邂逅 六

          **********


「ついてくるんじゃねぇ、サル」



 明け方近く、二人はどこへ続くかも分からない街道を歩いていた。

 衛士達から逃げる際に、逃げ道まで示し合わせていたわけではない。向いた方角が一緒で、ただ単に同じ道を選んでいただけだった。だからどこへ行こうと一緒でなくともよかった筈なのだ。


 特に、日ノ本の男には。


 なのにどうした事か、雷韋らい言霊ことだまを使って操る根源魔法マナティアで光の玉をあらわし、彼のあとをちょこちょこついて来た。

 男にはそれが鬱陶しくてたまらない。悪態もつきたくなるのは当然だった。

 旅の連れなど彼は欲しくないのだ。



「向こうに行け」



 低い背に、男は言葉を乱暴に投げつけた。



「いいじゃんか。俺だってそっちに行きたいだけなんだもんさぁ」



 昨夜からの徹夜も手伝って、二人は共に苛立っていた。不機嫌この上もなし、と言う顔を互いに晒しながら、それでも二人は同じ方向へ、同じ速度で歩いている。雨は既に止んで久しかったが、その代わり、湿った空気が肌にまとわりついて刺々しい神経を逆撫でる。



「連れはいらん」

「俺だっていらねぇよ」

「どうだかな」

「本当だってば」



 森から運よく街道に抜けた頃から、二人の間にはそんなわけの分からぬ会話が平行線上に延々と続いていた。



「お前は連れが欲しいんじゃなく、俺の得物が欲しいんだろう」



 腰に帯びた刀を示し、男は決めつけるように言い遣る。



「そんなのいらねぇよ。だって俺には抜けなかったもん。抜けない剣なんて持ってても邪魔なだけだろ。きっと売れもしねぇよ」



 ふて腐れて、雷韋は明後日の方向に目を向けた。その顔は実に不満げだった。

 もうすっかり刀には興味を持っていないという風に。

 だが男は、それを信じようとはしなかった。一度は奪われているのだ。そして何よりも、雷韋が精霊使いエレメンタラー兼盗賊なのだというれっきとした事実もある。



「どうだかな」



 男は嫌ったらしい声で言い遣ったが、雷韋はそれに対し、「心外だ」という風に腕組みをしてみせる。



「完璧疑ってるし、俺の事」

「当たり前だ。人様の物をかすめるような奴を信用出来るか」



 語気の荒い言葉が雷韋を打ちのめす。

 急に少年は、しゅんとした顔で高い上背の男を見上げた。さっきまでの覇気が全くなくなって、歩む足も止まってしまう。



「俺……貧乏人からは盗らないもん」

「じゃあ何か。俺が金持ちにでも見えたってのか。それが手前ぇの言い分か」



 男は大仰に両手を広げて振り返る。



「あんたは稼げる人じゃんか」

「あぁ、そうだ。俺はいくらでも稼げる。ただし……」



 そこまで言って、さげすむような目を雷韋に向けた。



「命懸けでな」



 それに対して少年は言葉を返せなかった。

 確かに彼の言う通りなのだ。異国から大陸に渡ってくるのは商人でなければ、傭兵か賞金稼ぎ、それに冒険者志願の者くらいだ。


 いや、他にも諸々の事情や状況があって渡ってくる者もいる。雷韋もそうだ。

 だがどちらにせよ皆、おのが身体を張って金を稼ぐのだ。



「分かったか。分かったら、もうこれ以上俺についてくるんじゃねぇ」



 男はくるりと踵を返し、歩む足を速めた。

 少しずつ少年の気配が薄れていくのを感じる。それに対し半ばほっとし、安堵の息が漏れた。


 それなのに、何かが男の中で引っ掛かっていた。それが一体なんなのか真正面から見る事はしない。それでも、ただ漠然とした呵責のようなものが胸の内にあるのだ。彼はそれに気付かぬ振りをし、そして追いやろうとして生乾きの髪を掻き上げたが、やがて面白くもない舌打ちが自然と漏れる。



「なんだ!」



 突然男は振り返り、遠目になった少年に声を張り上げた。



「なんだってそんな目で俺を見やがる」



 彼の心の奥に引っ掛かっていたのは、踵を返す直前の雷韋の目だった。

 悲しげに俯けられた顔から上目遣いに自分に向けられる、なんとも頼りなげで、儚げな目。まるで捨てられた犬か猫のように、少年の目はすがってきたのだ。



「俺はお前とは赤の他人だ。仲間もいらねぇし、連れも欲しいとは思わん」



 だからそんな目を向けるな、と絶対的な拒絶を表す。

 しかし、それでも雷韋は男を見詰めていた。物言いたげな目で。



「鬱陶しいんだよ、手前てめぇは」



 嫌ったらしい言葉そのものを突きつけられ、雷韋は酷く傷ついた顔を示した。そして言うのだ。



「名前くらい、教えてくれたって」



 宙空に消え入りそうな声。彼らの間に距離はあったが、消えそうな声音が男に届いたのは、少年のそれが絞り出されるようだったからだ。

 男はそれに対して酷い不快感を感じていた。その原因が少年にあるのではなく、自分にあるのだと分かっていたからだ。


 大人げない。


 そんな言葉が脳裏に浮かび、そして同時に、巫山戯ふざけろ、と言う荒い言葉も上がっていた。どうしてだろうか、彼は罪悪感を覚えていた。

 これまで幾度となく戦災孤児や親に捨てられて、それでもしぶとく生き抜いてきた子供達を見てきた。徒党を組んで人を襲う子供達もいれば、中には生きる事を諦めた子供もいた。


 だと言うのに、雷韋のあの悲しそうな顔を見ると、酷い罪悪感が湧き上がってくる。

 何故か止めても止めきれないほど、それは勢いを増していた。じっとしていると、その思いに飲み込まれそうだった。


 そしてとうとうそれに根負けし、男は名を名乗った。言って解放されるのなら、それはそれで上等だ、と思う。



陸王りくおうだ。玖賀くが陸王。名字、帯刀で分かるだろう。日ノ本の侍だ」



 日ノ本の者には姓があるが、大陸の者には姓がない。また、人間族以外に日ノ本には人種がいない事も特徴的だ。それが日ノ本と大陸の最大の違いだった。

 陸王はそれだけを吐き捨てて、二度と雷韋を見なくてすむように足早に歩いていく。


 だが今度はさっきとは打って変わった雷韋の声が、面白そうに陸王の背を叩いた。



「なぁ、陸王。これ、なぁんだ」



 問う言葉尻にくすくすと笑う声がこれみよがしに響く。

 腑に落ちない顔をして振り返った陸王の目に、見慣れたものが飛び込んだ。

 悪戯いたずらもここに極めり、と高くかざされた雷韋の左手にぶら下がっているのは、陸王の財布だった。根源魔法の光の玉に照らされて、はっきりと断定出来る。



「手前ぇ、このクソガキ!」



 陸王は己の身の内も確かめず、いきなり雷韋に向かって走り出した。雷韋も同じように走り出している。

 いや、同時に走り出したというのに、確実に雷韋は陸王から距離を離していた。時折、後ろを振り返る余裕さえある。そうして途中で光の玉を消し去って、夜明け前の薄闇の中へ走って行く。


 どんなに悔しくても、どんなに走って行こうとも、最終的に陸王はその雷韋を見失う形となってしまった。


 さんざ息を切らして、いつしか彼は走るのをやめていた。このまま追っていっても雷韋がどこに行ったのか陸王には分からないのだ。街道には別れ道があり、また、周りには丘や木々、茂みが多い。そこを巧みに利用し、雷韋は逃げたのだ。


 捜すだけ、それは全て徒労に終わるのは歴然だった。



「サルガキ……ッ」



 苦渋の思いがそのまま言葉となり、表情になって表れた。

 彼をここまで愚弄したのは雷韋が初めてだった。


 完全に調子を狂わされたと思う。


 大体、雷韋が馬車に乗り込んだ時から陸王は何かを感じていたのだ。はっきりとしないが、特別な何かを。

 それに対して自分に言い訳をする気はなかったが、それでも言い訳めいた気持ちが膨らんだ。



「分かるわけねぇだろ、そんなもん」



 息苦しさに膝に手を当て、陸王は地面を蹴り付けた。

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