来たりて 三

「まぁ、座ろうではないか。突っ立っていては話も出来ん」



 陸王から視線を逸らしてそう言ったのは翠雅すいがだった。そして円卓の一角を陣取る。

 翼持つ青年はその隣に位置するように腰掛けた。

 雪李せつりはその二人を見遣って、翠雅に声をかける。



「あの、貴方がエウローン卿ですか?」

「そうだ。国王陛下からエウローン領を預かっている、翠雅だ。お前が雪李か?」

「はい。お目にかかれて光栄です、卿」



 言って雪李は、座ったまま辞儀をした。それを受けて、翠雅はゆったりと卓の上に肘をつき、両手を組む。



雷韋らいから色々と話は聞いている。雷韋と……陸王りくおうだったか。二人を匿っていたそうだな」

「匿うと言っても、大した事はしていません。雷韋と出会ったのは偶然でしたし、僕はもう一人の僕を捜していて……」

「聞いている。なかなか難儀な思いをしているとか」



 雪李のその言葉に、翠雅が小さく頷いてみせる。



「はい、その……実はそこの彼が……」



 そこまで言って、雪李は影香に目を移した。



「影香か。雷韋も言っていたが、確かにお前と似ているな。どこか面影のようなものが。髪と瞳の色も同じだ。お前の背に翼はないが」



 翠雅がそう言った時、影香が無愛想に口を開いた。



「わたくしには半身など必要ありません。今まで通り、卿のお側にお仕えするだけでいいのです」



 影香の言葉を聞いて、雪李は思わず席を蹴立てて立ち上がっていた。



「どうして!? 君は自分自身を取り戻したくないの。僕は何十年も君を捜し続けていたんだ。このまま離れ離れになったままだと、いつか正気を失ってしまう。それは君にも分かる筈だ。それに感じるだろう、僕の陽の気配を。僕は感じるよ。君を一目見た時から、胸の奥が苦しい。ざわつくんだ。一つに戻りたいって」

「まぁ、待て」



 口を挟んだのは翠雅だった。



「影香は今から五十年ほど前に私のもとに現れた。私がまだ幼かった頃の事だ。傷だらけになって、王都にある邸の庭に落ちてきたのだ。しかし自分の記憶が一切なかった。名前すら覚えていない。その事で、影香は長い間苦しんだ。自分が何者かも分からないのは辛いだろう。それを克服したのは、やっとこの十年ほどの事だ。ようやく落ち着いたのに、また突然お前が半身だと言われても戸惑うだけだろう」

「この十年ほどで落ち着いた? それは僕がこの街に行商として通い始めた頃からだ。僕は各地を放浪していたけれど、どうしてかここに自分の陰がいる気がして定住したんだ。だとしたら、やっぱり関係が……」



 身を乗り出して影香を見詰める雪李を、翠雅が制した。



「待て。考える時間を与えてやってくれないか。影香は愚かではない。心の整理がつくまで、待ってやって欲しい」



 真摯しんしな翠雅の眼差しを受けて、雪李はそれ以上の言葉を失くし、力ない様子で椅子に腰掛け直した。肩ががくりと落ちている。ようやく見つけ出した己の半身と一つになれない事に、大きく気を落としたのだろう。


 そんな雪李を目にして、何故か雷韋は一人、怪訝けげんな顔をしていた。


「ところで、グローヴ卿の事だが」



 気落ちした雪李の気持ちを斟酌しんしゃくする事なく、翠雅は唐突に話題を変えた。ここに集まった本来の目的に移ると言う事だろう。



「私も彼に対しては思うところがある。しかし、他領地の事について口を出す事は出来ん。なれど、このままにしておく事も出来ん。今回、形はどうであれ、グローヴ卿の手の内にある闇の妖精族ダーク・エルフが我が兵に対して狼藉ろうぜきを働いたのだ。そして衛士達は、客人として招いたお前達に剣を向けた。それは許されるべき事ではない」



「だが、什智じゅうちにお尋ね者にされている俺達を、あんたが客として招いた事に関しては問題があるんじゃねぇか?」



 翠雅の言葉に返したのは陸王だった。翠雅もその陸王に目を向ける。



「私の客として招いたのではない。影香の半身と思われる雪李を招いただけ。お前と雷韋は偶然それに同行しただけだ。それで何も問題はあるまい」

「形式上はな」



 言って、鼻で笑う。



「それよりも、より問題があるのは向こうの方だ。私個人の馬車を襲ったのだからな」

「なら、俺達が手配されているってところを突かれたらどうする。差し出すしかあるまい」

「雷韋は手配書にある姿とはまるで違う。それに、侍がいた事は単なる偶然ですむ。大陸中に侍はいくらでもいるのだからな」



 陸王の言葉に翠雅もふっと笑う。



詭弁きべんだ」

「詭弁でもよかろう。それとも差し出されたいか? 己だけが助かる道を選びたいと」



 翠雅の陸王を見る目つきが険しくなる。多分、雷韋からその辺りの事も全て聞いているのだろう。グローヴ卿・什智を力でねじ伏せ、自分だけが助かる道を選ぼうとしている事を。



「だったらどうしたいってんだ。俺は面倒事は御免だぞ」

「得になる事でしか動かぬとか」

「それの何が悪い」

「いや、悪いとは言っておらぬよ。ただ……」



 ふっと吹き出すような息をついたあと、翠雅は言葉を続けた。



「侍の矜恃きょうじとはそんなものなのか、と思っただけだ」

「何?」



 途端、あからさまに険悪な空気が流れる。それでも翠雅は言葉を止める事はなかった。



「それは金で売り買い出来るものなのか?」

「何を寝惚ねぼけた事を言ってやがる。んなわけねぇだろうが。侍が何故高額で雇われるのか知らねぇのか」

「知らんな」


 ぬけぬけと言い放つ翠雅に、陸王は露骨に尖った声を出した。



「俺達は傭兵とは違う。危なくなっても戦場いくさばから簡単に逃げ出すような真似はしねぇ。貰う金の分に値する働きをするまでは、出来る限り戦い続ける。略奪や強姦もしねぇ。それは俺達侍の矜恃を著しく傷付ける事だからだ。……侍の持つ矜恃ってもんがなんだか分かるか」



 目をすがめて翠雅を見るが、翠雅はそれに何も反応を示しはしなかった。だから陸王は続けた。



「戦に関わりのねぇもんを巻き込まねぇって事だ。無用な殺戮はしねぇ。女達を辱めねぇ。子供や年寄りを手にかけねぇ。無用な破壊もしねぇ。それに反する行いは恥ってんだ。その代わり、戦相手には容赦しねぇ。殺し尽くすだけだ。恥を知り、戦場から逃げ出すような怯懦きょうだを持たない者が侍だ」

「……それがお前達の言う侍の矜恃というものか」

「そうだ」



 翠雅はわずかばかり考え込んでから口を開いた。



「グローヴ卿が兵卒を率いて、この領地を目指していると報告を受けた。お前達を奪い去ろうとして、近くに駐屯していたらしい。幾許もしないうちにやってくる。それに、だ……」



 そこで一旦言葉を句切ってから、窓の外に目を向けた。



「私の領民に危害が加えられても困る。それを防いでくれんか? お前達、侍の矜恃にかけて」



 窓の外に向けられている目はどこか遠いところを見ているようだった。それを陸王へと移す。



「グローヴ卿の手の内には闇の妖精族がいる。我々には彼らが厄介だ」

「いいのか? お尋ね者を雇っても」



 皮肉げに陸王は口端を吊り上げてみせた。



「お前が手配書にあった者だと私は知らん。ただ腕のいい侍を雇うだけの事。なんら問題ない」



 それを聞いて陸王は、はっと言葉を吐き出した。



詭弁きべんもいいところだな」

「それで何か悪い事でもあると言うか」



 あるまい。そう言って、どこか楽しげに陸王を見遣る。

 流石にここまで来れば、陸王の毒気も抜かれるというものだった。



「勝手にしろ。その代わり、俺は高いぞ」



 陸王の言葉に、承知した、と翠雅が言葉を口にした時、客間の扉が乱暴に叩かれた。

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