来たりて 四

「失礼致します、卿! グローヴ卿の使者が書状をたずさえてやって来ました」



 入れ、と言う翠雅すいがの一言で、慌てたように一人の兵士が室内に転がり込んできた。そして、手にしていた書状を翠雅に手渡す。



「東門にグローヴの兵卒が集まり始めています。このままでは……」

「東地区の市民の避難はどうなっている」

「は、只今砦に収容しているところです。しかし、東門ではグローヴの衛士達と我が門衛や衛兵が小競り合いになり、城門を閉じる事が出来ません。ただ、今のところ闇の妖精族ダーク・エルフに動きはありませんが……」



 それに対して翠雅はてきぱきと指示を下す。だが、兵士が去っていくと同時に雪李せつりがいきなり椅子から立ち上がった。



「誰もその場から動かないで!」



 雪李がきょろきょろと見回している脇で、雷韋らいもじっと何かに耳を傾けている風だった。怪訝けげんに眉根を寄せて集中している。その様に、陸王りくおうまでもが警戒して刀の柄に手を置いた。

 その様子を影香えいこうが不審げに見詰めている。



「一体何事……」



 影香が口を開いた時、雪李が動いた。「そこだ!」と声を荒げて部屋の一角にてのひらかかげる。その掌には小さな赤い魔法陣ルーン・サークルが浮き上がっていた。それを握り潰すように掌を握ると、部屋の片隅に乳白色の不定形の煙のようなものが姿を現した。だがそれは決して煙ではない。それの表面には人の顔、動物の顔、人や動物の身体の一部らしきものが浮かび上がり突き出して、常に一定しない。


 それはラルヴァだった。低級霊の集合体。悪霊とも怨霊とも言える存在だ。



「なんだ、あれは……」



 翠雅が呻くように言う。



「ラルヴァです、卿。そして、闇の妖精族の使い魔」



 雪李は言った。



「卿、実は今朝、インプをこの砦に放ったのです。雷韋がなかなか戻らないので、それを調べさせに。ですが、インプはすぐに戻ってきてしまいました。戻ってきただけではありません。向こうの世界に勝手に逃げ帰ってしまいました。その理由が今、やっと分かりました」



 ラルヴァはインプに比べて遙かに強力な召喚獣だ。下手に近付けば喰われてしまうだろう。それでインプは恐れをなして逃げ出してしまったのだ。


 ラルヴァは諜報ちょうほうが行えるほどの知力を持ち、更に、人に取り憑き害をなす。その意識にあるのはほぼ全てが人族ひとぞくに対する悪意と害意。

 魔族が形ある悪意の塊だとするなら、ラルヴァは形なき悪意の塊だ。


 それゆえに闇の妖精族は好んで使役する。


 雪李がそれを説明すると、翠雅は険しい顔をした。



「闇の妖精族の使い魔だと?」

「いつからかは分かりませんが、この砦に入り込んでいたのでしょう」



 翠雅の言葉に雪李が応える。その言葉尻に雷韋も付け加えた。



「翠雅と影香が部屋に入ったあと、俺は結界を張ったんだ。ゴブリンの事があったからな。でも、さっき兵士が来た事で結界が破られちまった。その時に何か違和感を感じたんだ。多分、入って来たのはその時だ」

「で、あの化け物をどうする」



 陸王が問う。



「僕が送還出来ればいいんだろうけど、闇の妖精族の力にはとても敵わない」

「面倒臭ぇな。だったら俺が斬る」

「普通の剣じゃ無理だ。魔力を有した剣じゃないと! 俺がやる。火影ほかげなら……」



 雷韋が言って火影を召喚するが、陸王はそれに構わず刀を引き抜くと、部屋の片隅に縛り付けられているラルヴァを一刀両断した。

 斬られたラルヴァは奇っ怪な叫び声を上げて瞬時に真っ二つに分かれると、雲散霧消うんさんむしょうした。その叫びは人の声とも動物の雄叫びともつかない、本当に耳障りの悪い叫び声だった。


 その場の全員が、いや、陸王を除いた誰もが嫌悪に顔を歪めていた。



「気味の悪い叫びだ」



 陸王が表情も変えずに吐き捨てる。



「陸王、あんた……なんで普通の剣でラルヴァが斬れるんだよ」

「あぁ?」



 面倒そうな声を上げて雷韋を見遣る。そして、刀を鞘に収めながら答えを返した。



「こいつは神をもほふれると言い伝えられてる特別な業物わざものなんだよ。雷韋。お前こそ、その武器はなんだ」

「あぁ、こいつは火影だ」

「火影?」



 その言葉に、雷韋は火影の特性とその出会い、誰がどうしようが雷韋だけの武器ものなのだという事を説明した。

 その二人を見詰めていた翠雅が、陸王と雷韋に声をかけた。



「神をも屠るつるぎと火の精霊がこごった武器か……。面白いな。お前達の力を是非とも借りたい。元々、共闘を目的にしていたのだしな」



 陸王はふっと軽く息を吐き出し、



「金貨五十枚でなら受けてやる」



 顔色一つ変えずに言い遣った。


 傭兵の雇用額は一日平均、銀貨三十枚、つまり、金貨一枚が相場だ。そして侍は一日、金貨五枚。陸王は平均から十倍も高く売り込んだのだ。



「今は戦時のようなもの。それくらいで引き受けてくれるなら安いものだ」



 しかし翠雅もまたそれをよしとした。ラルヴァを斬る事の出来る刀の力も見込んだものと見える。

 雷韋はそれを聞いて、逆に困惑した顔になっていた。



「お、おい。俺は翠雅あんたに力借りようと思ってたんだけど」



 雷韋の言葉に翠雅は薄く笑った。



「無論、力は貸す。だが、同時にお前の力も借りたい」

「そりゃいいけど、翠雅もちゃんと動いてくれんだよな」

「無論だ」

「だったらいいけど。元々この話を持ってきたのは俺だし」



 そうして一つ話がまとまった時、雪李が影香に話しかけた。



「影香、君はラルヴァに対してなんの反応も示していなかったけれど、魔術の才は?」

「私にはない」

「僕らが本当に有翼族なら、精霊魔法エレメントアが使える筈だよ?」



 影香はそれに首を振った。



「魔術に関してはなんの才もない。私が使えるのは剣だけだ。と言う事は、私は貴方の半身ではないのかも知れないな」

「そんな事はない。僕にははっきりと分かるんだ。胸の奥が疼いてしょうがない」

「だが、私には何も感じられない」



 きっぱりとした物言いに、雪李は酷く悲しげな顔をした。

 その雪李の気持ちを汲む気配もなく、陸王が翠雅に声をかける。



「それで、俺は何をしたらいい」

「まぁ、待て。今、この書状に何が書かれているのか読む」



 兵士から受け取った書状を開き目を通すと、翠雅はにやりと笑んだ。



「これは……案の定だ。陸王を引き渡せと書いてあるな。雷韋の事は知られていないらしい。罪人を庇い立てすると為にならんとある」



 さて、どうするか。と言いつつ、翠雅は更に笑みを深めた。悪戯いたずらっぽい色も濃く。



「出向いてみるか。……お前達はここで暫し待て」



 そう言葉を残して、影香に「行くぞ」と促して客間を出て行った。


 影香は部屋を出て行く際、ちらと雪李を見遣ったが、その顔には何色なにいろもなかった。

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