第16話 スコーンがのどに引っかかる

 行き倒れの王子のために、軽食が用意された。

 サーモンを挟んだサンドイッチ。林檎のシロップ煮。そしてスコーン。


「マーマレードか……。どちらかというとベリーの気分なんだけど。それはまあいいとして、クリームが少し固いな」


 王子さまはぶつぶつと文句を言いつつ、とぽとぽと紅茶にミルクを注いだ。

 そうして、クロテッドクリームとジャムをたっぷりと乗せたスコーンを頬張り、ごふっとむせた。

 いつもなら背中をさすってくれるシャトンは、客人の膝の上だ。


「もう!」

 シャトンの代わりにオルフェンがとんとんと軽く兄の背中を叩く。


「す、すまない」


 けほけほと咳き込みながらカップに手を伸ばすアリルを見て、キアランが肩をすくめた。


「聞きしに勝るご隠居っぷりですね」

「フォローはしない」

 フランが同意する。


「で、何を揉めていたんだ?」

「ひどいんですよ。デニーさんから聞いた話に、さらに尾ひれがついていて……」


 咳き込みながら説明しようとする兄を制して、その続きをオルフェンが引き取った。


「両親から見限られて小さな城に追いやられた兄さまが、自棄やけを起こして王位の簒奪さんだつと国の乗っ取りを企てたのですって」

「そりゃまた、荒唐無稽こうとうむけいな」

「あり得ないね」


 フランとシャトンが全く同じタイミングで口を挟んだが、オルフェンにはシャトンの言葉は鳴き声にしか聞こえない。ちら、と鋭い視線をフランの方に向けて言う。


「わたしだって、そこまで兄さまが愚かだとも行動的だとも甲斐性かいしょうがあるとも思いませんけれど。それから、人の話は最後まで聞いてくださいな」

「……はい」


 王女の語気と目力の強さに、フランが身をすくめる。


「ウィングロット公と手を組んで北の国と同盟を結び、盗賊たちを語らって神殿を襲いエリンの町に火を放った。それを皮切りにダナンの東方を混乱におとしいれて、注意をそちらに引きつけ、しかるのちに北の方から王都に攻め込む。

 と、そういう手筈てはずだったのが、聖職者たちや民衆の消火活動が予想以上に迅速じんそくに行われたため企みは失敗したのだけれど。その腹いせに、行きがけの駄賃だちんとばかり、どさくさに紛れて聖女さまのご聖体を盗み出し、聖女さまに仕える尼僧の中で一番可愛らしい娘をさらっていった――ですって!」


 オルフェンは息も吐かず、一気にまくし立てた。

 そこにいる全員が黙り込み、微妙な表情で王子から視線を逸らした。

 リュウグウノツカイ並に尾ひれがついている。


「何人かに確かめたのですけれど、少しずつ話が変わっていて。さらに腹が立つことには、こちらが真剣に耳を傾けているというのに、誰もかれもが最後に――なんちゃって、とかいうオチをつけるのです」


 最初に噴き出したのはどちらだったか。

 フランとキアランが声を上げて笑った。


「つまり、誰も殿下が謀反むほんを企んだなどという話は信じていないのですね」


 素早く笑いを収めたキアランとは対照的に、フランは息が苦しくなっても笑い続けた。目に涙がにじんでいる。


「やけに民に信用があるじゃないか。よかったなあ、アリル殿下!」

「はいはい。よかったですよ」


 もそもそとスコーンを口に運びながら、むっつりとアリルが答える。

 そんな微笑ましいと言えなくもないやり取りを、エレインはシャトンの背を撫でながら少し離れたところから眺めていた。

 と、そこに、先ほどと似た感覚が訪れた。

 奇妙な既視感きしかん

 現実の風景と自分の間を透明な、薄い膜がへだてる。

 不意にはっきりとした男の声が頭の中に響いた。


『火のない所に煙は立たぬ。これは好機チャンスなのだよ』


 それは、誰の声だったか。考えるより先にエレインの口が動いていた。


「あ、あの……」


 全員の目がエレインに集まる。現実が戻って来た。

 ぎゅうっと両手をを握りしめて、言葉を探す。シャトンが心配そうにその顔を見上げた。


「ウィングロットの方々は、どうなるのですか?」

「どうなる、って?」


 オルフェンが首をかしげる。


「噂では、王子さまと一緒に反乱を起こした、ってことになっているのでしょう。王子さまは全く疑われていなくても、ウィングロットの領主さまは?」


 フランとキアランが顔を見合わせた。


「おい、今のウィングロット公は――」

「大層なご高齢ですよ。御病床にしているその枕元で、連日連夜、次代領主の座をめぐって後継者候補の方々が騒ぎ立てているとか」


(ご高齢の、領主……)


 ずきん、とエレインの胸の奥が痛んだ。


「ふうん。じゃ、その候補者とやらの一人が、アリル殿下と組んで領主の地位を得ようとする、っていうのも不自然な流れじゃないってことか」

「決して上策、とは言えませんが。あり得る話です。殿下にダナンの王座についていただき、恩を売っておいて……」

「ゆくゆくはウィングロットをダナンから切り離し、対等の国として独立するってか。無謀むぼうだな」

「お粗末ですね。時流というものをまるで解していません」


 男二人の口調はのん気だが、内容は穏やかどころではない。

 みるみるエレインの顔が曇るのを見て、キアランがにっこりと微笑んで見せた。


「心配はいりませんよ。クネド王の時代とは違います。戦さなど起こりませんから」


(クネド王……)


 びくっとエレインの肩が震えた。

 キアランはどこか楽しげだ。


「ほら、何年か前にもありましたよね。前ウィングロット公が、大陸のノヴァークの王にそそのかされて反乱を起こそうとしたことが」


 スコーンを頬張っていたアリルが小さくむせた。できれば触れられたくない黒歴史がそこにある。

 粉末が飛び散るのを見て、オルフェンがつっけんどんな仕草でカップにお茶を注いで差し出した。


「ありがとう……」


 口元をぬぐってから、妹が淹れてくれたお茶で口の中に残っているスコーンを流し込む。王子の呼吸が整うを待って、キアランが話を続ける。


「もともとあの領主自身が人望のない人物でしたから。仲間だと思っていた近隣の小領主たちには早々に見限られ、後ろ盾になってくれるはずのノヴァークにもあっさり見捨てられ、ほとんど犠牲もなく鎮圧ちんあつされました。

 ――ああ、当然領主はるされましたけれど、それくらいは仕方ないですよね」


 最後にさらりと付け加えられた一言に、エレインは全身の血が凍るような感覚にとらわれた。


「おい」


 フランの目がけわしくなる。


「余計なことを言うな」


 キアランは首をかしげた。


「余計なこと? 何がですか? クネド王の時代に比べれば、甘すぎるくらいの措置そちだったでしょう。現王はお優しいですから」

「父を馬鹿にしないで!」


 オルフェンが気色ばむ。


「馬鹿になど。血を流す王が優れた王とは限りませんよ。あの用兵はお見事でした」


 アリルにとっては苦い思い出だ。


「騎兵だけを五百、でしたか」


 ファリアスを出た時は百騎だった。その先をアリルは見ていない。


「決して少ない数ではありません。それだけの人馬を動かし、悟られることなく敵地に乗り込んだ」


 敵襲を知らせる狼煙のろしの連なりを断ち切るため、ウィングロットに属する砦を二つほど懐柔かいじゅうしてあったという。その他、出陣前に父が打った幾つもの周到な手について、アリルは全く知らされていなかった。


「途中の集落を荒らすこともなく、そのおかげで民たちの覚えも良くなったらしいですね」


 兵による略奪を防ぐため、人選はもとより、相応の報酬を払えるだけの人数しか動かさなかったのだ。


「本気を見せるだけで相手の戦意を失わせるとは……」


 秋の収穫を前に戦さを仕掛けるバカはいない。そういう油断がウィングロット側にはあった。

 頼りとするノヴァークは冬の訪れが早い。駐留していた援軍は故国に引き上げた後だった。まともな戦いになるはずがない。

 もちろん、こちらにも犠牲が無かったわけではない。死者こそ出なかったが、アリルと同じ年頃の騎士が一人、流れ矢で重傷を負った。見習い期間を終えたばかりの少年騎士だった。

 それがどういう意味を持つのか、アリルは考えたくもなかった。

 めた頭で過去を振り返る兄とは対照的に、オルフェンは向きになってキアランにくってかかる。


「まるで、見て来たかのように話すのね」

「おや、そう聞こえましたか」


 上目づかいに睨むオルフェンを、キアランは涼しげな表情で受け流した。その態度に腹を立てたオルフェンが、また何か言い返していたが―――。

 アリルはお茶をすすりながら、上の空で別のことを考えていた。

 フランは気のない様子で、だらんと天井を仰いでいた。

 そこに、

 ガタン。

 と、何かが倒れる音がした。

 全員がはっと振り返る。その目に映ったのは――。


 くらり、とエレインの体がかしいだのに気づいたのは、シャトンだけだった。

 ぶるっと身を震わせ、全身の毛を膨らませたかと思うと、彼女の体は虎ほどの大きさになった。そうして、くずおれてきたエレインを背で受け止め、頭をぶつけないよう椅子やらサイドテーブルを足で押しのけた。

 他の者が聞いたのは、シャトンに押しやられた椅子がひっくり返った音だった。


「アリル!」


 シャトンに名を呼ばれ、自分の役目を思い出したアリルがあたふたと指示を出す。


「キアラン、医者を呼んで。オルフェン、部屋の用意を――いや、僕の部屋へ運ぶ。ベッドを整えてくれ」

「兄さまの部屋ですって?」


 オルフェンが異論を唱えかけたが、珍しくアリルの勢いが勝った。

 二人が部屋を飛び出していく。その後ろからシャトンがくったりと意識のないエレインを背に乗せ、雪豹ゆきひょうを思わせる優雅な足取りで悠々と開いたままの扉から外へと出て行った。


「俺は?」

「師匠はそのへんを片付けておいてください」

「……」

「それから、彼女を休ませたら、じっくりと聞かせてもらいますからね。僕に隠していることを、全部!」


 不満なのか。困惑しているのか。憮然ぶぜんとしたフランを部屋に残してアリルは扉を閉めた。


(喉がつまる)


 この不快な感覚は、パサパサしたスコーンのせいではない。

 アリルは、彼にしては珍しく、本気で怒っていた。

 他の誰にでもなく、自分自身に対して、だ。

 その昔、庵でフランに師事していたときに、おや、と思ったことは幾度もあった。胸に芽生えた小さな疑問たちを放っておいたのは自分だ。そのときは大した問題ではなかったから。

 あのエレインという少女も。

 初めて会ったとき、影の薄い娘だと思った。単に存在感が薄いというのではない。彼女の肉の体を見えない膜が包んでいるかのように、妙に『生身』が感じられないのだ。

 彼女は記憶を失っているという。しかもその自覚が彼女にはないらしい。

 そんなことがあり得るのか。どうしてそのような状態になったのか。師匠は言葉を濁して教えてくれなかったし、自分も追及しなかった。あまりに立ち入ったことを聞くのははばかられたので。

 時折感じる不自然さはそのせいかと思った。しかし、それだけではないのかもしれない。


(あの娘は、もしかして――)


 無垢むくな少年だった時代からずっと引っかかっていた、引っかかっていることすら忘れていた疑惑の欠片の存在を、彼女が思い出させてくれた。

 目の前に現れたいくつかの新たな欠片のおかげで、疑惑に対する答えが、おぼろげながらも形を取り始めた。


 ヨハルとフラン。

 初代惑わしの森の隠者。

 エレイン。

 エリウの丘。

 庵の納屋に押し込まれた、薔薇の模様が彫り込まれた木の棺。


 シャトンとオルフェンが青白い顔でベッドに横たわるエレインを介抱かいほうしている。楽な衣服に着替えさせるから、とアリルは寝室から追い払われた。

 部屋を出ようとし、ふと思い立って足をクローゼットの奥へと向ける。


 通路を通って、森の庵へ。


「ああ、これだ」


 書架しょかの一番上の棚から、一冊の覚え書きを取り出す。

 二代目の手記だ。

 三代目に会って間もない頃、乱雑に並べられた書物を整理していて見つけた薄い冊子。

 最後のページを開いて、中に書かれている言葉を読み返す。ノートを握る手に力がこもった。短いセンテンスを見つめながら、自嘲的じちょうてきに吐き捨てる。


「鈍いな、僕も……」


 アリルの背後で白い蝶がふわふわと羽ばたき、窓から差し込む光の中に淡く溶けて消えた。

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