第17話 遠い夢

「―――ああ、それがまことならば……。

 あなたが真実『不死の乙女』であるならば」

 若い騎士は絞り出すような、悲痛な声で告げました。

 風に散らされた林檎りんごの花が、怖いくらいに二人の上に降りかかります。

「姫よ、いやまわしき魔女め。

 お前はクネド以上の、私が最も憎むべき敵なのだ」

 優しかったまなざしは今や怒りに燃え、先ほどまで愛を語っていた唇から放たれた言葉は黒い毒矢となって、王女様の魂の一番柔らかい部分に刺さりました。

 そうして、王女様の心を粉々に砕いてしまったのです。


    イニス・ダナエの物語

     『不死の乙女または若草のエレイン』より

 

* * * 



 眠りの中でもエレインはカエル・モリカの城にいた。

 薄暗い部屋で、ベッドの傍らに座っている。

 ベッドには枯れ枝のように痩せ衰えた病人が横たわっていて、まくの張った薄い色の目でじっとエレインの方を見つめていた。焦点は合っていない。この世での時間が幾何いくばくも残されていないのは明らかだった。

 老いのため、ではない。まだ五十になるかならないかの年齢である。

 本来ならば、たくましい壮年王であったはずた。

 これは体をむしばむ病のせいだ。いや本当に病であるのかも疑わしかった。

 何もせず、ただその姿を見ているのはつらかった。

 エレインの後ろに男がいる。顔は見えないが、激しい憎しみの情に背が焼かれるようだ。


『父上、あなたは本気でこの小娘を妃になさろうというのか』

 男が言った。


『それが、どうした』

 浅い呼吸の下から、病人が声を絞り出す。


『見苦しい!』

 父上、と呼んだその同じ口が冷たく吐き捨てる。


『クネドの機嫌をとろうというのか。それとも死が恐ろしいのか。そんなにしてまで生にしがみつこうとするか! 古き民の系譜けいふたる誇りを忘れて、クネドの前にふしを屈するのか!』


 気持ちのたかぶりにつれて、だんだんと声が大きくなる。イライラと部屋の中を歩き回りながら、大仰おおぎょうな身振り手振りを交えて語り続ける男を、エレインはぼんやりと眺めていた。


(私は、この人たちを知っている)


 は、ミースとコーンノートがお互いを敵とせぬというちかいを結んだ日の夜だ。

 なぜここに、この時に戻って来たのだろう。

 夢なのだから、何が起こっても不思議ではないのだけれど。

 パチン。男が指を鳴らした。

 それを合図に重い扉が勢いよく開き、大勢の兵士たちがなだれ込んできた。


日和見ひよりみなアンセルスは当てにならぬ。ウィングロットは北からの侵入に手を焼いて己が地を守るので精一杯。私はスウィンダンと結び、クネドを討つ!』


『それが、お前の結論か』

 コーンノートの王は弱々しく息を吐いた。


 ――だからお前は王にはなれぬ。


と、声にならない言葉が聞こえた。

『そうそう上手くはいくまいよ。ミースの王はお前より何倍も上手だ。スウィンダンの王も裏のある男。しくじれば、そのるいは我が民にも及ぶ。お前はそれを考えたことがあるか』

『コーンノートの民は勇敢だ。他国の王にしっぽを振る臆病な王と違ってな。いや、あなたはもはや王ではない。戦えない男に王たる資格はない』


 兵士たちがベッドを取り囲んでいる。鎧の触れあう金属的な音が聞こえる。

 男は父親の喉元に剣を突き付けた。

 と、ふと思い出したようにエレインを振り返る。剣を引き、手に提げたまま体の向きを変えた。

 異様に底光りのする目でエレインを見据え、ゆっくりと足を踏み出す。


『不死の王女、か。父上、この娘がまことに不死であれば、私はあなたに従ってもよい。しかし、そうでなければ……』


 遠い波音に耳を澄ませながら、エレインは静かに座っている。

 これから何が起こるのか彼女は知っていた。

 もうすでに経験したことであったから。

 白銀の刃がきらめく。

 その剣の先が自分の胸を貫くのを、温かい血が白いドレスを染めてゆくのを、他人事のように眺めていた。


『エレイン!』


 聞き慣れた声が自分を呼ぶ。

 勝ち誇った顔で自分を見下ろしていた男が、はっと視線を泳がせた。


『マクドゥーン!』


 兵士たちのざわめきを割って、そのただ中に現れたのは、イニス・ダナエにその人ありと知られた大魔法使いであった。

 大魔法使いという称号に似合わぬ若造に見えたが、その手に握られたゴツゴツと節くれ立った古い樫の杖がその存在の重さを周囲に知らしめる。

 剣をエレインの胸に残したまま、男がさっと身を引いた。

 エレインとマクドゥーン。

 二人の周囲にぽっかりと空白が生まれた。


『すまない、姫さん』


 燃えるような赤い髪。柔らかな琥珀こはく色の瞳が揺れている。


『俺は、あんたを守りきれなかった』


 逞しい腕が、エレインを包み込んだ。


『いいのよ、わたしの魔法使い』


 ――お父さまは、こうなることをご存じだったのだから。


 後顧の憂いになるような種はさっさと取り除く。疑わしい者は徹底的に排除する。それがミース王クネドのやり方だった。

 自分の娘をエサにして、獲物をおびき出す。

 コーンノートの王は疑われていることに気づいていた。

 息子は自分を狙った罠に気づかなかった。

 国が割れた。

 これでコーンノートはクネドのものだ。

 剣よりも鋭く、悲しみが胸をえぐる。

 その痛みは本物なのに、妙に醒めた自分がいる。


(夢だから)


 夢の中のエレインと、夢を見ているエレイン。

 二人のエレインが同時にここにいる。


 そう、これは夢だ。今となっては遠い、遠い。けれども本当にあった現実だ。あの時、幼い心は痛みに耐えきれず、ガラスのように砕けてしまった。

 マクドゥーンの顔がゆがむ。ぼやける。


(大丈夫……。あたしは、平気だから)


 精一杯の微笑みに、想いを託そうとする。


(うまく、笑えているかな)


 エニシダからのギフト。金色に輝く花は彼の痛みを和らげてくれるだろうか。


『来てくれて、ありがとう』


 知っている。ここでは死なない。どれだけ苦しくても、まだ、死ねない。


 ――不死。


 薄れゆく意識の中で、エレインはその言葉をかみしめていた。この手に宿る癒しの力で、多くの兵士たちを死の淵から救ってきた。感謝もされたし、自分は正しいことをしていると信じていた。


 ――けれど、それは本当に彼らを救ったの?


 傷の癒えた兵士たちは、また戦場に戻る。もう一度死の苦しみを味わうために。

 ふわり、と体が浮き上がる。掲げた杖から放たれた光が、その場にいたすべての者たちの目をくらませる。

 不死の姫の体を抱いて、魔法使いは姿を消した。

 そこでエレインの夢は途切れ、無意識の底から浮かび上がった記憶の欠片は、また忘却の海へと還っていった。

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