第3話
家畜
眠りに落ちてからどれ程の時間が経ったろう?佳央理は目を覚ました。すると、体に毛布がかけられていた。
(いつの間に?)
気づかずに眠り続けていたのだった。昨夜は一睡もさせてもらえなかった佳央理は、毛布を剥いで起きようとしたが身体がだるく、すぐには起き上がれそうになかった。それでも、固い床に横たわっていた身体が痛むのだ。少し動いただけで悲鳴をあげた。それが嫌で、身体をかばうようにしてゆっくりと起き上がろうとした。
なんとかようやく起き上がった佳央理は、自分の手首を見て青ざめた。縄で縛られていた痕が内出血を起こしてうっ血していた。触れると痛みがあった。思わず顔が歪む。思えば、昨夜は朝まで縛られ通しでおもちゃにされ、そして犯された。縄が、もがくうちに、それに、佳央理の身体から噴き出た汗を縄が吸い、体を締めつけて固くなっていたのだ。
くたくたになるまで弄ばれた佳央理。悲しくなった。
(ああ、こんなことがいつまで続くのかしら。こんなつらい毎日が)
惣一に言われた。
‘終わりが来ることは考えないがいい。諦めて、これからは今の境遇を受け止めて生きることだ’と。
諦められるわけがない。こんなことが許されるはずはない。いつかきっと救い出されるときが来ると、佳央理は思った。信じていた。
体がだるい。鉛のように体が感じられた。身体が覚めていくのを感じた。目を移し、木格子のそばに置かれたボウルを目にした。佳央理は、這って近づいた。そして中を覗いてげんなりとした。
白飯に味噌汁がかけられただけ。泣きそうに顔が歪む。
(ああ、またこんなものを?)
それは、佳央理の何度目かの食事だった。そのすべてが粗末なものだった。犬や猫が食べるような。どんなに嫌でも、佳央理は好き嫌いは言えなかった。出されたものを食べなければならなかった。佳央理は、ボウルから漂う匂いに空腹を覚え、咄嗟に手をつけようとして、はたと止まった。
‘手を使うんじゃないぞ。口だけで食べるんだ’と言いつけられていることに気づいたのだ。嫌だった。嫌だが、箸も、スプーンもなかった。ためらっている間にも空腹が増した。
(もう、だめ)
空腹には勝てなかった。
(ああ)
屈辱だった。体が震えた。見ないように目を閉じて、顔を器に埋めた。
四つん這いになって食む。犬のように食む自分が惨めでならない。でも、どうにもならなかった。
何も考えたくなかった。ただ、ただ食み、ボウルを空にしたかった。無かったことにしたかった。
そうして食べ終えた佳央理だったが、更に苦難が待っていた。彼女は、自分で隅に追いやって、記憶から消そうとしたおまるに目をやった。
(ああ、いや)
引き寄せる決心がつかない。でも、それにも限界があった。下腹が張り、我慢ができなくなって、ついには近寄り手を伸ばした。そうして、自分の方に引き寄せた。記憶から消せるわけがないのだ。催すたびにクローズアップされる。
‘おトイレでさせてください’
惣一に何度も願ったが、冷たくあしらわれて取り合ってもらえなかった。慣れているだろう、調教で、と言われた。
佳央理は調教中、ずっとおまるを使わされていた。トイレを使ったことなど一度もなかった。
しかも、調教に入ってまもなく、おまるを使って排泄をしている姿を姿見に映されたのだ。見たくなかった。でも、佳央理に拒否は許されなかった。
‘見るんだ’
言われ、姿見に目をやるしかなかった。見るしかなかった。逆らえば、拷問とも言えるきつい罰を受けなければならなかった。怖く、罰を受けたくない佳央理は姿見を見た。裸体を晒して排泄する自分の醜態に、目をそらすことができずに、胸をえぐられる思いで堪え忍んだのだった。
今は姿見もなく、誰にも見られていない。でも、いつ、惣一が、婆やが姿を表すか知れなかった。
佳央理は、祈る思いでおまるに跨いだ。ところが、下腹がパンパンに張っているにも関わらず、おしっこは出てこない。佳央理は焦った。
(どうして出ないの!?)
早く出て!
焦れば焦るほど、塞き止められたようにおしっこは出てこなかった。刻々と時間だけが過ぎていく。
(ああ)
佳央理を苦痛が襲った。今にも牢舎に近づく二人の足音がするようだった。
怖い。姿見に映った自分の裸体を見たときの記憶が頭の中をぐるぐる回って離れなかった。
やがて、ぼんやりとした空虚な佳央理がそこに居た。諦め?投げやり?出ないものは出ない。いくら待っても。焦りが、時間の経過とともに諦めへと変わったのだった。
そうして、時間を刻んだ先で、佳央理は変化に気づいた。
(あ、出る)
そう感じたほんの少し後だった。おしっこが、おまるの底に流れ落ちた。底を叩く音がした。空虚な佳央理に光が差した瞬間だった。心が軽くなっていくのを感じた。ほっとする佳央理だったが、すぐに凍りついた。
トイレなら跡形なく流し去ることができる。が、おまるに流れ落ちても溜めるだけで流すことはできない。それに、きつい嫌な臭いがしていた。佳央理の鼻を突き、そして、辺りに漂い広まった。おまるに蓋がついていなかった。牢内のどこにもなく、臭いを止める手だてがなかった。
やがて排泄し終わった佳央理は、咄嗟にボウルで蓋をした。隠しきれずに隙間がめだった。
そうして、何もできずに途方に暮れた。時間だけが、いたずらに過ぎていった。
「臭うな」
惣一の顔が歪んだ。
「ほんと、臭いですわ」
婆やも同調して鼻をつまんだ。佳央理は、聞くまいと懸命に耳をふさいで震えた。
「婆や、おまるの中のものを捨ててきておくれ。おまるは新しいものをな」
「はい、だんな様」
佳央理は、悲痛な想いで祈った。
(早く持って行って!)
ところが、
「こんなにたくさん。重くて大変だわ」
婆やは言って、なかなか出て行こうとしなかった。おまるはそれほど重くはなかった。それを婆やは、さも重たそうに、大きな声を出して表現したのだった。
惣一は、婆やが意図的に演じていることが分かった。分かっていて、にやにやしてただ見ているだけだった。
「ああ、臭い、臭い」
婆やは、いたずらに囃し立て、ようやく出て行った。
毛布の中の佳央理は、胸をえぐられる思いで悲鳴をあげていた。惣一は、そんな佳央理をさらに苦しめるようなことを口にした。
「おまえ、おしりの処理はどうしたね。拭き取る紙もないのでは、今も汚したままだろう?」
それを聴いた佳央理はびくりと震え、毛布の端を掴んだ手をぎゅっと強く握った。さらに惣一は、
「ここにちり紙がある。私がきれいに拭き取ってあげよう」
言うのだった。
「さあ、毛布を剥いで起きるんだ」
(そんな!?)
惣一は、佳央理のすぐそば近く立った。気配に、佳央理は凍りついた。
「どうするんだ。拒んでいてもいいが、婆やが戻ってきてしまうよ。拭かれているところを見られたいのかい?見られたら、何を言われるか知れないよ」
佳央理は凍りついた。
見られるなんて、いや、いや、いや!
「婆やが嫌いなんだろう?ならば、今のうちに済ませてしまった方がいいだろう」
佳央理は諦めるしかなかった。一人にしてもらい、拭き取ることを。二つにひとつの選択しかなかった。受ける屈辱を秤にかけ、婆やの居ないうちに拭き取ってもらう選択をした。毛布を恐る恐る剥いで体を起こした。でも、体が強張ってそれ以上動かない。
「さあ、お尻を私に向けて四つん這いになるんだ。婆やが戻ってきてしまうよ。早く済ませてしまおう」
婆や、婆やとうるさく繰り返す惣一が佳央理は嫌だった。グサリ、グサリと刃物を突き刺されたように心が傷んだ。ここに居ないのに、居るような感覚にさせられた。あの冷たい視線で見られているような気にされた。
寒気がした。佳央理は、死んだ気になって四つん這いになった。そうして、恐る恐る惣一に尻を向けた。
「拭きやすいように足を広げて。お尻を突き出すんだ」
(ああ、恥ずかしい……)
言われた通りにした。思わずため息が出た。
「ああ」
どうしてこんな……。
すると、
「かなり臭うな。今、綺麗にしてあげるから、じっとしているんだよ」
声に、佳央理はくらくらして倒れそうだった。
(早く、早く済ませて)
佳央理は願った。ところが惣一は、なかなか拭き取ろうとしなかった。
「腐っているんじゃないか?」
「おや?毛を少し切り揃えないといけないな。手入れはしていないのかい」
などと、佳央理の胸をえぐるようなことを言った。
「いつ、剃ったんだね」
佳央理は、問われて答えることができなかった。女優をしていたときに一度、下島と言う男に剃られていた。役柄に合わせるためだ、そう言われて仕方なくつるつるに剃られてしまい、とても悲しい思いをした。
佳央理は、その時の記憶が蘇り切なくなった。震えた。
「何を震えている。ひょっとして剃られたのか?」
惣一に訊かれ、どきりとした。返事ができなかった。
「そうなんだね?」
「……」
無言を貫こうとする姿に、惣一はそれを感じ取った。
「つらかっただろうね」
佳央理は、堪らず涙した。
「嫌なことを思い出させてしまったようだね」
そう言うと、ようやく股間にちり紙をあてがった。
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