来たりて 二

 雷韋らいには精霊の声が聞こえるのが当然だったのだ。異種族は生まれながらにして精霊使いエレメンタラーと言われるほど感応力が強い。だから雷韋も、自分に聞こえるものは他の者にも聞こえるとしか思っていなかった。


 だがそれは違った。それどころか、その頃の雷韋には声が聞こえるのは危険な事だったのだ。


 通常、獣の眷属は同族の中で育っていれば、親や集落の仲間達に精霊の扱い方を物心つく頃には習っている。言葉を操るのと同じように。


 しかし雷韋には血の繋がった親も、同族の仲間達もいない。何があったのかは分からないが、一族全てが何者かによって根絶やしにされたからだ。人間族には『風使い』はいても、精霊使いはいない。だから雷韋に精霊の扱い方を教えてくれる者はいなかった。


 そんな中で惨劇は起きた。


 切っ掛けは、ちょっとした弾みで起きた子供同士の喧嘩だった。雷韋は人間族に拾われて育てられたが、人間族ではない。成長も人間族よりずっと遅い。不幸にも、そこに目をつけたいじめが起きてしまったのだ。子供特有の純粋な悪意がぶつけられて、雷韋はどうなるかも知らずに精霊に命を下した。


 そして気付いた時には、周りにいた子供達が消し炭になっていたのだ。


 それは雷韋が生まれて初めて行使した火の魔術だった。

 いや、違う。それは魔術ではない。単に精霊を動かしただけだ。雷韋にとってはそれだけの筈だったのに、子供達は皆死んでしまった。


 雷韋はそうして友達を大勢失ったのだ。その事が、今でも雷韋の心の深い傷となっている。


 幼い雷韋を責める、死んだ子供達の親。雷韋を庇う盗賊組織ギルドの首領。もう随分と昔の事なのに、今でもその時の諍いの声が耳の底に残っている。



「俺はその頃、別に精霊使いでもなんでもなかった。ただ精霊の声が聞こえるってだけのガキだった。魔術がどんなもんかも知らなかったんだ。でも、知らずに使って人を殺した。それだけは揺るがない」



 雷韋はそれ以来、精霊の声を無視するようになったと言う。だと言うのに耳から、いや、頭に直接響いて無視し続ける事が出来なくなった。年を経れば経るほど、盗賊としての仕事を覚えるのにも精霊の声が響いてなかなかはかがいかなくなっていった。


 そして決心したのだ。

 生まれ育った島を出る事を。

 魔術の師を捜す事を。


 しかし、それも容易な事ではなかったようだ。大陸には様々な種族が存在するが、人間族の前には姿を見せる事が少なかったからだ。雷韋は人伝に魔導士を捜して歩いた。人間族の優れた魔導士は幾人かいたが、精霊を自在に操る事の出来る魔導士はいなかった。


 そうして大陸のあちこちを歩くうちに、雷韋は一人の光の妖精族ライト・エルフに出会った。それは、もう随分と年老いた隠者だった。妖精の森に住む事もなく、仲間から離れて奥深い山中に一人暮らしていた。


 セティエス・ロウというその隠者は、様々な魔術に通じていた。


 雷韋は出会ったその瞬間から、セティエスから魔術の基礎から全てを叩き込まれる事になった。特に弟子入りしたいと申し出たわけではなかったが、セティエスには全て分かっていたと言うのだ。それは世界を回す精霊が雷韋の来訪を告げていたから。同時に雷韋に問題がある事も隠者は一目で看破した。


 雷韋は他の種族に比べて、精霊を感知する力が高すぎるらしかったのだ。それゆえにセティエスは雷韋に様々な禁を作った。その中でも絶対に曲げてはいけないと告げられた事がある。


 感情にまかせて魔術を使う事を禁ずる、と。


 その禁を犯せば魔力が暴走すると言われた。


 セティエスは口を開けば「感情に飲み込まれるな」と言った。それどころか、一刻一刻ごとに言われ続けた。嫌になるほど言われ続けても、雷韋にはその言葉を無視する事も聞き流す事も出来なかった。


 いつでも己を戒める光景が目に浮かぶからだ。

 子供達の消し炭になった死体が。



「俺は一から全てを教わって、魔術を行使する時は誰かを助ける為か、自分を護る時だけ。あんまり頭にくる事があれば脅しに使ったりするけど、それだけだ。術の行使まではしない。だから衛士と遣り合った時も、魔術は使わなかったんだ。使うのが……自分が怖いから」



 魔術は恐ろしい力だから。雷韋は最後にそう言って口をつぐんだ。


 ところが──。



「お前、馬鹿だろう」



 陸王りくおうは呆れ果ててそんな事を口にしていた。逆に雷韋はぽかんとする。



「衛士と遣り合った時は自分を護る時じゃねぇのか。あ?」

「あ、あれくらいなら、俺の剣の腕でもなんとかなると思って……」

「それで殺されでもしたら目も当てられんな。違うか」

「それは……程度ってもんくらい、分かる」

「どうだか」



 吐き捨てるように言って、陸王は窓の外に目を遣った。その様は、怒っているように見える。


 いや、実際陸王は酷く腹を立てていた。己を護る力を持ちながら、それを有効に活用出来ないという少年に。誰かを助ける力も、傷付ける力も、己を護る力も、その根底にあるのは全て同じものだ。攻も守も同じもの。使い方次第でどうにでもなる。自分を護る事は相手を傷付ける事だ。殺さなければならない時もある。それを怠れば、自分が生命いのちを落とすのだ。それほど馬鹿らしい事はない。


 それが分からない筈はないのに、雷韋は言い訳にくるまって逃げようとしている。生き残るのに己の持つ力を最大限に使って何が悪い。それで相手が死んで何が悪い。


 所詮、人は自分を生かす為に、どこかで誰かを、何かを殺すものだと思う。


 陸王の苛立ちはそのまま雷韋に伝わり、自然と少年を萎縮させた。

 その様子を雪李せつりが困ったように見遣った時、客間の扉が開いた。


 室内に入ってきたのは、白いものが混じった、濃い髪色をした口髭と顎髭を蓄えた壮年の男。翠雅すいがだ。そしてその後ろからもう一人。

 白銀の髪を一つに束ねた碧色の瞳をした有翼族の青年、影香えいこうだ。


 雷韋の話にあった通り、とび色の翼を持った青年にはどこか雪李と重なる面影があった。背に翼さえなければ、ぱっと見はよく似通った印象だ。けれど、よく見ると似ていない。雪李にある温かい印象が、青年には欠片もないのだ。みどり色の瞳にあるのは、どこまでも冷えた眼差しだけ。


 その冷たい眼差しが雷韋を見た。



「雷韋、無事で何より。グローヴの衛士だけじゃなく、闇の妖精族ダーク・エルフも現れたと報告を受けているよ」



 語る言葉は柔らかいが、口調は眼差しと同じに冷たい。



「うん、なんとかな。闇の妖精族は陸王がたおしてくれたんだ」



 言って、雷韋は陸王に目を遣る。

 その視線を追って、自然と残りの三人の目が陸王に集まった。


 陸王はその視線に居心地の悪いものを感じて、ふいと窓の外に顔を転じた。その横顔は、酷く不快げに歪んでいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る