第七章

紅(あか) 一

 その夜、深夜。


 人々が深く眠りに就いた頃、雷韋らいはエウローン卿の砦内にある邸宅に侵入した。


 砦を囲む濠は幅十メートル、城壁の高さは二十メートルほどある。正面から行くには跳ね橋を渡らなければならないが、夜は跳ね橋は上がってしまっている為、そこから中に入る事は出来ない。


 城壁の狭間さまには篝火が灯され、終始、歩廊ほろう歩哨ほしょうが歩いて辺りを見張っている。塀を越え、歩哨に気付かれる事なく侵入するには召喚獣の力を借りるしかなかった。


 召喚獣は雪李せつりの家の前で召喚済みだ。深夜の下町なら誰の目に触れる事もなく術の行使が出来る。そこで雷韋は根源語マナ魔方陣ルーン・サークルあらわ召喚円陣サモン・サークルを開いて、異空間へと続く入り口を展開した。そして別次元に住むキュウキと呼ばれる、二本の尾と翼を持った狼に似た召喚獣を呼び出した。


 キュウキは穏やかな気性の獣だ。根源語を理解し、人の言う事をよく聞く召喚獣ゆえに、召喚士サモナーによく使役される獣だった。空を飛行する事も出来る為、移動に用いられる事が多い。


 ただ、召喚獣は術者の能力をはかる。自分が持つ力を制御するだけの能力を術者が持たなければ、召喚した途端、襲い掛かってくる。そしてそのまま送還される事もなく、魔物と化すのだ。そうして魔物と化した召喚獣は世界に多い。


 また、術者によって呼び出され、使役したまま送還されずに放置された召喚獣も魔物になる。使役したら、召喚獣は必ずもとの空間へ送還しなければならない。それが召喚魔法サモンの決め事だ。なのにそれをしない術者が少なからずいる為、世界には魔物が増え続ける一方だった。人にとって有害、無害双方を含めて。


 雷韋は呼び出したキュウキに乗って上空から砦内に侵入し、人目をはばかりながら、邸宅の裏にある扉を解錠して忍び込んだ。解錠には鍵開け道具が必要だったが、それらは皆取り上げられて手元にない。仕方なしに根源魔法マナティアで解錠したのだ。滅多に使わない為、詠唱と印契いんけいが必要になったが。


 勿論その前に、召喚したキュウキは送還した。召喚獣は、召喚された場所に開けられた召喚円陣からしかもとの世界に帰る事は出来ない。だから雷韋は、キュウキが空に戻っていくのを見届けてから邸内に忍んだのだ。


 邸宅内は深夜だというのに仄明ほのあかるかった。それは壁の所々にランプや松明が灯されているからだ。


 雷韋は足音を殺して広く造られた内廊下を進んだ。時折、見回りが通る事もあったが、上手く物陰に隠れてやり過ごす。そして、扉の造りを確認しながらエウローン卿の部屋を探していった。両開きの扉や厚い木材で出来た扉の部屋は調べたが、あからさまに質素な造りの扉は調べない。そんな部屋を領主が使うわけがないからだ。


 見回りの姿をかいくぐりながら、そうして次々と部屋を調べていく。


 と、ある部屋の前で雷韋は足を止めた。その部屋の扉の両端には松明が掲げられていたからだ。扉の造りも厚い。その扉に耳を寄せて、中の様子を窺った。人の気配があるようだが、静まり返っている。


 雷韋は一度辺りを見回し、誰の姿もない事を確かめてから、そっと扉を開く。それは音もなく静かに開いた。

 廊下からの明かりを頼りに中を覗くと、部屋は思ったよりも随分広かった。様々な調度品が並べられている。そしてその部屋の奥から人の気配が伝わってきた。


 感じられるのは静かな呼気こきだ。どうやら中にいる人物は眠っているようだった。

 それを確かに確認してから中に忍び込み、扉を静かに閉める。


 暗い部屋の中に、窓から月の明かりが差し込んでいた。それに照らされて、寝台の中に人影を見つけた。扉から離れ、寝台に少し近付いてみる。


 寝台の中にいるのは、濃い髪色をした口髭と顎髭のある壮年の人物。縮れた髪には白いものが多く混じっている。眠っていても、どこか精悍せいかんな感じがした。丸襟に銀の刺繍が施された白い夜着よぎに包まれる身体も、がっしりとしている。


 おそらくは、この人物がエウローン卿だろう。


 雷韋は寝台に更に近付き、最終的には寝台の脇に立つ事が出来た。そうして眠っているエウローン卿を覗き込んだ瞬間、エウローン卿の身体がさっと動き、雷韋の喉元に短剣が水平に突きつけられた。


 一瞬の出来事に、雷韋はその場から動く事が出来なかった。

 枕元から取り出された短剣が危うく喉をさばこうとしているのだ。



「何者だ」



 低い声が呟いた。それは眠りから目覚めたばかりの者の声ではない。はっきりと覚醒している。

 雷韋は全く動けなかった。唇を動かしただけで、喉を掻き切られそうなほどの殺気が目の前の男から感じられたのだ。それでも雷韋は数度瞬きしつつ、なんとか口を開いた。



「俺は雷韋。あんたが……エウローン卿だな」

「そうだと言ったら」



 その言葉に、雷韋はゆっくり唾を飲み込んで言葉を続けた。



「あんたにどうしても話したい事があって、ここまで忍んできた」



 エウローン卿の青い瞳と雷韋の藍に染めた瞳が、月明かりが忍ぶ暗闇の中で交錯する。そのまま暫し、間が置かれた。雷韋はしばたたき、エウローン卿は目の前の少年を凝視する。

 やがて短剣が喉元から引かれ、エウローン卿が寝台の上に上体を起こした。



「よくもここまで誰にも見つからずに忍び込めたな」



 短剣を引かれた事に溜息をつく暇もなく言われた。



「忍び込むのは得意なんだ。この間も什智じゅうちのところに盗みに入ったしさ。まぁ捕まって、持ってたもの全部取られちまったけどな」



 それを聞いて、エウローン卿は眉根を寄せる。



「昨日、グローヴ卿の手から逃れたのはお前か? 卿が賞金をかけたのも」

「まぁな」

「それにしては見目が違うようだが……」

「もとのままだと目立つから、髪は染めたし目の色も眼薬がんやくで変えた。この国から逃げ出そうと思って」

「その姿なら衛士の目を誤魔化せるだろう。何故逃げずにここへ来た」



 雷韋はそこで一度深呼吸してから言葉を紡いだ。



闇の妖精族ダーク・エルフがこの辺りの領地に使い魔を飛ばしてるって噂を聞いた。それに、あんたに見て貰いたいものがある」

「見て貰いたいもの?」



 雷韋はズボンのポケットに手を突っ込んで火の珠玉を取りだした。



「それは……グローヴ卿が探していたという財宝か」

「そうだ。一度は捕まってこれも奪い取られたけど、これだけはまた奪い取ってきた」

「ほぅ。奪い取られて奪い返したか」



 心底感心した風に声を出す。



「だからあんたのところに来た。この珠玉の事もあるし、逃げるよりもっといい方法、根本的な解決方法があるから。それに人助けにもなるし、あんたにとっても悪い話じゃないと思う」

「賞金首が己の事より人助けを?」



 エウローン卿は口端を上げて、雷韋を眺め遣った。その青い瞳に楽しげな色を乗せて。



「ここまで来た褒美だ。聞いてやる。話してみろ」



 雷韋はもう一度首肯しゅこうしてから、ゆっくりと口を開こうとした。その時。



「卿、卿。先刻、何者かの影が砦内から飛び去ったと報告がありました」



 扉の向こうからの突然の声だった。そして言葉が終わったと同時に、扉が不躾ぶしつけにも開かれる。


 燭台を持って唐突に入室してきた人物を見て、雷韋の息が止まった。

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