第二章

捕縛 一

 その日の昼下がり、雷韋らいは荘園に囲まれた大きな街に辿り着いていた。


 エウローン領だ。


 街を護る城壁から続く街並みの間から、砦の姿が遠目に見えた。

 雷韋はまだ今夜の寝床を決めてはいなかったが、取り敢えず広小路ひろこうじ沿いの食堂で、その小さな身体に似合わぬ食欲で二人前も三人前も食事を平らげた。


 そうして腹を満たし、露店で買った干した無花果いちじくをデザート代わりに頬張りながら行き交う人の波を眺めていた。特別、追っ手を気にしているわけではない。と言うより、その逆なのだ。昨夜見た間抜け面の衛士達や、今朝の陸王りくおうの苛立った顔を少年は脳裏に思い浮かべていた。


 それらを交互に脳裏に浮かべて、くすりと笑う。

 雷韋にははなから陸王に対して罪悪感などなかった。街道で彼を悲しげに見詰めていたのも、雷韋の本当の気持ちではない。演技だ。しかし、だからといって格別な悪意があったわけでもない。


 仕返しのつもりだった。


 衛士から逃げる際、陸王が自分に人を傷付けるように言った事が気に食わなかった。魔術はひけらかすものでも、他者を傷付ける為のものでもない。良い事へ転嫁てんかさせる為のものなのだ。


 それなのに陸王は言った。

 手っ取り早く始末しろ、と。


 雷韋はこれまで、一度たりとも魔術を力と思った事はなかった。いや、大きな力だからこそ、彼はそれを単なる『力の具現』と認識したくなかったのだ。


 魔術はどんな武器よりも強力で、強大だ。使い方を誤れば、全てを破壊してしまう恐るべき技になる。だからこそ魔導士達は、密かに口伝でのみ信頼するに足る弟子に魔術のなんたるかを伝えてきたのだ。商人や職人のように組織ギルドを作ったりしないのも、それがゆえだ。


 この世界を支配するのは魔法力なのだ。全てが魔法の中から生まれ出ている。人も獣も植物も、初めの神、光竜こうりゅうが生み出す力──神代語ダリ──を持っていたからこそ、こうして存在しているのだ。


 雷韋は魔術の師から何度も繰り返し、魔術のなんたるかを聞かされてきた。喜べる力も、恐るべき力も、全ては使う者の心次第だと。


 だから陸王が許せなかった。

 だから彼を欺いたのだ。

 少しは嫌な思いをすればいい。そう思って。


 とは言え、ちくりとした棘が雷韋の胸の奥深いところに突き刺さっていた。どうしてか陸王の事が気になる。漠然と、今頃どうしているだろうかと思った。確かに面白くない思いをしたのだから、その分は雷韋の得意な掏摸すりという形で仕返ししてやった。伊達に盗賊組織の首領に拾われて育てられたわけではない。けれど反面、それで陸王が何か困った事になってはいないだろうかと思うのだ。


 思いが矛盾しているが。


 その気持ちは罪悪感とは違う。ただ気になった。乗合馬車で一緒になっただけの相手でしかないが、妙に気にかかるものを感じたのだ。そして陸王を見た瞬間、既視感に似た何かを覚えた。自分の中で無視出来ない何かを。


 それが気にかかって仕方がなかった。なんだろうか、と考えてもその先へ思考は動かない。無花果を頬張りながら散々思いを巡らせたが、何も浮かんではこなかった。そうして上手く思考が働かないまま、いつか雷韋の思考は盗みに入った領地の主の事になっていった。


 雷韋は今いるエウローン領の東にある領地、グローヴ領領主、什智じゅうちの邸へ忍び込んだのだ。


 軽く聞いただけでも、什智は領民から血税を搾り取って、自分は贅沢な暮らしを楽しんでいると街の人間達からは不満が漏れた。それが為か、街にも活気がないような気がした。街の者達は皆、酷く疲れている様子で、その様を見るに毎日の生活がぎりぎりなのだろう事は雷韋にも容易に想像がついた。それは彼にとって許せない事だった。


 領主は領民なくして生活は成り立たない。なのに什智はその地位を利用して、領民を虐げている。だから少し懲らしめてやろうと思って、邸の宝物庫から宝物を盗んでやったのだ。


 雷韋は領民の代わりに仕返しをしてやったつもりになっていた。


 ただ、雷韋のした事によって、いてはそれが領民へのしわ寄せになるのだという事に少年は気付いていなかったが。義賊気取りでいい気になっているが、雷韋はその辺りがまだまだ子供だった。資産を盗賊にくすねられて、什智は再び、いや、以前より一層の重税を領民に科すだろう。


 それに思い至らず、雷韋は三つ買った無花果を食べ終えて、その皮を放り投げると大手を振って広小路のど真ん中を歩いた。空にはまだ重たそうな雲が淀んでいたが、心の中は晴れ晴れとしていた。


 このエウローン領とグローヴ領にはなんの関係もない。隣接しているだけだ。その事は事前に街の者達に確かめてある。だからグローヴの衛士達に見つかる可能性はない。


 雷韋は空を仰ぎながら、緩く吹く風の匂いを嗅いだ。

 その姿はどことなく動物のようで、近くにある露店の主人は少年を不思議そうに見ていた。

 それに気付いたのか、雷韋は彼に目を向けた。



「おじさん、この辺りに宿屋ない?」

「お前さんの後ろにあるのがそうだと思うんだがな」



 皮肉っぽい口調で言い遣って、露店の主人は顎で示した。

 促されるまま振り向くと、確かに大きな建物の庇に宿屋の看板がゆらゆらと揺れながらぶら下がっている。



「なんだ、目の前じゃん」



 照れ隠しのように笑って寄越し、雷韋は主人に礼を言うと宿に向かって歩き出した。



「ちょっと待った、坊主」



 露店の主人が不意に雷韋を呼び止める。



「ちょいとこっちに来てくれないか」



 ほんの刹那、雷韋はいぶかしげな顔をしたが、しかし少年は素直に露店の主に近寄っていった。



「俺がなんか、あった?」

「いや、ちょっとな」



 主人は商品の野菜を乗せた台の下で、何やらごそごそとやっている。そして一枚の紙をそこから発見した。

 雷韋にはそれに何が書いてあるのか分からなかったが、主人はその紙と雷韋とを交互に見遣っている。少しの間彼はそれを繰り返し、最後ににっこりと人好きのする笑顔を向けてきた。



「ちょいとこっちへ来て手伝って貰えないか」

「いいよ。何」



 雷韋はてらいのない笑みと声で返し、露店台を回り込んで主人の目の前へと近寄った。

 が、その途端、いきなりその場にひねり込むように組み伏せられた。



「おい、賞金首だ!」



 雷韋の頭上で店の主人が叫ぶと、周囲の露店の主やら通行人などがわらわらと寄ってきた。



「縄を持ってこい」

「衛兵に知らせろ」



 そんな声も幾つか上がっている。


 雷韋にはなんの事か全く合点がいかなかった。

 それよりも今の彼にとっては、後ろ手に捻り上げられた腕が痛くてしょうがない。腕が肩の関節から引き抜かれそうだ。あまりの激痛に、雷韋は声を上げる事すら満足に出来なかった。

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