第18話 魔法使いの言い分
どさっ、と小さな丸テーブルの上に書物が積み上げられた。
その山の上に右手を置き、左手を腰に当てて、ぐいっとアリルが身を乗り出す。
「さあ、順を追って説明してもらいましょうか」
ドアを一つ隔てた続きの間ではエレインが眠っている。それを意識して、アリルは声を低めてフランに相対した。
「…って言われてもなあ」
一方フランは、両手を頭の後ろにやって足を組み、椅子を揺らして危ういバランスを楽しんでいる。面倒臭がっているのがありありと見て取れる。
「お前さん、何が聞きたいんだ?」
「まずはこれです」
アリルが開いたのは、クネド王から始まるダナンの国史。
第一巻。
「ここに偉大なる魔法使い、マクドゥーンの姿を描いた図があります」
統一王クネド、
クネド王がマクドゥーンの前に
日付はダナン暦509年5月1日、ベルティネ祭の日。
今から185年ほど前になる。
四十二歳の壮年王クネドに対し、マクドゥーンは長く豊かな
「この時、彼が何歳だったのか。記録がないので分かりませんが、この後すぐ宮廷を退いてケイドンの森に庵を結んだんですよね」
「ああ、そうだな」
フランは
「で、こっちです」
続いてアリルがバサバサと引っ張り出したのは、二代目の手記だ。
「この部分を読んでみてください」
「えー…なになに」
――あの方が去った。
もし、幸運にも出会うことがあるとすれば、…………、
……お守りするばかりだ――
「うん? 途中がかすれちまってるな」
「あの方、というのは流れから見て初代森の隠者。つまり、大魔法使いにして賢者の長、マクドゥーンのことでしょう」
「そうだろうな」
「日付は663年2月1日。今から約三十年前になりますね」
「あー、そうだな」
「そうだな、じゃないですよ!」
アリルはわずかに語気を強めた。
「クネド王戴冠のときに、マクドゥーンはすでにご高齢。若く見積もって60歳くらいとしても、663年には軽く220歳を超えていますよ。魔法使いってのは、みんなこんなにご長寿なんですか。不老不死の秘薬でも飲んでいるんですか」
「えー? 俺に聞かれても」
ぽりぽりとフランが左耳をほじった。
「師匠」
その
「あなた、今、何歳ですか」
「さあ。何歳だっけ」
「まあ、いいでしょう」
アリルはさっさと引き下がり、別の書物のページをめくり始めた。
「まだあるのかよ」
うんざりだ、という内心を思いっきり
(そういや、昔っから探究心旺盛で真面目なガキだったよなあ。熱意が空回りするところなんざ、まるで変わってない)
フランにはもう、アリルがこの先何を言いたいのかも見当がついている。
「それで、師匠。あなたが名乗ったヨハルという名ですが、マクドゥーンには幼いころ生き別れになった双子の兄がいて……」
「ちょっと待った」
フランは耐えきれず、手を挙げて話を
「お前さん、シャトンから何も聞いていないのか?」
「何をですか?」
きょとん、とした顔でアリルがフランを見つめる。
藍色の瞳は純真な少年のまま。このくどくど遠回しな問い方も、嫌がらせでやっているわけではない。
フランはふいと顔を背けて、
「おーい、シャトーン」
隣の部屋に続くドアの方に向けて声をかけた。
すぐに、とっとっとっ、と軽やかな足音が近づいてきた。
キィ…、と
「何だい?」
すぐ足元まで来て、二人の顔を見上げる。
大きさはいつも通り。ごく普通の、どこにでもいる銀灰色のサバ猫に戻っている。
「お前さ」
フランが体の向きを変えて、正面からシャトンと向き合った。
「あれ、こいつに話さなかったのか?」
「あれ?」
シャトンが小首をかしげる。
「ちょいと前に、俺の兄貴と聖女さまの話をしただろう」
「ああ、あれね。面白い話だった」
「あの時、兄貴が聖ヨハネスで、俺が聖樹の賢者マクドゥーンだ、って。言ったよな?」
「聞いた」
「あれ、こいつに言わなかったのか?」
「言ってないよ。伝えてくれとも言われなかったし」
あっさりとした返答に、がっくりとフランが肩を落とす。
「……そうか」
「用事がそれだけなら、もう行ってもいいかい? あの子の冷たい足を温めてやらなきゃいけないんでね」
「あ、ああ。忙しいところすまなかったな」
さっさと身を返し、シャトンはいそいそと去って行った。
続きの間、温かな寝室へ。エレインが眠るベッド、そこにかけられた毛布の中へと。
ぱたん、と軽い音を立ててドアが閉まる。
二人はしばらく気の抜けたように黙っていた。
「……そういえば、猫だったな」
ぽつりとフランが洩らす。
「猫でしたね」
アリルが頷いた。
普段の言動があまりに人間臭いからつい忘れてしまう。魔法動物とはいえ、それでもやっぱり彼女はネコ族だった。ネコ族は今を生きる種族である。遠い過去も遠い未来も、その思考の中にはない。
彼女にとって一番重要なのは、今、快適であること。そして優先するのは、今したいこと。
今ここにいる者が過去に何者であったか、など、彼女にとっては何の意味もない。
「すまん。お前さんはとっくに知っていると思ってた」
「いえ、師匠は悪くありません。僕が鈍かったんです」
すっかり脱力した男二人は、なんとなく顔を見合わせてほろ苦く笑った。
「あ、そうだ。一つ言っておくことがある」
「はい?」
フランはさっきアリルが山に戻した『ダナン国史 第一巻』を引っ張り出した。クネドの戴冠式の場面を開いて、ばん、と平手で
「すんごい爺さんみたいに描かれちまっているけど、俺、クネドよりずっと若いから!」
彼にとって、これだけは絶対に、何をおいても主張しておかなければならない最重要事項なのだった。
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