 階段のデコボコは、ふかふかに相殺されて、まるで豪華客船のごとき乗り心地だ。

 クッションは、ふか、すそそそ。と着陸した。

 うむ。

 吾が輩。サッソウと一階へおり立った。


 ***


 赤とか緑はダイドコロにある。

 行くのはいいが、ひとつ問題があった。

 台所の番人、ママニンゲンのことである。


 ママニンゲンは、皆にエサをくれるケンリョクシャである。我が家のボスといっていい。

 ママニンゲンは、赤とか緑のヤツを持って行くのを見逃してくれるだろうか?

 チビが暖まるのをジャマはしまい。

 が「それよりチキンスープを」などといって手料理を食わすに違いない。

 チキンスープもいい。

 だが、ママニンゲンよ。

 赤とか緑のヤツでしか癒やせぬものが時にはあるのだ。

 吾が輩、彼女をかわして赤とか緑のヤツをゲットしなくてはならぬ。


 ママニンゲンは、ダイドコロにいる。

 ママニンゲンは吾が輩のチャッチャという足音を聞き逃さぬ。吾が輩がパンなぞを盗み食いするからだ。吾が輩はパンも好きだからな。

 ママニンゲンをどうかわすか。

 吾が輩には考えがある。

 だっ。

 吾が輩、意気ようようと風呂へむかった。


 お湯の臭いがしていることはセンコクショウチ。

 あの鼻歌。パパニンゲンが湯を使っていると分かる。パパニンゲンは湯に浸けると歌う。

 着替えの中から、新しいパンツをハイシャクした。

 そして、まあ、どこでもいい、コタツにしよう。

 パンツを姉ニンゲンの座る辺りに隠しておいた。

 まさか姉ニンゲンの縄張りにパパパンツがあるとはママニンゲンも気付くまい。

 ヨダンではあるが、小さい頃、チビは何かあるとコタツの中に隠れるチビだった。

 吾が輩、いなくなったチビをよく見つけてやったものだ。


 それはともかく、吾が輩のサクリャクは成功した。

 フロからあがったパパニンゲンが「お母さんパンツパンツ」と鳴きはじめる。

 ママニンゲンは、モンクをいいながら、新しいパンツを取りに行った。

 今である。


 ダイドコロは、シャボンとふかし芋のニオイがした。

 オモワクどおり無人である。

 さっそく赤とか緑のヤツをシッケイしよう。

 赤とか緑のヤツは、棚の上の段にある。

 吾が輩のずっと頭上だ。

 どうするか? これにはコツがある。

 てし。

 棚は前足で押すとちょっと揺れるのである。

 このセイシツを利用して、少しずつ揺すってやればよい。

 振動によって赤とか緑のヤツの入った段ボール箱が、ズッズと押し出てくるのである。

 この法則は昔チビが見つけた。チビはブツリ=ガクシャになれるやもしれん、と吾が輩、つねづね思う。

 てし。てし。

 押し続けた結果、段ボールは見事目の前へ落下してきた。

 ついでに降り注いだカツオブシの花吹雪が、吾が輩をシュクフクした。

 ね? カンタンでしょう? と振り返ると、真後ろに姉ニンゲンが立っていた。


 ***


 姉ニンゲン。

 我が家で不思議なケンリョクを振るう女子である。

 特にパパニンゲンにたいして無敵のケンリョクをもっている。

 彼女の行動は吾が輩にも読めぬ。

 姉ニンゲンは、床に散らばった赤とか緑のヤツ、および袋麺、ごつ盛りソーズ焼きそば、などを眺めた。しかるのち「ははーん」と一声鳴いた。

 彼女は手提げ袋を用意してきた。

 これは「吾が輩ブクロ」だ。

 姉ニンゲンが吾が輩のためにガッコウで作ったフクロで、ある。

 これを首輪から吊り下げる事で、ジャーキーおよび靴下を楽に、しかも一度にウンパン可能となるのだ。

 赤とか緑のヤツを運ぶのにもうってつけだ。

 姉ニンゲンが「吾が輩ブクロ」を装着してくれる。

 うむ。

 あとは獲物を持って帰るだけである。

 廊下でママニンゲンとすれ違ったが「吾が輩ブクロ」があるので、まさか赤とか緑のヤツをミツユしているとは気付かれぬ。

 姉ニンゲンが人差し指を立て、謎めいたビショウをおくる。何も知らないママニンゲンは「ははーん」と鳴いて我々を見送った。

 パパニンゲンも顔を出して「ははーん」と鳴いた。きみは服を着なさい。


***


 勝ったな。

 我が輩は前足でタッカタッカとリズムをきざみつつ、チビの部屋へもどった。

 チビはまだ机で眠っていた。


 吾が輩がフィルムを剥がすのを、姉ニンゲンは辛抱強く待った。

 赤とか緑のヤツを作るためには湯を注ぐ必要がある。

 それには姉ニンゲンがちょうどよかった。

 吾が輩は鼻を鳴らして、音楽をかなでる。

 「クリスタルキングの曲だ」といつかママニンゲンが言っていた。

 姉ニンゲンはこの「クリスタルキングの曲」を聞くと、ポットのスイッチを押す、という習性があった。

 幼い頃から、チビのために湯を注ぐのは姉ニンゲンの仕事だったのだから。

 ポットはチビの部屋にある。

 はたして姉ニンゲンは習性にしたがい、高々と腕を掲げ――ちょっと赤とか緑のヤツの位置を修正してから――お湯を注いだ。

 そうして吾が輩を見た。

 うむ。

 最後の仕事、タイマーを押すのは吾が輩の仕事なのだ。


 吾が輩、後ろ足で立ち続けるのが辛くなってきた。

 タイマーは本棚にある。

 二足立ちの姿勢でなければプッシュできぬ。しかしガタピシの足では狙いが定まらない。

 姉ニンゲンはタイマーを床へ置こうとしたが、吾が輩、このままの位置に固執した。

 これは吾が輩の仕事なのだ。ずっと。

 む。や。もう少し。

 ボタンを押そうとヨタヨタする。

 ええ、しゃらくさい。

 吾が輩は、万力をこめて跳びあがると、肉球を叩きつけた。

 ばん。空振りである。しかしにやり。

 叩いた勢いで、タイマーは宙に跳ね上がった。

 吾が輩、すばやく頭を振って、タイマーを口でキャッチした。

 その時には、すでに自慢の牙でボタンはプッシュされているのである。

 姉ニンゲンが吾が輩の頭を撫でた。

 うむ。うむ。

 後は待つだけだ。


 ところで、赤いきつね。緑のたぬき。吾が輩がどっちを選んだかについてだが、これは云わぬが花でしょう。


 ***


 イタズラっぽい笑みを浮かべて、姉ニンゲンは引き返していった。

 目を覚ましたチビの前には、湯気をたてる赤とか緑のヤツと、吾が輩だけがいるというすんぽうである。

「なんで? なんで?」

 よほど不思議だったのか、チビはいつものピコピコで写真にとったりしている。

 早く食べなさい。食べて力を蓄えるのだ。

 うまいですか。

 めんをすする姿の、なんとヒタムキな事か。

 子ニンゲンの頃となんら変わらぬ。

 もう小さくないチビよ。

 負けるな。ぬくもれ。


 美味しい湯気の向こうに、顔をほころばせた気配がある。我が輩、それをヒゲで感じた。

 それは子ニンゲン、仔イヌだった頃からずっと変わらぬ、吾が輩の好きな物。

 いつも我が輩をぬくもらせてくれる気配だった。

 鼻をすすりながらチビはいった。

「ありがとう。シロ大好き」

 うむ。

 ところで、それは赤とか緑よりもか?


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ぬくもれ人類 羊蔵 @Yozoberg

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