第七章

第36話 お留守番は誰がする?

 さくさくと小気味よい音がする。

 枯葉を踏んで、恐れ気もなく深い闇の中を進んでゆく、かすかな灯りがふたつ。


「ほら、ここまで来れば分かるだろう」


 さわさわと枝をたわませて、ナラの木立ちがアーチを作る。その奥には小さな庵がある。

 魔法の小道で迷子になったアリルとシャトンを救ってくれたのは、隠者の庵の常連客だった。


「ありがとうございます、デニーさん」


 鉛色の髪の青年がぺこりと頭を下げた。


「どういたしまして」


 運の良いことに、彼らが発見されたのは惑わしの森にほど近い小さな集落の外れだった。

 白くぼんやりとした世界から、星のまたたく黒い夜空の下へ。

 見慣れた顔と、その背後に赤々と天を焦がす火。それを目にした途端、アリルは膝から力が抜けてへなへなと地面に座り込んでしまった。

 二人がここに至った事情を説明すると、デニーさんはふんふんと相槌あいづちを打ちながら聞いていたが、


「サウィンの夜にはよくあることさ」


 驚いた様子もなく、さらりと片づけた。


「そうなんですか」


 アリルが目を丸くする。


「さっきまでそこで遊んでいた子どもが急にいなくなったり。いつの間にか人ではないものが、ちゃっかりと家族の食卓に紛れ込んでいたりね」


 そうして、「念のため」と、二人を庵の近くまで送り届けてくれた。


「あたしらの村じゃ、辻より向こうに行ってはいけないっていうきまりがあるんだ」


 庵までの道すがら、デニーさんはサウィンの夜にまつわる話を聞かせてくれた。


「うっかり村の外に出ると、おかしなものにたぶらかされるって、昔から言われているのさ」


 言い伝えを『ただの迷信』と侮ると痛い目に遭う。 


「今年も向こう見ずな若者が三人いなくなってねえ。探してみたら小川のそばで川の水をみ交わしていたのさ。まるでたっぷり酒を飲んだ後みたいに、すっかり出来上がっていたよ」


 全部が全部、こんな笑い話ですめばいいんだけれどね――…と、デニーさんはからからと笑った。

 老婦人の声は耳に心地よかった。

 ランタンを手にした彼女の後ろについて、暗い森の細道をてくてくと歩く。

 ふっくらとした背中は、安心感をもたらしてくれた。

 そうしていくほどもなく、アリルとシャトンは目指していた場所にたどり着いたのだった。


 くしゅん、とシャトンがくしゃみをした。

 庵に入ったら、何をおいてもまず、暖炉に火を入れなくては。

 アリルは肩に乗ったままだったシャトンをそっと抱き上げて、マントの中にくるんだ。


「暖かいねえ」


 シャトンが合わせの間からひょこっと顔を出し、満足げに喉を鳴らす。


「よろしかったらお茶でもいかがですか? お祭りのごちそうはありませんけれど」


 アリルの申し出に、親切なご婦人は人の好い笑みを浮かべた。


「いや、遠慮しとくよ」

「もしかして、まだ見回りを続けるのですか?」

「ほどほどにね。やれやれ、昔はサウィンってのはこんな騒がしい日じゃなかったのにさ。よおく用心して家にこもって、一歩も出ないようにした時代もあったんだよ。ああ、ごとはいけないね。二人とも、今夜はもう出歩かない方がいいよ。ここでゆっくりお休み」

「あ、はい。デニーさんもお気をつけて」


 村の方へと戻ってゆく後ろ姿を見送りながら、アリルはふうと溜め息をついた。


 庵の反対側に抜ける道はない。ここより奥は森の民の領域だ。

 デニーさんに貸してもらったランタンの灯りがぼんやりと足元を照らす。

 獣道に毛が生えた、石だらけのでこぼこ道。


(この道を、師匠は馬車を走らせてきたのか)

 エリウの丘にある、聖女の神殿が賊に襲われたおりのことだ。


(よくもまあ、車輪が無事だったものだ)

 最近の出来事なのに、あの夜のことがずいぶん前のことのように感じられた。


 ふわふわ揺れる小さな光が完全に道の向こうに見えなくなるのを待って、アリルとシャトンは寒々さむざむとした庵に入った。

 ランタンの火を藁に移し、暖炉の中に放り込む。

 ――と、


「うわっ!」


 ぼうん、と煙の塊が暖炉口から勢いよく噴き出した。

 ぎゃわっと、悲鳴を上げてシャトンが飛び退すさる。アリルが踏み台にされた頭を押さえた。


「くそっ、ちと目測を誤ったか……」


 げほげほとき込みながら、灰まみれになった赤い髪の男が這い出してきた。

 身にまとった灰がもわっと部屋中に舞い広がり、シャトンが立て続けにくしゃみをした。


「師匠、何をしてるんですか」


 アリルの呆れ声を背に、フランは灰も払わず部屋を飛び出していく。靴の裏についたすすがてんてんと、足跡となって床に残った


「ちょっと、師匠。何をしてくれるんですか。ああもう、暖炉が使えなくなったじゃないですか」


 苦情を言い立てる弟子には構わず、彼は一直線に納屋へと向かった。

 そこに、あの夜、大聖堂から持ち出したものが隠してある。

 渾身こんしんの力を振り絞り、高く積み上げられた干し草の山の下から、木の箱を引きずり出す。

 人がすっぽりと入れるぐらいの、細長い木の箱。側面や蓋に薔薇の花が彫り込まれた聖女のひつぎだ。

 はやる心を押さえ、大切な宝物を撫でるようにして丁寧に干し草を払った。うやうやしい手つきで重い蓋を持ち上げる。

 ほう、とフランが安堵あんどの息を吐くより先に


「おやまあ」


 追いついてきたアリルとシャトンが中を覗きこんで驚きの声を上げた。


「エレイン、どうしてこんなところに!」


 * * *


 常の夜なら森の木立にひそやかに埋もれる隠者の庵が、急に騒がしくなった。


「あなたはそうやって、いつもいつもいつも!」


 アリルがぷりぷりと怒りながら床をいている。


「前もって話してくれれば、こちらだって心の準備ができるのに」


 ――エレインが何ものかによって連れ去られる。


 そのような事態を想定して、フランは手を打っておいた。

 エレインを狙う者たちが人間だけであれば、必要のないものであったかもしれない。しかし妖精女王の妹、フィニの存在を忘れることはできなかった。

 そこで、魔法の力がエレインの身に及んだ場合にのみ発動する術を仕込んだ。

 彼女を魔力で連れ去ろうとした場合、その体を強制的に庵に隠した棺に引き戻す術をほどこしておいたのだ。


 今、エレインは庵のベッドにいる。

 魔法の力は、使う者にも使われる側にも心と身体に大きな負担をかける。

 疲れて眠っているだけだと聞かされたアリルは、安堵の裏返しからか、怒りが収まらない様子だった。


「あなたはいつだってそうだ。どうしてこんな大事なことを僕に教えてくれなかったんですか。僕が信用できないからですか」


 弟子の声を横に聞きながら、フランは考え込んでいた。


(結局のところ、根本を何とかしなきゃらならんか)


 エレインの魂の半分は、まだ冥界に留まっている。

 エリウのもとで普通の暮らしをしているうちに、この世にある半分の魂が輝きを増して、冥界の半分を呼び寄せるのではないかと期待したのだったが。

 計画はその初めから、賊の侵入という不測の事態によって頓挫とんざした。

 妖精女王の庇護下ひごかを出て、次に安全な場所といえば、かつておのれの領分であった隠者の庵しか思いつかなかった。ただし、そこは一時的な避難場所にしかなり得ない。

 木を隠すなら森の中。人を隠すなら人の中。次に頼るとすれば――。

 最善を尽くしたつもりが、不死の乙女を連れてたどり着いた先には『死者の王』が待ち受けていた。


(まさか、あそこでヤツに会うとはな)


 カエル・モリカ。そこは、彼にとって苦い記憶の残る因縁の地であるはずだった。

 砦の城の外に広がるヒースの荒野の伝説。神々の戦。ドウンの属する陣営は敗者となって力を失い、多くの神々とその眷属けんぞくたちが消えていった。

 その地に現れるとは思いもしなかった。


(思い込みの裏をかかれたってことか)


 振り返ってみれば、エリウの丘からカエル・モリカへ、そしてニムの妹が現れるまで、すべて仕組まれたことだったのかもしれない。

 最初からドウンの操る糸に導かれていたと思うと腹が立つ。しかしそう考えると、ひとつひとつの出来事がぴたりと合わさって一枚の絵を描き出すのも事実だった。


「やられた、な……」


 エレインを本来のあるべき姿に戻すために、何年もかけて考えて慎重に運んだつもりだったが、冥界の王も、彼女の全てを手に入れるために策略をめぐらしてきたのだ。

 棺の中で、エレインは眠っている。

 その寝顔は安らかで、うっすら微笑んでいるように見える。頬は薔薇色で、ずいぶん健康的な印象になった。


(よく笑うようになったしな)

 オルフェン王女のおかげだ。


 イニス・ダナエ最後の大魔法使いと言われる自分にも、できないことはある。魔法ではどうにもならないことの方が多い。

 もし魔法と無縁に生まれついていたなら、と夢想することもあった。自分にもエレインにももっと違う人生があっただろう。そうして二人は出会うことなく、それぞれの生を終えて次の世へと旅立っていただろう。


(繰り言が増えるは老いのしるし、か)


 この世に生まれ落ちれば、命の火が消えるその瞬間まで精一杯あがいて生きる。それが生あるものたちの役目だ。ならばせめて、できることに力を尽くそう。

 まだ決着はついていない。

 ものは考えようだ。彼女の器と魂の半分はこちら側にある。

 今なら。異界への扉がすべて開いている、今なら――。


「よし」


 フランは立ち上がった。

 ドウンの領土に乗り込む。

 正面から争うことになれば、勝ち目は少ない。もし自分が敗れたとしても、それは仕方がない。あちらとこちらに引き裂かれたままの方が不自然で、不憫ふびんだ。


「おい、アリル」

「なんですか?」

「俺は冥界に行く。行って、こいつの魂の半分を取り戻してくる。夜明けまでには必ず帰ってくるから、それまでこいつを頼む」

「また急に、そんなことを…」


 床を掃く手を止めてアリルは振り返った。声の調子はいつも通り軽やかだったが、師匠の目は、今まで見たこともないほど強い光を宿していた。

 言おうとしていた言葉がアリルの頭から消えた。箒のを両手でぎゅっと握る。

 残されたのは、たったひと言。


「お気をつけて」


 悲愴な面持ちの弟子に向かって、フランはにやっと笑った。


「そんな情けない顔をするな。妹の方がよほどきもが据わってるぞ。あのお姫さんには世話になった。くれぐれもよろしく言っておいてくれ」


 樫の杖の先をとん、と床に突く。

 空気も揺らさず、魔法使いの姿は消えた。


 しばらく呆然としていたアリルは、新しく得た情報を頭の中で反芻はんすうして、大変なことに気づいた。


「キアランは冥界の王、ドウンだったのですよね」

「ああ、そうだよ」


 フランがまき散らした灰で足を汚さないよう、シャトンはテーブルの上に座っている。


「じゃあ、オルフェンはどうしたのでしょう」

「エレインが沼の魔女に魔法で飛ばされて、アタシは城に帰った。その後のことは知らないけれど、フランがエリウの丘に行ったのなら、あの黒い男と一緒にあそこに残ったことになるね」

「それしか、ありませんよね」


 アリルの全身からさあっと血の気が引いてゆく。

 妹が、死者の王とふたりっきりになってしまった。

(まさか、ね。まさかとは思うけれど)

 持っていた箒を放り出し、身をひるがえして居間へと急ぐ。


「どうするんだい?」

「決まってるじゃありませんか。城に戻るんです!」

「戻るって、どうやって?」


 ガシャン、と何かが落ちた。「たた」という声が聞こえる。アリルがどこかにぶつかったらしい。


「待ちなよ。不用意に動くと危ない」

「そんな悠長ゆうちょうなこと言ってる場合じゃありません。オルフェンになにかあったら!」

「ここでおとなしくしていろ、って。デニーさんも言ってただろう」


 焦るアリルの心にシャトンの忠告は届かない。

 バタン、と乱暴に木の戸を開ける音がした。例の通路への扉だ。

 ヤケになってシャトンは叫んだ。


「また、あのオバケのところに行っても知らないよ!」

「え? あっ! うわああ」


 アリルの悲鳴が、途中でふっつりと切れた。

 しん、とあたりが静まり返る。

 ぴんと立てたシャトンの鋭い耳にも、扉の向こうからはもう何も聞こえてこなかった。


(アタシはどうしたらいいんだろうね)

 ひとり森の庵に残されて、サバ猫は首をかしげた。


 箒がかたむいた状態で壁に立てかけられている。部屋の隅に掃き集められた灰の山はそのままだ。


「やれやれ、しょうのない」


 後始末をしてやろうという気は、さらさらない。


 窓の外は真っ暗。冷たい風が木々の梢の間を吹き抜けながら、ひゅうひゅうと泣いている。 

 暖炉の中では赤い火が揺れ、薪がパチパチと楽しげな音を立てている。

 ふかふかのベッドの上には、すやすやと眠る少女。


(とりあえず、ここで待とうかね)

 シャトンは、ひょいとテーブルの上からベッドへと飛び移った。


(どうせ、誰かはこの子の見張り番をしなきゃいけないわけだし)

 そうして、うーんと伸びをすると、エレインの足下で丸くなった。

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