第11話 王子さまの事情
どうにも口の重い師匠をせっついて、ようやくアリルは話を聞き出した。
しかし彼女、エレインに関して引き出せた情報は少なく、要領を得ない部分が多かった。
目覚めたときには記憶を失くしており、感情も乏しくなっていたこと。
治療と静養のため、ずっと湖の島で保護されていたこと。
「近頃ではだいぶマシになってたんだ。エリンの町なら湖の島より刺激が多いし、神殿に置いてもらえば安全だし。友達でもできりゃ、あいつのためになると思ったんだがな」
テーブルの上にごつんと肘をついて、フランは頭を抱えた。
それが全てだと、アリルも信じたわけではない。確かにフランは湖の島と聖女の神殿、どちらとも関わりがある。
湖の島には、一時期魔法を学ぶために滞在していたと聞いている。
しかし、神殿の方は――。
(いくら子どもだったとはいえ、神殿に忍び込んだ経歴のある墓荒らしに、聖騎士を名乗らせるなんてことがあるのだろうか)
武芸をおさめた修道士が任じられる修道騎士とは訳が違う。
聖騎士とは、武術の心得はもちろんのこと。俗人でありながら、その人格極めて高潔と認められた者が選ばれると聞いている。王宮の管轄外であるから、その仕組みははっきりとは知らないが、ダナン全土に数人いるかいないか。アリルもまだ本物には会ったことがない。
(そりゃ、たしかに。悪い人じゃないけれど)
フランに問いただしたいことは、まだまだある。
(でも――)
頭を抱えたまま微動だにしないフランを見て、
(これ以上は当事者ではない僕が、ずかずかと踏み込むでいい領域じゃない、か)
アリルはそう判断し、
「師匠のせいじゃないんですから」
当たり
再び重い沈黙が落ちる。
――と、
チチ、チチチ……
木の小鳥が再び来客を告げた。
「うちの人が、馬車がすごい勢いで走っていくのを見たっていうから、様子を見に来たよ」
朝のあいさつもそこそこに、元気なご婦人がパンやハムをいっぱいに詰め込んだ籠を持って現れた。
男二人、どんよりと沈んでいた部屋の空気がカラリと晴れる。
「おはようございます、デニーさん」
「おはよう。おや、客は三代目だったのかい。しばらく見ない間に小ざっぱりとして。男ぶりが上がったじゃないか」
勝手知ったる他人の我が家。
すたすたと入ってくると、デニーさんは持ってきたものを棚に片付け、花瓶に花を
「今朝方、大変な知らせが飛び込んできてねえ。聖女さまのおわす神殿が襲われたんだってさ」
噂の足は風より速い。のんき者の師弟は息をのんだ。
「どうやって忍び込んだのやら、盗賊どもは町中のあちこちに火をつけて、そりゃもう大騒ぎだったそうだよ。いち早く町の者たちが気づいたから良かったものの、あの町はごちゃごちゃしているからねえ。人も多いし、ひとつ間違えば大惨事さ。何があったかあたしらみたいなもんには分からないけれど、早いとこ片が付いてよかった」
「そうですか……」
町中に火をつけて―――というのは事実とは異なるが、妙なリアリティがある。
どっこいしょ、と居間の長椅子に腰かけながらデニーさんは声を
「聖騎士さまの格好をしているってことは、三代目も無関係じゃないんだろうから言うけれどね」
「何だ?」
「裏で糸を引いていたのは、ダナンの王子さまだって。そんな噂もあるらしいのさ」
「何ですって!」
名指しされた本人は思わず立ち上がった。
ガタンと椅子が大きな音を立てる。隣でエレインが休んでいるのを思い出して、倒れる前に慌てて支える。
「次の王さまになる目がなくなったからさ。東のエリンで騒ぎを起こし、みんながそっちに気を取られている間に北の方から大陸の軍勢を引き入れて、ウィングロットの領主さまらと組んで国を乗っ取ろうって企らみなんだと」
「おいおい、そんな訳ないだろうが」
ぽかんと立ち尽くす弟子を横目に見て、三代目が軽く笑っていなした。
「アタシだってそれぐらい分かってるとも。だから、そんな馬鹿なことを言うヤツらをどやしつけてやったよ。あの王子さまにそんな大それたことを思いつく
もちろん、目の前の若者の正体を十分にわきまえた上での発言である。
(後継者から外されたから引きこもりになった訳じゃないんだけれど。と、その前に引きこもっているつもりはないんだけど……)
本人の思いは複雑だが、これでフランやエレインに関するあれやこれが、自分と無関係な話ではなくなった。
「安心しな。うちの村では誰一人王子さまがやったなんて思っているヤツはいないし、そんなことを言うヤツがいたら黙っちゃいないからね。どやしつけて
信用があるのかないのか。喜んでいいのか、嘆くべきなのか。
ぼんやりしていた当の王子は、突然はっとした顔になって勢いよく立ち上がった。
こんな噂が耳に入れば、
(彼女が来る!)
「すみません。急用を思い出しました」
「おいおい、どこ行くんだ」
「ちょっとそこまで」
「そこ、って……。お前、今どこにいるんだ?」
「カエル・モリカです。ああ、もう。心の準備が!」
師匠と客を置き去りにして、王子さまはよろよろと物置から居城の自室へと帰ってしまった。
カエル・モリカ。コーンノートにある地名だ。
そこには今はミース王家の所有となった古い砦の城がある。
(チッ。よりによって、そこかよ)
心中舌打ちしたが、それを顔には出さず、
「やれやれ……。ま、都のファリアスに比べればこっから近い分、楽っちゃあ楽だな」
フランはちょっと肩をすくめてみせた。デニーさんが「相変わらずだねえ」と
* * *
ややあって、すっきりとした顔をして寝室から出てきたエレインは、また見知らぬ顔が増えているのに気づいた。
「おやまあ、この子が三代目の連れかい。可愛らしいお嬢さんだこと」
いきなり親しげに話しかけられて、エレインはきょとん目を見開いた。
「大変な目に遭ったんだってねえ。無事で良かった」
「あ、ありがとうございます」
それ以上どう挨拶していいのか分からず、そっと視線をフランの方に移す。すると、まだ聖騎士の格好をしたままのフランは、突拍子もない提案を持ちかけた。
「顔を洗って着替えたら、噂のダナンの王子にでも会いに行こうか」
「……はあ」
近所の知り合いを訪ねるような、軽い口調だった。エレインは首をかしげた。
(噂って何のことだろう)
「
「ありがとうございます」
頼もしげにどん、と胸を叩く婦人に、ぺこんと頭を下げながら、
(この女の人は誰なのかな)
という当然の疑問を、エレインはまた胸の内にしまいこんだ。
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